Shadow ~In Perfect Unison~(11)

身体がだるい。
昼間は緊張しているせいでさほど辛くも感じないのだが、夜になるとだめだ。
熱っぽい額に手を当てて、ロザリアは目を閉じた。
視神経が疲れている。
ずきずきする頭も重く、食欲もない。
「また今夜も召し上がらないのですか?」
責めるような口調で金の髪の補佐官は言ったものだ。
細くアーチを描いた眉を寄せ、心配そうに彼女を見つめながら。
すべての執務を終えるのはほぼ毎日のように真夜中を過ぎる。
その後遅い夕食をその親友と共にするようになってから、ずいぶんの時が過ぎていた。
金の髪をした優しい親友は、いつも彼女の健康を気遣っている。
それは神経質なほどに。
だから彼女は食べないわけにはゆかない。
たとえどんなに食欲がないときであっても、無理をしてスプーンをとった。
だがここのところ、その無理もきかなくなってきている。
温かいスープの匂いが鬱陶しい。
「ごめんなさい。
食欲がないのよ。」
放っておいて欲しいのが本音だった。
それでもロザリアはできるだけ優しく穏やかに続ける。
「多分、軽い風邪だと思うの。
心配しなくても良いわ。
きっとすぐに治るから。」
そう言い終わると、早々に席を立つ。
「陛下。」
「大丈夫だって言ったでしょう?
わたくしだって少しくらい体調を崩すこともあるのよ。」
まっすぐに自分を見詰める緑の瞳に、精一杯の優しさで微笑みかける。
すぐにでもベッドに倒れこみたい。
それを気取らせないように注意して。

寝室に戻ったロザリアは、すぐさまベッドに倒れこむ。
女王の正装が耐えがたいほどに重かった。
寝転んだまま、邪魔なベールやドレスの飾りをひきむしる。
乱暴に投げ出した。
高価な薄物の飾りが、ベッドの脇に乱れ散る。
はあ…。
苦しげな息をして、ロザリアは目を閉じた。
かたりとしのびやかな音がして、それと共に新鮮な空気の匂いが流れ込む。
重いまぶたをうっそりと上げると、ほっそりした白い影がある。
誰・・と聞くまでもない。
「ずいぶん無茶なことをするのね。」
横たわったままの姿勢で、ロザリアはだるそうに口を開いた。
バルコニーに通じる窓には錠を下ろしていない。
それはあの夜、ただ一度彼女の望むようにこの世が回った日の記念だった。
もう1度、またあの夜のように、この世が自分を中心に回るかもしれない。
儚い望みではあったけれど、まるっきりかなわぬ望みでもないはずだった。
だからロザリアはこの窓にだけ錠を下ろさない。
近侍の者がすべての戸締りをした後に、こっそりと錠を開けておく。
それを知っていたかのように、白い影はしごく簡単に忍び入る。
女王の寝室。
禁忌と言えばこれ以上はない聖域に。
「案外簡単だったよ。」
窓から入る月の光は彼の背を照らす。
逆光になった彼の顔は暗く、表情は読めない。
ただ声はいつものとおりだった。
軽く冗談を飛ばすような、さりげない声。
「聖殿の警備を出しぬくのなんてわけはないね。」
声を抑えた笑いが彼女のすぐ傍で響く。
「ばかね。
そんなに甘いものじゃないわ。」
彼女の頬をなぞる彼の細い指を、熱っぽい掌で抑える。
白い影は、かまわずロザリアの喉もとに唇を寄せる。
「皆知ってるのよ。
あなたがここに入ってきたことをね。
けれどわたくしが大きな声を出さないから…。
それなら見ぬふりをするのが勤めだ。
そう思っているのよ。
女王の寝室に恋人が出入りすることなんか、珍しくもないものよ。」
薄い笑いが闇に浮かぶ。
熱のせいで潤んだ青の瞳が、いつもよりずっと投げやりに見える。
「君の不機嫌はいつものことだけど・・。
今夜は特にひどいね。
どうしてだい?
ようやく会えたんだよ、僕に。
もう少し嬉しそうな顔をしてくれても良いと思うんだけどね。」
ロザリアの顔を正面から見下ろす。
青磁の色の髪が、はらりと重力にしたがった。
藍色の瞳に苛立ちがある。
「会いたかった・・って一言が、どうして言えないんだろうね?」
「もうじきいなくなる人に?
会いたかったわ。
待っていたのよ、ずっと。
そう言って、今夜だけまた楽しむの?」
熱のせいだ。
口にしてからロザリアは激しく後悔した。
熱が彼女からいつもの自制心を取り去っている。
「ごめんなさい。
聞かなかったこと・・。」
言いかけた言葉をセイランの唇が吸い取った。
ひんやりとした感触が心地よい。
「僕がいなくなると寂しい?」
意地悪な質問だ。
応えようもない。
「そうだね。
僕はもうすぐここから出て行くんだ。
そうして元の生活に戻り、そこできっと恋をして誰かと暮らして一生を終える。
それが女王と補佐官の望みだって、僕は聞いたよ。
そうなんだろう?」
笑いのにじんだ口元が、もう1度ロザリアに近づけられる。
「どう?
そうなの?」
藍色の瞳は微笑んでいた。
けれどその奥に、火薬のようなきな臭い匂いがある。
ロザリアは目を逸らした。
「仕方ないわ。
あなたはもうすぐここを去る。
そうしたら、きっとそうなるんでしょうから。
わたくしには、どうしようもできないことだわ。」
ふいに肩を掴まれた。
強い力で。
「は!!」
怒りの混じった笑い声。
がくがくと身体を揺さぶられる。
「よくもまあ、そんな綺麗ごとを!
僕なら!
同じことを僕が言われたら、僕はきっと君を許さない!
僕とはなれて違う男と恋をしてそいつと暮らす。
そんなことを言われたら、僕なら君を・・。」
「じゃ、どうすればいいのかしら?
嫌だ・・と言えば、望みはかなうの?
言ったでしょう?
この世はわたくしを中心に回りはしない。
あきらめることに、わたくしは慣れているのよ。
あなたとは違うわ!」
きつい青の瞳がかっと見開かれて、セイランをにらみつける。
怒りと嘆き。
セイランに向けられたものでないことは、彼にもわかっていた。
同時にわかる。
彼が気ままに生きたように、彼女は生きられない。
それを許される場所に、彼女は立っていないのだ。
自分がどんな無理を言っているのか彼だとて知っていた。
けれど言わずにはいられない。
そしてそれが、彼女を苦しめていることも承知していた。
唇をかんだ。
セイランは何かに縛られるのが嫌いだった。
たとえそれが運命という、人の手には負えないものであっても、同じことだ。
「僕は嫌だ。」
低くつぶやいた。
ロザリアの視線が上がる。
食い入るように見つめる藍色の視線が、彼女をからめとる。
「僕は絶対に認めない。
君が僕を忘れて、誰か他の男のものになることなんて!」
相変わらず低い声だったが、火の出るような激しさがあった。
「どうしようもないことだわ。
わたくしはともかく、あなたはきっと誰かを好きになる。
きっと誰かと・・。」
多分間違いのない未来。
彼を放っておくような女はいまい。
きっと誰かが彼を好きになる。
そしてその中には彼の心をとらえるような、そんな女もいるだろう。
その時に自分は傍にはいられない。
仕方のない事なのだ。
弱く首を振るロザリアに、セイランの冷た過ぎる唇が再び覆い被さった。
息を継ぐ間も与えない激しいくちづけ。
「君はそうしてあきらめることしかしない。
でも僕は違う。
君に見せてあげるよ、きっと。
僕が。
この世を自分の思うように回してみせる。
君が一生僕を忘れないように。
僕以外の誰も君の心をとらえられないように。
きっとね。」
既に情熱的な恋人の動作に入った彼は息を弾ませている。
その中で繰り返されるその言葉を、ロザリアは半ば夢の中で聞いた。
「きっと見せてあげる。
僕が…。」