夜曲(4)

「はい、卵。おまけを1つ、入れておきましたからね」

 淡い水色の髪を背中でまとめた青年が、手籠を返してよこす。
 中には茶色いこぶりの卵が11個。
 割れないようにとの気遣いか、ところどころに古新聞を詰めてある。

「ありがとう。嬉しいわ」

 にっこり笑って礼を言うと、青年はぽっと頬を赤らめた。

「いやだなぁ、ロザリア様。たいしたことをしているわけじゃ、ありませんってば」

 ロザリアが初めてこの惑星に降り立ったあの日に、馬車を出してくれた青年であった。
 あれ以来、一人で暮らしているロザリアに、何くれとなく気遣いをみせてくれている。

「そんなことより、ロザリア様。俺、前から言ってますよね?
このお館に、お一人でお暮らしだなんて物騒です。
今来てる手伝いは通いでしょう?
住み込みのメイドか執事でも、置かれてはいかがですか?」

 眉を寄せて、青年はこれまで何度かこれと同じことを、ロザリアに薦めていた。
 平和がとりえの穏やかな海洋惑星であるとはいえ、人が集まる中には不埒な者もいるものだ。

「この町の者なら、変な真似しやしませんけど、他所から来る者がまったくないってわけじゃない。
夏の観光シーズンになれば、そんな輩がうようよ湧いて出ますよ。
ね、ロザリア様?」

 青年の言葉は、心からロザリアを心配してのものだと、よくわかる。
 それこそ他所から来たロザリアのことである。
 ほうっておいても、この町の住人にはまるでかまわぬことだろうに、彼はおりにつけ機会をみつけては、一人暮らしは危ないと忠告してくれた。

「ありがとう。
そうね。もう少しわたくしがこの惑星に慣れたら、考えてみるわね。
今はまだ、様子もわからなくて……。
知らない人と一緒にいるのは、かえって疲れそうなの」

 すべてではないにせよ、半ば以上の本音で、ロザリアは答える。
 青年の心遣いはありがたかったから、できるだけ彼の気持ちを踏みつけにしないよう、気を悪くさせないようにと言葉を選んだつもりである。

「ロザリア様は、本当に頑固だ。こんな綺麗な顔をしているのに、言い出したらきかないんだ」

 苦笑しながらそれでも彼は、付け足した。

「仕方ないから、今日のところはロザリア様のおっしゃるとおりにしておきますよ。
でも約束ですよ。夜はしっかり鍵をかけて、けっしてお一人で外にお出かけにならないこと」

 笑いながら、ロザリアは頷いてみせる。
 それもいつものことで、だから青年は不承不承の態でふうとため息をつく。

「なにかあったら、すぐに誰かを呼ぶんですよ?
車があるんだから、いざとなったら抵抗なんかせずに、すぐに逃げること」

 まだまだ続きそうな彼の注意に、ロザリアはついに声をあげて笑い出した。

「笑い事じゃないですよ。もう……」

 青年の馬車を玄関口で見送った後も、ロザリアの顔には微笑が残っていた。
 混じりけなしの素朴な優しさが、嬉しかった。

「気をつけてね」

 もうとうに小さくなった彼の背中に、声を送った。

 

 細かく刻んだ紅茶の葉を、柔らかく泡立てたバターに合わせる。
 新鮮なできたてのバターは、白っぽく優しいクリーム色をしているのだと、ロザリアはここへ来て初めて知った。
 ふんわりと甘いバターと紅茶の芳しい香りが、最初はそれぞれ別々に、己の個性を主張する。
 その後混ざり合う。
 優しく甘く、香り高く。
 頃合を見計らって、ロザリアはふるった砂糖を合せてゆく。
 そして肌理の細かい上質の粉。
 ピンと角をたてたたっぷりのメレンゲを、数度に分けてその次に。
 旧式のオーブンの鉄の扉を閉めると、ロザリアはほうと息をついた。
 後片付けをしようと、ボウルを持ち上げた時に。

「それはわたくしのために?」

 振り向かぬまま、ロザリアは微笑する。
 そろそろだろうと思っていたから。

「ええ、そう。お好きでしょう?」

 ゆっくりと振り向いた先に、水色の瞳が笑っている。

「あなたがお作りになるものなら、なんでも」

 そう言いながら近づいて、ふわりとその腕にロザリアを閉じ込める。

「ですが……」

 美しい眉を顰めて、物憂げな視線を落とす。

「どうかして?」
「わかってはいるのですが……」

ふいと顔を背ける。

「わたくしは貴女の傍に、ずっといて差し上げられません。
だから仕方ないのだと」

 何か彼の機嫌を損ねるようなことをしただろうか。
 黙ったまま、自分の行動を思い返すロザリアの様子に、恋人の腕の力は強くなる。
 さらに強く抱きしめて、沈んだ声で続けた。

「たった一人でここに住む女性が、それが貴女のような方であれば…。
誰でも気遣わずにはいられないでしょう。
足しげく、様子を見に来たとしても、仕方のないこと。
わかっているのです」

 ようやくロザリアは気づく。
 夕方、卵を届けてくれた、あの青年のことを気にしているのだと。
 嫉妬しているのだと、そう思うとおかしくなった。
 ロザリアも人ならぬ時を生きた身であれば、好むと好まざるとに関わらず、人の感情の機微には数々出会ってきたものだ。
 その中には、報われぬと知りながら、それでも彼女を求めてくれた男もあり、そんな場合には表情や言葉、気配で、その感情はなんとなくわかるものだと知っている。
 この惑星の青年から、その激しい感情はうかがえない。
 まるで血のつながった家族の身を気遣うように、ロザリアを気にしていてくれるだけだと思う。
 そこに僅かな憧れがないとは思わなかったけれど、それは恋ではない。
 だからロザリアも安心して、彼に甘えていられるのだ。

「まぁリュミエール。何をおっしゃるかと思えば。
おかしいわ」

 くすりと小さく笑いを漏らす。

「貴女にはおわかりにならないでしょう。わたくしがどんな思いで過ごしているか。
貴女のお傍にあれぬ朝と昼、どんな思いで」

 苦しげな声が降る。
 たかが日常の一コマに、あまりに不似合いな沈痛さで、怪訝な思いでロザリアは顔を上げた。

「リュミエール、本当にどうなさったの?」

 息を飲んだ。
 沈んだ水色の瞳は、瞬きもせずじっと彼女を見下ろしている。
 白い頬に血の気はなく、固く引き結ばれた唇は震えていた。
 ただならぬ様子の彼に、ロザリアは思わず手を伸ばす。
 その手を掴んで、恋人は唇を押し当てた。

「気の狂うほどの長い時間でしたよ、ロザリア。
ただあなたにお目にかかりたい。もう一度貴女をこの腕に抱きしめたい。
それだけを願い続けて、わたくしはお待ちしたのです。
それなのに、わたくしには止められない。
夜にしか、こうして貴女の前に姿を現すことの出来ぬ身です。
わたくしのいない朝と昼に、貴女に言い寄る誰かがいても、わたくしには止めようもない。
止めようも……」

 唇からこぼれる言葉は、だんだんに昂ぶりを増す。
 痛いほどに握られたロザリアの手は、普段のリュミエールらしくもない乱暴さで引き寄せられた。

「貴女はわたくしに聞かないのですね」

 昂ぶりを残したまま、恋人は皮肉な微笑を浮かべる。

「おかしいと、お思いにならないわけはないでしょう?
なぜわたくしがこうしていられるか。
人に戻ったわたくしに、貴女をお待ちできるはずはないのに」

 ロザリアは息をつめて、じっと恋人の水色の瞳をみつめた。
 そして穏やかに微笑する。

「そうね。聞きませんでしたわ。
そしてこれからも、うかがう気はありませんわ」

 恋人の水色の瞳が、大きく見開かれた。

「リュミエールがいる。わたくしの前に、ここに。
それだけで、わたくしは幸せですもの。
それ以上にわたくしが望むものなんて、何もありませんわ」

 本心だった。
 聞けばきっと、恋人は答えてくれるだろう。
 けれど同時に、それは二人の別れを意味するのだと、ロザリアは知っていた。
 おそらくは人外の力を借りたものだろう。
 人の世にあってはならぬ力を借りた姿なら、人の世にあるものに正体を明かすことは禁忌のはずである。
 正体など、知りたくもない。
 そんなことより、ロザリアはそうまでして自分の傍にいたいと願ってくれた恋人を、心から愛しいと思う。
 たとえ夜だけにしか許されぬ時間だとしても、それがいつまで続くかわからぬ時間だとしても、恋人が切ないほどの思いで彼女にくれたものならば、なんの不足があるだろう。

「わたくしは幸せよ。リュミエール」

 重ねて口にする。
 目を閉じて、リュミエールは微かに笑った。

「ありがとうございます。本当に……。
愛しい、わたくしのロザリア」

 甘いケーキの香りが漂って、そろそろ焼き上がりの近いことを、二人に知らせる。
 焼き上がりから少し寝かせる頃合が難しい。
 リュミエールの好みに合わせるためには、もうそろそろオーブンから出しておかなくてはならない時間であった。

「楽しみですわ、リュミエール。一緒にいただきましょう?」

 夜がもう少し更けた頃、リュミエールの淹れた紅茶といっしょに。
 明日に持ち越すわけにはゆかなかった。
 明日の朝、夜の明けぬうち、姿を消す恋人のために。