Shadow~In Perfect Unison~(10)

くしゅん・・。
ぐずぐずする鼻をハンカチで押さえる。
「大丈夫ですか?」
栗色の髪の少女が心配そうにセイランをのぞき込んでいた。
「ああ、ごめん。
風邪がいつまでも抜けなくってね。」
応えるセイランの声は少しかすれていた。
「喉もはれてるんじゃないんですか?
声・・、おかしいですよ。」
ここ最近、この少女は見違えるほど明るくなっていた。
現在この聖地で行われている試験。
それは別の時空の女王を決めるためのものなのだが、その候補の一人でありながらいつもめそめそと泣いてばかりいた彼女が、最近では本当によく笑う。
なにが彼女を変えたのか。
同じ館に住まう同僚たちは不思議に思っているようだったが、セイランはそんな会話を聞いて内心せせら笑っている。
ばかじゃないのか?
少女が急に自信をもって綺麗になったら。
まず疑うべきは恋。
他にあるのなら見せて欲しいものだ。
「君、このまま女王になるの?」
だから聞いた。
恋をしたなら女王にはなりたくないだろう。
女王になれば、誰かは知らぬがその男と離れなければならない。
こんなに生き生きと輝いている彼女を見れば、彼女がどんなにその男を好きでいるのか傍目にも明らかだ。
そんな大切な恋を手放せるわけがない。
「え?」
途端に彼女の表情が曇る。
思いもかけないことをいきなり聞かれて戸惑っているように見えた。
「どうしてそんな事を聞くんですか?」
セイランはひょいと肩をすくめた。
「どうしてって、だって君が候補を降りるなら、もう試験の必要はないだろう?
だから聞いたのさ。」
「そうですよね。
そうしたらセイラン様はここにいなくても良いんですものね。
外へ出て好きに絵が描ける。
それがお知りになりたいんでしょう?」
きっと見上げた彼女の瞳には、あからさまな敵意があふれていた。
「ご自分のことにしか興味がない。
だったら補佐官か陛下に直接お聞きになったら良いんです。
私は…、話したくありません。」
くるりときびすを返して、彼女はばたばたとあわただしくセイランの部屋を出て行った。
内気ですぐにうつむいていた少女が。
セイランの目を見据えて、自分の心を勝手にのぞくなと抗議した。
恋の威力は恐ろしいものだ。
セイランは呆然として立ち尽くしていた。
だがそれは、彼女のあまりの変貌ぶりにではない。
「そうか…。
女王が決まるってことは、僕がここから出て行くってことなんだ。」
まだたった1度だ。
セイランが欲しいものに触れたのは。
ずっと欲しかったもの。
会う前からずっとずっと身体中で求めていたものだ。
それが終わる?
あの少女の言うように、女王試験の終了と共に終わるのか。
「冗談じゃない。
僕は放す気なんかないよ!」
声に出すと、それはもっと差し迫った現実のような気がした。
窓から、先ほどの少女がかけ去るのが見えた。
あの少女が自分の運命の行方を決めるのか。
セイランは憎々しげにその後姿をにらみつける。
あんな小さく頼りない少女が、誰かを好きになったばかりに・・。
自分の恋のために他人の恋を忌々しく思うことを、セイランは少しも後ろめたく思ってはいない。
白い肌にくっきりと鮮やかな赤い唇。
整い過ぎて男性的ではないそれを、セイランはぎゅっとかみ締める。
「なんとかしないと…。」
藍色の瞳の輝きが強くなった。

候補の一人がその資格を辞退した。
それはそれからすぐのことだった。
寝耳に水だと言わんばかりに驚き、そして嘆かわしいことだと大袈裟に騒いだ者もあったらしいが、セイランはやはり来たかという思いでこの報を迎えた。
「そういうことなの。
私もびっくりしたのだけれど、こればかりは仕方のないことね。
幸いもう一人の候補も優秀で、彼女が女王になることについてなんの不安もないことだし。」
金色の髪の女王補佐官は、心持眉を寄せている。
彼女の前に呼ばれたのは、この女王試験の教官として聖地に召喚された3人の男。
それを順に見つめながら、補佐官は続ける。
「思ったよりずっと早い女王の決定だわ。
あなた方にも思うところがあるでしょうけれど、これも運命だと思うの。
明日にでも陛下から女王試験の終了と新女王の決定が布告されるわ。
そうしたら来週の初めには即位式よ。
あなた方にはいろんな思い入れがあることでしょうから、是非ここまでは付き合ってくださいね。
そうして…。
その後はもとの生活に戻って、それぞれ活躍なさること、陛下も私も祈ってますね。」
もとの生活に戻れ…?
セイランの頭で、その言葉がぐるぐると回る。
できるわけがないじゃないか。
第一自分は望むまま、彼女と時を過ごしたわけじゃない。
たった1度。
たった一晩だ。
それですべてを思い出にして、聖地ですばらしい女性に会ったんだと孫に話して聞かせるような、そんな人生を送れというのか。
セイランの思いも知らず、他の二人は恭しく頭を下げて、そして言ったものだ。
「新女王の決定、おめでとうございます。
その即位に立ち会うことができるとは、一生の輝かしい記憶になるでしょう。
ありがとうございます。
改めてお礼を申し上げます。」
月並みな…!
目を閉じてセイランは表情を隠した。
藍色の瞳に今何が映っているのか、それを他人に知られたくはなかった。
「セイラン?
どうしたの?
気分でも悪いのかしら?」
金色の髪の補佐官が、心配そうに彼に近寄る。
下から顔をのぞき込んだ。
「ずいぶん長いこと風邪が治らないみたいね。
ここのところ、陛下もお加減が悪くておいでなんだけど…。
この風邪は性質が悪いのかしら?」
セイランの視線が補佐官の緑の瞳を射抜く。
「陛下も・・お加減が悪いのですか?」
彼らしからぬ勢いに、補佐官は一瞬たじろいだ。
女王の体調不良に、そんなに興味があるようにはとても思えなかったのである。
「セイラン?」
「いつからです?」
さらに詰め寄る。
他の二人も驚いた表情でその様子を眺めていたが、セイランは気にもしていない。
「そう、2,3週間くらい前かららしいのよ。
ちょっとお熱があるようだったのだけれど、昼間は全く他人に気付かせないような方だから。
私も陛下のお加減が悪いって気がついたの、最近のことなの。
補佐官としては失格ね。」
しょんぼりと肩を落として、金色の頭を小さく左右に振った。
だがセイランの注意は既に彼女にはない。
彼女の言葉。
2、3週間前といえば。
あの夜だ!
あれ以来セイランの風邪も治らない。
ふっと唇がほころんだ。
じわりと温かいものが胸に広がってゆく。
本当のところ、このしつこい風邪が治ってしまうのは惜しいと思っていたのだ。
ただ一つの記念が風邪などとは色気のない話ではあるが、だが確かにこの風邪はあの夜ひいたものだった。
その同じ風邪を、彼女、ロザリアも引きずっている。
もしかしたら彼と同じ思いで。
いや、そうに違いない。
ふ…・。
口元の笑いが声になる。
「セイラン?」
とがめるような補佐官の声。
「不謹慎ですよ!」
ようやく注意を彼女に戻したセイランは、先ほどまでとはうってかわった晴れやかな笑顔で応えた。
「失礼しました。
まだ仕事がいくらか残っていますので、ぼくはこれで。」
補佐官はもちろん、後の二人もがあっけにとられる中、セイランはくるりと身を翻して補佐官の執務室を退出した。