Shadow~In Perfect Unison~(5)

2度目の機会は、確かにやってきた。
思いの他に手間取ってしまった明日の準備。
それを終えたセイランが帰宅して、わずかのワインでとがった神経を休めようとしていた時に。
夜も更けて、すでにあたりはすっかり寝静まっていた。
白い月夜。
予感があった。
セイランにはなんとなく、それが今夜であるような漠然とした期待が。
微かな足音。
小さな、急ぎ足の。
セイランの動悸が速くなる。
今夜こそは。
まだ彼女の姿は見えなかったけれど、急いで階段をかけおりた。
そして玄関脇の大きな銀木犀の陰で、息をひそめる。
だんだんに近くなる。
いつのまにか握り締めていた拳が汗ばんでいた。

青いフードが見えた。
ほっそりとした白い顔。
襟元をしっかりとかき合わせ、人目をしのぶようにして急ぐ。
じゃりじゃりと小石を踏みしめる小さな音が、息をひそめるセイランのすぐ傍を通りすぎてゆく。
飛び出して声をかけたい衝動を、彼はなんとかこらえた。
今はだめだ。
驚かせてしまう。
小道はその先で二手に分かれている。
彼女がそのどちらかに曲がったら。
セイランは彼女を追うつもりだった。
どっちへ行くつもりだろう。
銀木犀の白い花の陰から、セイランはけっして見逃すものかと目を凝らす。
左に折れた。
よし!
セイランはできるだけ音を立てないように、けれど急いで飛び出した。
後を追う。
彼女に気付かれぬように距離をとりながら。

これ・・は。
行着いた先の光景が、セイランの言葉を奪う。
白い白い月の光。
その下に浮かび上がるこれは…!
憶えがあった。
ずっと昔に。
けれど忘れようもない記憶の中にある風景。
しんと静まり返った湖の向こう。
うっそうとした森の彼方に銀色の城が見えた。
あの城は聖殿。
だが彼には。
高い塔のある古城。
いつか見た、辺境の惑星の、あの古い城に見えた。
「誰?」
呆然として立ち尽くすセイランに、ふいに声がかけられた。

銀色の光が降り注ぐ下、青いフードをはずした彼女がセイランを見据えていた。
長い髪。
ゆるい曲線を描いて白い頬から胸元を隠す。
とがめるように彼を見つめる二つの瞳。
濃い青の。
言葉が出なかった。
身体も動かない。
不思議な感情がセイランを支配していた。
もうずっと長い長い間、焦がれつづけてきた恋人に、ようやく会えたような。
そんな懐かしくて切ない、胸の痛くなるような感情。
まだ口をきいたこともない。
彼女の方では彼の存在を、知ることさえなかったというのに。
「セイラン・・?」
思いもかけず、彼女の唇から彼の名が漏れた。
セイラン。
確かにそう言った。
彼女は自分を知っている。
ただの1度も直々に会ったことはないというのに。
それが彼の心を引き立てた。
「僕を知っているんだね。
でもね…。」
高鳴る鼓動を表に出すまいと懸命に努力しながら、セイランはできるだけゆっくりと彼女に近づいた。
いぶかしげに彼女が眉を寄せる。
「でも?」
「僕も君を知っているんだよ。
多分、きっと、君が僕を知るよりずっと以前からね。」
間近で見る彼女は、彼が知る姿よりずっと大人びていた。
すっきりとした顎の線に続く細く長い首。
透き通るような白い頬に、濃く長いまつげが影を落としている。
「だけど僕の想像以上だったよ、全くね。
会えて嬉しいよ。
ロザリア。」
見開かれた青い目は驚きを隠せない。
謎めいた笑いを含んだ藍色の瞳を、しっかりと見つめ返す。
「どうしてわたくしを知っているの?」

彼女は自分を知らない。
彼が彼女を知るほどには。
当然のことなのだけれど、より多くより以前から、自分が彼女を知っているのだということが、この際セイランを強気にさせた。
にっこりと微笑む。
今度はごく自然に、落ち着いて。
「僕は絵描きだよ?
あちこちでいろんなものを見たり聞いたりする。
君のこともね。」
答えになっていないことは承知だった。
セイランはまだ、自分の手札をすべて見せてしまう気はない。
どうして?
その思いが相手に対する好奇心を刺激することを、彼は自分の経験からよく知っていた。
もっと、もっと彼女の興味を引きたい。
彼は意識的に、自分の言葉に謎めいた響きを載せた。
だが。
思いの外、彼女はあっさりと頷いた。
「そう。」
まるで興味ないのだというような、冷淡な反応。
「それでセイラン。
あなたもここにいるつもり?」
セイランは息を飲む。
抑揚のない、冷たい言葉を発した彼女の表情。
それはあの、彼のよく知る肖像画のそれ。
歳月が流れ、彼女の姿形は変わっていたが、それでも同じだ。
「どうして…?」
言葉が口をつく。
長い間の彼の疑問。
「どうして君は、そんなに不機嫌な顔をしているんだい?」
形の良い眉が、軽い苛立ちにきゅっと寄せられる。
彼女は何かを口にしかけてそれを収め、一呼吸おいて改めて口を開いた。
「この世が、わたくしを中心に回ってくれないからだわ。」
青い瞳が微笑する。
言葉の傲慢さに似つかわしくない、あきらめの混じった表情で。