Shadow~In Perfect Unison~(3)
好きにしていろ。
どうやらそういう事か。
セイランは彼の目の前で、
「よく来て下さった。」
だとか、
「あなたのように高名な芸術家に来ていただけて・・。」
とか、綺麗な言葉を並べてゆく、女王補佐官殿のよく動く唇を眺めていた。
大きな緑の瞳が生き生きと表情を変える。
ふっくらとした頬、金色の髪。
「素材としても悪くないな。」
そんな不謹慎なことを考えていたりする。
ほんの何時間か前に。
聖地の門をくぐるとすぐに、セイランはすっきりとした身じまいの女性から声をかけられた。
「お待ちしておりました。
セイランさまですね?
女王補佐官がお待ちです。
どうぞわたくしについていらしてください。」
そう言うと彼女はくるりと背を向けて、彼の先を歩き出す。
角のない小さな白い石を敷き詰めた小道を、セイランは黙ってそれに従った。
「こちらです。」
最後に案内されたのは聖殿奥の一室。
いくつも同じような扉が続くその中の一つの前で、彼女は足を止めセイランを促した。
「どうぞ。
補佐官がお待ちです。」
造りから見てどうやら執務室のようだった。
セイランはためらうこともなく、扉のとってに手をかけて、そしてこういう大袈裟な建物にありがちの重い扉を押し開けた。
「ようこそ。
お待ちしていたのよ。
セイランですね?」
高くて甘い、小鳥のような声が彼を迎えた。
そして、それからずっと、この少女のような声の補佐官は、彼に向ってしゃべりっぱなしだ。
セイランはただ黙って、その様子を見つめているのだった。
よくよく聞けば、今度の彼の仕事は次期女王選出試験の教官ではないらしい。
何処か余所の時空にできた、新しい宇宙の女王。
それを育成し導くための教官。
どうやらそういうことらしい。
だが、まだ肝心の候補が聖地に来ていない。
だから彼はそれまで自由に過ごせ。
補佐官の長いお喋りを要約すれば、そういう事になるのだろう。
「おわかりいただけたかしら?」
語尾が微かに上がる。
にっこり笑った補佐官の表情から、セイランはこれでようやく彼女のお喋りが終わりなのだと理解する。
「はい。」
軽く頷いて目を伏せた。
愛らしい少女のような彼女の表情を眺めていることは、けっして退屈ではなかったけれど、そろそろそれにも飽きてきたところだった。
ちょうどいい頃合だ。
セイランは視線を伏せたまま、くすりと小さく笑う。
「どうかしたの?」
気配に気付いたのか、補佐官が不思議そうな声をかけた。
「いいえ。」
セイランは視線を上げる。
藍色の瞳にはまだからかうような笑いの色が残っていて、それが補佐官の気を悪くする。
「そう?
でもなんだか変ね。
なにがおかしいの?
わたし、おかしなこと言ったのかしら?」
言葉のとおり、正直に不快を訴える緑の瞳。
だからセイランも正直に応えることにした。
肩をすくめて口を開く。
「よくしゃべるなあって思っていたんですよ。
ひっきりなしだ。」
「え…?」
一瞬言葉を失った様子の彼女に向って続けた。
「でも耳障りではない。
小鳥のようでしたからね。
けっこう楽しませていただきましたよ。」
どう反応して良いのかわからない。
金色の髪の補佐官が目をぱちくりしている間に、形だけは丁寧な軽いお辞儀を一つする。
「じゃ、僕は失礼しますよ。
しばらくここで過ごすのなら、あちこち見ておきたいですからね。」
ぱたん…。
ほとんど音をさせないで、セイランが執務室から出て行った。
金色の髪の補佐官は、それでもまだ自分の感情を整理できない状況にある。
からかうような、見下されたような、そんな口調だった。
補佐官の職について以来、ここで彼女にあんな態度を取るものはいなかった。
敬意とつつしみ。
彼女を取り巻く環境では、それが普通になっていた。
そのかけらさえもないようなセイランの口調。
無礼な…!
もっと怒っても良いはずなのに、そうは思えない。
なぜか不快ではなかった。
ふと思いつく。
藍色の濡れたような瞳。
あれだ…。
面白そうにこちらを見つめるあの瞳には邪気がなかった。
言葉どおり、小鳥のおしゃべりのようだと面白がっていたような気がする。
小鳥に喩えられて悪い気のする女性があろうか。
「面白い人。
でもどうかしらね?
なかなかここの人たちと馴染むのは難しいかもしれないわ。」
補佐官は小首をかしげて、頬に指を当てる。
気難しい年長の守護聖の中には、礼儀や規律を重んじる厳格な性分の者もある。
セイランがそれと上手く折り合うだろうかと今から心配だった。
そしてもう一人。
彼女の親友。
気位の高い現在の女王も、セイランには反発するだろうと思われた。
ずいと心の中に入ってこられることを何よりも嫌う。
女王の気質を彼女はよく知っていたから。
セイランのために用意された部屋は、こじんまりとした小さな建物の中にあった。
彼の他に後二人。
教官として招かれた者があり、彼らとその建物を共用する。
どうもそんな具合だった。
個室のドアを開けるとそこは、ゆったりとしたリビングになっていた。
趣味の音楽のために用意させたグランドピアノが中央にでんといすわり、その傍に座り心地の良さそうな淡いベージュのソファがある。
誰の気遣いか、大きな窓辺には丹精された観葉植物の鉢がいくつかあって、シンプルで無駄のない広めの空間を優しく演出していた。
リビングを抜けると小さなキッチンとバスルームが右手にあって、左にはドアが二つ。
寝室と書斎のようだった。
「へえ・・。
まあまあじゃないか。」
わずかの間、仮の宿にはでき過ぎの贅沢だ。
もともと物欲に縁のないセイランであったけれど、快適であればそれはそれで嬉しいことだ。
狭くて暗く不潔な部屋にいるよりは、きっと気分よく過ごせることだろう。
真っ白でいかにもおろしたてのシーツでメイクされたベッドにどさりと身を投げ出したセイランは、いつのまにかうとうとと眠りに落ちて行った。
ふっと気がついた時。
すでにあたりは真っ暗になっていた。
セイランはじっと目を凝らし、暗闇になれてくるのを待った。
だんだんに視界がはっきりとして、壁にかけられた時計の文字盤もなんとか判別できるようだった。
一時。
この暗闇で昼間の一時ということはあるまい。
夜中か…。
ついうとうとと、こんな時間まで眠り込んでしまっていたらしい。
夕食を摂らないで眠ることなど珍しくもない彼だったけれど、さすがに長旅でほこりっぽくなった身体の汚れは気持ち悪かった。
寝室に作りつけられたワードローブから白いバスローブを取り出して、バスルームに向う。
熱い勢いの良い湯が、心身の汚れを流し去ってくれるようだった。
水気の滴る髪を白いタオルでごしごしとやりながら、開け放った窓の傍に立つ。
穏やかな夜の空気がひんやりとして気持ち良い。
肺を洗うように、セイランは大きく息を吸い込んだ。
しんした静寂を破る微かな物音。
控えめで、小さな。
足音?
セイランは耳を澄まし、目を閉じた。
だんだんに近くなってくる。
2階にある彼の部屋の真下を、その足音は通るようだ。
「誰?
こんな時間に。」
好奇心がうずいた。
目を開ける。
青いフード。
目深にかぶったそれから、やわらかいウェーブのかかった長い髪がこぼれて見えていた。
月明かりで微かに浮かぶ白い顔。
息を飲む。
あれは…!!
白いタオルが滑り落ち、ぱさりと乾いた微かな音を立てた。