萱葺きの城(4)

 

昨夜深酒をしすぎたらしい。
今朝の目覚めは、あまり心地よいものではなかった。
それでも長年の習いで、オスカーは早朝から筋力トレーニングのメニューをこなした。
一汗かいた後で、空を見上げると抜けるように高い。
こんな日は、家でくすぶっているのが勿体無いような気がした。
五分後。
オスカーの姿は、愛馬の背にあった。

休日の聖地は、多分この世の何処よりも静かで穏やかだ。
駆けてゆく愛馬の蹄の音の他、何も聞こえない。
湿った朝の風を切って、木々の香りにシンクロしてゆく。
鞭を一つ入れた。
目の前の景色が後ろへ後ろへ流れてゆく。
戦意の昂揚に似た興奮が、オスカーの身の内で目覚め始める。
ぴしりと2度目の鞭を入れると、馬は全速で森の奥へと駆けこんでいった。

馬道の切れたところには、湖がある。
全速で飛ばしてきた馬の水場にちょうど良い。
オスカーはいつもそこで、小休止をする。
湖の入り口近くで手綱を引き絞り、馬のスピードを落とした。
馬の口から荒い息が白い塊となって、幾つも立ち上っていった。

カッカッカッカ・・・・・・。
蹄の音が近づいてくる。
多分ジュリアス様だろう。
謹厳な首座の守護聖が、乗馬を好むことをオスカーはよく知っていた。
それに休日のこの時間、他の者とここで会うとは考えにくいことだった。
第一この規則的で大胆な蹄の音。
これほどの乗り手が、あの方をおいてこの聖地にあるはずが無い。
じきに金の髪をなびかせたジュリアス様の姿が見えるはずだ。
馬を馬道の端に寄せて、オスカーはその姿を待った。

靄に霞む馬道の向こうから、栗毛の馬体が現れた。
大きな足さばきで、前足が思いっきり地面をかいている。
乗っているのは・・。
オスカーは目を凝らした。
彼が期待していた人物ではないようだった。
黒い乗馬服と揃いの帽子からのぞくのは、紫がかった長い髪。
ロザリアか・・・?
前傾姿勢をとった彼女が馬の耳元で鞭を振る。
ヒュルン!
鋭いうねりに馬が反応する。
跳びがさらに大きくなり、ストライドが長くなった。 
「ほう・・。」
オスカーは嘆息した。
たいしたものだ。
鞭をいれずに、そのうねりだけで馬に意思を伝えるとは。
彼女の技術もさることながら、馬も相当に賢いのだろう。
彼女の方からもオスカーの姿を認めたのか、ロザリアは軽く鐙を踏みしめ手綱を引き絞った。
馬は即座に早足になり、やがてゆったりとした歩調にまでスピードを落とした。

「よう、お嬢ちゃん。
見事なお手並みだったぜ。」
黒いリボンで束ねられた長い髪が、風に乱れて幾筋かこぼれ落ちている。
上気した頬と弾んだ息で、ロザリアはオスカーに応えた。
「おはようございます、オスカー様。」
白い肌にきつい青の瞳の、冷たい美貌の少女。
それがオスカーの、ロザリアに対する印象だった。
だが、今目の前にいる少女は・・・。
平静を取り繕おうと口元をきゅっと引き結んではいるが、ばら色に染まった頬や興奮に潤んだ瞳は隠しようもない。
彼女は今の今まで楽しんでいたのだ。
そう気がつくと、オスカーは彼女の新しい顔をもっと知りたくなった。
誰も知らない彼女の素顔を。
「お嬢ちゃんが馬をやるとはな・・。
それは、うちから連れてきたのか?」
片手で手綱をクイと引いて、オスカーは馬をロザリアの隣につける。
「見事な馬だな。
オスのようだが・・。
お嬢ちゃんに、よく乗りこなせることだ。」
「お褒めいただいて光栄ですわ。」
軽い揶揄を含んだオスカーの挑発を、ロザリアはさらりとかわした。
ぴんと背筋を伸ばした綺麗な姿勢で、軽く鐙を踏んで馬を動かし、オスカーとの距離を適度なものに調節する。
それはとても自然な動きで、接近戦に持ちこんで甘い言葉をささやこうとしていたオスカーの機先を制したのだった。
なかなかやるな。
こういう手応えのある女性が、オスカーの好みなのだ。
久しぶりに獲物に出会った猟師のように、彼の薄い青の瞳が輝いた。
「わたくし、この仔にお水をやりたいのでお先に失礼いたしますわ。」
口元をわずかに上げただけの儀礼的な微笑を残して、彼女は馬を先に進める。
その微笑が、オスカーの厄介な闘争心に火をつけることも知らないで。

森の奥にぽっかりと開けた湖の風景は、いつも気持ち良い。
水と木に浄化されたここの空気は、この聖地でも一番おいしいのではないだろうか。
だが今日のオスカーには、それを楽しむよりもっと楽しみたいものがある。
彼からホンの5メートルばかり先で、馬に水をやっている少女。
その彼女と親しくなること。
それが今日の目標であり、楽しみだった。
一旦決めた標的は必ずものにする。
それはいつの頃からかオスカーがずっと守ってきた、ポリシーのようなものだった。
だから今日も・・・。

「お嬢ちゃん。」
ロザリアが顔を上げた。
ゆっくりとオスカーが近づく。
青い瞳はぴたりと彼女の瞳を捉え、逸らすことを許さない。
この間合い、強い視線。
伊達に場数を踏んできたわけではない。
オスカーは自信に満ちた態度で、彼女の前で足を止めた。
「どうした?俺が怖いか?」
ふんと鼻先で笑ってみせる。
「怖がってなどいませんわ。」
からかうようなオスカーの視線を、ロザリアがキッと睨み返した。
「オスカー様、そういうおっしゃりようは、わたくし不愉快です。
やめていただけませんか。」
ぞくぞくする。
例えば凄腕の剣の使い手、強い獲物、そういうものに出会ったときに感じる戦慄が、オスカーの背中に走った。
「怖がってないのならいいさ。
そんなに怒ることはない。」
「怒ってなど・・。」
「ほうら、怒ってるじゃないか。
怒りに染まるその瞳もなかなか魅力的だが、俺としてはもっと別の色を浮かべた瞳に見つめられたいと思っているんだがな。」
ほとんど触れんばかりの距離にまで顔を近づけて、オスカーはにっこりと笑った。
切りこむような薄い青の瞳を、こころもち和ませて。
ロザリアの頬が染まる。
それでも彼女は目を逸らさなかった。
逸らした方が負けだと知っているのだろうか。
「そ・・そういうお言葉は、他の女性におっしゃってください。
わたくしはその種の冗談が嫌いです。」
オスカーの獲物は、どこまでも気位が高い。
恋の手管になれていない深窓の令嬢ならば、即座に落ちるはずであるのに。
「聞かなかったことにしてさし上げますわ。」
最後には彼に向かって優位に立とうとさえする。
愉快だった。
これは本気になっても良いかもしれないと思う。
「それは困るな。
しっかり覚えておいてくれ。
俺の本心なんだからな。」
快活な曇りのない声で、オスカーは笑った。
「俺は女性に嘘をつくような不実な男ではないぜ。」
「もうやめてくださいと申しておりますのに。」
これ以上聞く気はないと、ロザリアは首を振った。
その小さな顎を長い指で捕えて、オスカーはもう一度彼女の瞳を覗き込む。
「特に・・お嬢ちゃん、君には嘘をつかない。
約束するぜ。」
「・・・・・!」
ロザリアはしばし抵抗することも忘れたように、オスカーの薄い青の瞳に見入っていた。
「炎の守護聖オスカーの約束だ。
千金の値打ちのある誓いだとは思わないか、お嬢ちゃん。」

突然オスカーの背中がドンと押された。
鍛え上げた足腰のおかげで無様につんのめることだけは避けられたが、それでも決めの場面を邪魔されたことにかわりはない。
キッと後ろを振り向く。
いったい誰が!
鼻息を荒くして睨みつける大きな黒い瞳。
オスカーと目が合うと、シュプリーム号は踏み潰さんばかりの勢いでオスカーに近づいた。
ぶるるるるる!!!
口がきけないのが残念なことだろう。
「ロザリアから離れろ!!」
もし彼が喋れたら、きっとそう言ったに違いない。
彼はオスカーとロザリアの間に入りこみ、まだオスカーを睨み下している。
「まあ!」
ロザリアが心底おかしそうに笑った。
警戒心も気取りもない、とても自然な笑顔だった。
オスカーは一瞬、怒りも忘れてそれに魅せられる。
「だめよ、シュプリーム。
この方はね、守護聖様なのよ。
乱暴してはだめ。」
本当に叱っているのではない事がよくわかる、形ばかりの叱責だった。
「大丈夫。
もうおかしなことはなさらないわ。
おまえが怖い仔だって、十分わかっていただけたはずだから。」
それはオスカーに聞かせるための言葉のようだ。
けれどさっきまでのかたくなな拒否の言葉とは違って、優しい響きが感じられる。
ロザリアにとってこの馬は、どうやら特別の存在のようだった。

作戦変更だな。
オスカーはまだ諦めていない。
昔から言うではないか。
将を射んとすれば先ず馬を射よ。
この場合、なんとぴったりの格言であることか。
ロザリアに心を開かせるには、先ずこの憎らしいシュプリーム号の話で気をひくことだ。
憎らしい馬ではあるが、確かに良い馬だった。
聖地の牧場にも、これほどの馬体の馬はいないだろう。
「お手柔らかに頼むと言っておいてくれよ、お嬢ちゃん。」
先ず軽く切り出した。
「この立派な胸前の筋肉はすごいな。
こいつに蹴飛ばされたら、俺だって骨の一本くらいは持ってゆかれるだろうな。」
「あら、この仔に蹴りグセはありませんわ。
よっぽどのことがない限り、人を蹴ったりなんて・・。」
思ったとおり、ロザリアはムキになって言い返す。
「でも、そうですわね。
もしこの仔が本気で蹴飛ばしたら、1ヶ月はベッドから離れられなくおなりでしょうね。
だから、オスカー様もこの仔を怒らせないでくださいませね。」
得意そうな響きが感じられる、笑いを含んだ優しい声だった。
「幾つになるんだ?
まだ子どもっぽいところがあるようだが。」
まだ睨みつけているシュプリーム号を、オスカーは見上げる。
「三歳くらいか・・?」
「よくお分かりですのね。」
感心したというように、ロザリアがほんの少し目を見開いた。
「お詳しくておいでですのね。」
「昔、生家の馬がダービーに出たことがあってな。
まあ、それで少しは知っているのかもしれないな。」
オスカーの瞳にわずかに影がさす。
生家のことを思い出すのは、やはりつらいものらしい。
「ダービーに・・。
強い馬だったのですわね。」
ロザリアは、気がつかないフリをするつもりのようだった。
他人に感情を読まれるのが愉快ではないオスカーとしては、彼女の気遣いは心憎い。
「ああ。強い馬だったな。」
オスカーが気を取り直したように笑って見せる。
「だが、こいつと比べたらどうだったかな。
こんなに立派な馬体ではなかったぜ。」
オスカーは自身の言葉を確かめるように、シュプリーム号に近づいた。
軽くそのわき腹に触れる。
「サラブレッドにとっては一生に一度、4歳の春にしかチャンスのない栄光のレースだ。
それを考えると、こいつにも参加させてやりたいような気もするな。」

応えはなかった。
オスカーはただならぬ気配を感じて振り返る。
先ほどまで笑っていたロザリアの表情が、凍りついていた。
「お嬢ちゃん?」
近づくオスカーの視線を、今度ははっきりと彼女は避けた。
「わたくし、部屋へ戻って明日からの準備をしなければ。
これで失礼いたしますわ、オスカー様。」
そう言った後は、オスカーに一瞥もくれず、ロザリアは再び馬上の人となった。
来たとき同様鞭を使わず、鐙の力加減だけでその意思をシュプリーム号に伝える。
意思だけでなく、一刻も早く立ち去りたいという彼女の感情までも読み取ったシュプリーム号は、本当に風のような勢いで駆け去っていった。

しまった。
そう思ったときは、遅かった。