萱葺きの城(3)
休日の朝は静かなものだ。
日頃の疲れを癒すため朝寝を決め込む輩には、是非ともそうあって欲しいもの。
ここ聖地でもそれは例外ではない。
つい先だって始まったばかりの女王試験のおかげで常にも増して執務量の増えた守護聖たちには、貴重な休養の一日だった。
普段なら夜明けと同時に始まる聖地中の清掃も、今日はお休み。
小鳥でさえ控えめにさえずっているようだ。
なかでも特に夢の守護聖の私邸周辺では、さらなる静寂が要求される。
館の主は低血圧で寝起きが悪い。
休みの午前中など死んだ様に眠っているはずだ。
たたき起こそうものならば、「とてつもなく不機嫌」のオーラに包まれた、幽霊のようなオリヴィエの歓迎にあうことだろう。
だが何処にでも例外はいるもので。
子どもというものは、何故だか休みになると妙に早起きだ。
普段はちっとも起きないくせに、休日の朝には自発的に起き上がって、出かけたりする。
もちろん遊びに出かけるのである。
聖地のお子様だってそうらしい。
今日も朝から元気なようだ。
鋼の守護聖のゼフェル、緑の守護聖マルセル、それに風の守護聖ランディーである。
お子様と呼ぶにはそれぞれトウがたっているはずなのだが、何と言っても周りが年かさの大人びた者ばかりなので、いつまでも子ども気分でいられるのだろう。
それが彼らの精神的な成長を、遅れさせているのかもしれない。
子どもは大声で叫ぶものだ。
あたりかまわずに。
「やだー、やめてよー。
ゼフェル~。」
そう、こんな風に。
オリヴィエの私邸の庭は、森へ抜ける近道になる。
お子様守護聖たちがそこを使うことについて、オリヴィエが苦情を言った事はない。
守護聖の私邸は、その任にある間だけの仮の宿。
もともと自分の庭ではないのだから、好きなようにどうぞといった風である。
だが、それには条件がある。
休日の朝の静謐。
これだけは絶対に譲れないものだった。
庭に面したオリヴィエの寝室に、下の騒ぎが上がってくる。
「ち!何やってんだか。」
オリヴィエは上掛けを引っかぶって、ベッドに深くもぐりこむ。
だが一度気になりだした気配と物音は、思いの他気に障るもので。
「てめー。
大きな声出すんじゃねー。
派手なオッサン、まだ寝てんだぜ!」
辺りを憚るようなゼフェルの小声まで、しっかり聞こえてくる。
「・・・。
だれがオッサンだって?」
ただでさえ寝不足で、ずんと頭の重いオリヴィエのカンにさわる言葉だった。
「おい、ゼフェル、聞こえるぞ。
オリヴィエ様は、その手の言葉にウルサイ人なんだから。」
諌めるランディーの声は、相変らずよくとおる。
元気はつらつ、結構なことだ。
「ああ、トシよりは耳ざといっつーからな。
早くこの庭、抜けちまおうぜ。」
トシより・・・。
上掛けの中で、オリヴィエの鼓膜にその言葉がリフレインする。
このままやり過ごしても、もう一度安らかに眠ることは出来そうもない。
安眠妨害の悪ガキどもを、一喝してやらねば。
休日の朝、このオリヴィエをたたき起こしてくれたのだから。
上掛けをはがしてのそりと起き上がり、ふらつく足でバルコニーへよろよろと向かう。
厚いカーテンを引くと、いきなりまぶしい陽射しが寝不足の目裏にちかちかと星を映した。
「ねえ、ゼフェル~。
あのね、もう遅いんじゃないかな。」
一番年少のマルセルの声が震えている。
スミレ色の大きな瞳が、本気で脅えていた。
「あん?
なにがだよ?」
「ほら、あそこ・・・。」
マルセルの指さした先に視線を移した後の二人は、その場で凍りつくことになる。
いつも美しいウェーブを描いている金色の髪は、みごとにぼさぼさ。
顔色は最悪に真っ青。
乱れたままの絹の夜着。
幽霊のように不気味な姿のオリヴィエが、そこに立っていたのである。
「あの・・。
オリヴィエ様、おはようございます。」
最初に立ち直ったのはランディーだった。
さわやかな笑顔で、バルコニーを見上げる。
「・・・・・。
元気だねえ、休みの朝から。」
後半の凄みのきいた響き。
かすれて小さな声だったが、3人を十分震えあがらせた。
「あの・・、オリヴィエ様。
でも、もうすぐお昼ですよ。」
場を取り繕おうと一生懸命なのは良いけれど、時にそれが地雷を踏むことになるとランディーは知らない。
「昨夜は遅くまでお仕事だったんですか?」
・・・・・・・・・・。
数秒の気まずい沈黙。
「ば・・ばかやろー」
「ランディー!」
ほぼ同時に叫んで、マルセルとゼフェルがランディーの口を塞ぐ。
恐る恐るバルコニーのオリヴィエを見上げると、相変らず幽霊のような青い顔をしているが、今のランディーの言葉で新たに感情を害した様子はないようだった。
だがゼフェルたちにわからないだけかもしれない。
休日の前夜、オリヴィエがしていることがよくわからないように。
ここはさっさと退散するにしくはない。
「ああ、悪かったな。
今度から気をつけっから。
じゃあな!」
オリヴィエと目を合わせないまま、ゼフェルが放り出すように言った。
そしてランディーを引きずるようにして、ずんずん森の方角へと歩き出す。
「オリヴィエ様、本当にごめんなさい。」
ぴょこんと頭を下げて、マルセルもあわてて後を追った。
怒鳴りそびれてしまった。
残されたオリヴィエはぼーっとした頭で、そう思った。
昨夜自分のベッドに入ったのは、もう明け方近くになってからだ。
ランディーの言うとおり今がお昼前だとしても、まだ後何時間かは眠っていられるはずだったのに。
「ったく、いまいましいガキどもだね。」
吐き出す苛立ちにも力が入らない。
完全な寝不足だ。
ただでさえ寝起きは気分が悪いというのに、今日の目覚めは最悪だった。
「よう!
珍しいな、もう起きてるのか?」
軽いめまいがした。
馬の蹄の音と共にかけられた艶のある低い声。
オリヴィエには見るまでもなく、その主がわかる。
「どうした?
今朝はえらくまた、ひどい格好じゃあないか。」
門前に馬で乗りつけた炎の守護聖オスカーが、からかうような口調で続けた。
「さっき坊や達が駆けてったようだが、そのせいか?」
ふうと一つ息を漏らして、オリヴィエはもう一度眠ることを諦めた。
こう度々誰かに会うような日は、潔く諦めた方が良い。
「入っておいでよ、オスカー。
お茶くらい淹れたげるから。」
さっきよりはマシな声が出た。
かすれてはいるが、有声音に近い。
「いいのか?」
そう言いながら、赤毛の長身は既に馬から下りている。
門の鍵はオートロックになっているのだが、彼は暗証番号を知っていた。
「勝手にやっててね。
わたしはシャワーで目を覚ましてくるから。」
その方向へ向かって声を投げると、オリヴィエは寝室へ戻った。
オスカーは気の張らない良い話し相手だ。
くだけた話のできる、まあ遊び友達といったところか。
今日もきっと、彼の英雄譚の幾つかが聞けることだろう。
別段オリヴィエは他人の色事に興味がある訳ではないが、この不快な寝不足の頭にはちょうど良い軽い話題に思われた。
「さて。」
自分に気合を入れるように、声を出す。
たっぷりの香料を落とした湯に浸かって、目を覚ますことにしよう。
柑橘系の湯気を立ち上らせながら、オリヴィエがリヴィングに現れたのはたっぷり一時間の後だった。
こんな扱いに慣れているオスカーは、ソファでコーヒー片手に女物のファッション雑誌に目を通している。
「相変らず研究熱心だねえ。」
丸みのある柔らかく低い声。
ようやく本来の体調に近くなった証拠である。
「よう、やっとお出ましか。
まったくいつもながらおまえの長風呂は、淑女並だな。」
薄い青の瞳が、光線の加減で銀色に見える。
切れ長の少し吊り上った目を和ませて、オスカーがコーヒーカップをわずかに持ち上げてみせた。
この笑顔に心をもってゆかれた女性も多いのだろう。
それが不思議ではない、ちょっと幼くてかわいらしいオスカーの笑顔だった。
強くて気障な美丈夫が、こういう表情もしてみせる。
多分、無意識に。
彼は天性の色男なのだ。
本人は気障なセリフや女性誌の研究に努め、それなりの骨を折ってプレイボーイを気取っているつもりのようだが、実のところその魅力は、時折のぞく素のままの彼の表情によるところが多いのではないかとオリヴィエは思っている。
「まあ、美しさをもたらす夢の守護聖としては、己の美貌の管理にも手抜きはできんか。」
オスカーはちょっと意味ありげな目配せをして笑う。
「超過勤務の後だしな。」
「アンタらしい言いぐさだね。」
白い厚手のバスローブの前をゆったりとかき合わせて、オリヴィエはオスカーの正面に腰を下した。
「気に障ったのか?」
「別に・・。」
ほんの少しだけ顎を引いて、俯き加減になったオリヴィエがくすりと笑った。
「気を遣われるようなことじゃないからね。」
超過勤務。
まあそうかもしれない。
それにしても休日の前夜オリヴィエがしていることについて、こうして面と向かって冗談口がきけるのは、オスカーだけだろう。
他の同僚は皆、それにはできるだけ触れないようにしているというのに。
オスカーのそういうストレートな気性は、嫌いではなかった。
無神経に触れているわけではなく、むしろ触れないでいることの気まずさを嫌う気遣いのようだ。
右か左か、白か黒か、はっきりしたものを好む激しい気性ではあるが、微妙な大人の情趣についてのカンの良さとその対処のスマートさは、他の同僚にはないものである。
「私のことを聞きたくて来たわけじゃないんだろう?」
濡れて濃さを増した金色の髪を、オリヴィエはうるさそうにかきあげた。
素顔の輪郭がはっきりと現れて、無駄のない顎の線や形の良い額が目を惹いた。
「で、今度は何があったって?」
「ん、何があったというほどの事かはわからんが・・。」
「ん?」
「ロザリアだ。」
つい先だって聖地にやってきた、次期女王候補の少女の名前だった。
何度か彼の執務室に、育成の依頼に来ていたはずだ。
気の強そうな青い瞳が印象的な少女だったような記憶がある。
しかし試験に興味のないオリヴィエには、あまり関心のない話題であった。
「へえ・・。」
「いや、俺としたことがちょっとドジを踏んだようでな。」
赤い前髪をクシャっとつかんで、オスカーがため息をついた。
「どうも彼女を傷つけちまったらしい。」
「あきれたね。
アンタ、もう彼女になにかしたわけ?」
彼女たち女王候補がこの地へ来てから、まだ一月にもなっていない。
オスカーの速攻は十分承知のオリヴィエではあるが、相手が悪い。
次期女王候補に手を出したとなれば、まあ、いろいろとウルサイ筋の同僚が騒ぎだすことだろう。
「いい加減にしときなよ。
なにもあんなお子様に手を出さなきゃならないほど、アンタ不自由してないでしょう?」
「おいおい、誤解するなよ。
俺はあのお嬢ちゃんに手なんか出しちゃいないぜ。」
大袈裟に顔をしかめて首を振り、オスカーは話し始めた。
「今朝、朝駆けに出かけた時のことだ・・。」