Forever&Ever(19)

冷たい大理石の廊下は、ヒールの靴には不向きだった。
特に今日のように細いピンヒールを選んだ時には、急ぎ足で歩く事さえ注意しなくてはならない。
つるつると滑り、バランスを崩しがちである。
だが今のロザリアは、そんな用心も忘れている。
駆け出したいほどの焦りをそれでもようやく抑え付け、目指す部屋へと急いでいた。
ぴったりとすそを絞った長めのドレスが忌々しい。
スリットをもう少し深くしておくのだった。
美しく見せる事を最優先に作られた、彼女のドレスや靴である。
今度はもっと実用的なものにしよう。
苛立つ心でそう思いついたロザリアは、ふと足を止めて笑いを漏らす。
「綺麗でなくちゃ。
あんたはいつも綺麗でいなくちゃダメなんだよ。
素材は、最高。
この世で1番の素材なんだからね。」
初めてこのドレスを身につけた時、彼女の周りをぐるりと回って彼はそう言った。
その時の恋人の満足げな表情。
「少し動きにくいような気がいたしますわ。」
あの時、ロザリアはやはりそんな不平を鳴らしたような覚えがある。
だが即座に返ってきたのは、
「だめだよ。
綺麗でいるのには、多少の我慢がつきものだからね。
それに慣れる事。
あんたにはいつも綺麗でいてもらわなくちゃ。」
笑いを含んだ恋人の声。
背中からそっと、ロザリアを抱き寄せて。
そんな日もあった。
穏やかで優しい、そんな日も。
胸の奥に熱い塊が生まれ、そしてそれはどんどん大きくなってのど元にまでこみ上げた。
鼻の奥がつんとする。
じわりと滲み出した涙を指で乱暴に払うと、ロザリアは再び歩き出す。
会おう。
とにかく彼に。
そうすればこのもやもやした気分にも、きっとはっきりケリがつく。
怖れてはいけない。
怖れて逃げて、それで何も解決などしないのだから。
先ほどよりは少し緩めた歩調。
しっかりと背を伸ばしたロザリアの姿は、いつもの美しい補佐官のそれだった。
恋人が愛してやまない、美しいロザリアの。

「わたくし、ロザリアですわ。」
夢の守護聖の執務室の前。
何度かの控えめなノックの後、ロザリアは落ち着いて声をかけた。
やや間があって、内側から扉が開く。
その隙間から漏れた照明がまぶしくて、ロザリアは思わず目を細めた。
「まだ仕事をしていらしたのね?」
執務用に調整された照明の色だった。
普段のオリヴィエが、昼間色の優しい照明を好むことをロザリアはよく知っていた。
こんな強い明かりは、執務の最中にしか使わない。
「ああ、もう終わるよ。
入って少し待っててくれる?
すぐに片付けてしまうから。」
逆光になった恋人の表情はロザリアには見えなかったけれど、その声はいつものとおり深く優しい。
くるりと背を向けたオリヴィエはすぐに執務机に戻り、言葉どおり後少しになった書類の片付けを始めるようだった。
執務机の隣りにあるソファに、ロザリアは腰をかける。
大人しく、そこで彼の仕事が終わるのを待つのである。
それは彼女が女王候補であった頃から、幾度となく繰り返されたこと。
こうして彼女は、少し離れた執務机で難しい顔をして書き物をする、オリヴィエの横顔を眺めてきたものだ。
金色の長い髪が端正な横顔にこぼれ落ち、それをときおりうるさそうに彼はかき上げる。
すっきりととおった鼻筋に薄い唇。
女王候補だった頃、息をつめてそれに見蕩れたことを思い出す。
普段軽口ばかりたたいているオリヴィエの、滅多にはない張り詰めた表情で、それはとても新鮮だったものだ。
だが今のロザリアは、それよりもっとたくさんの彼の表情を知っていた。
そしてそれがどんなに魅力的で美しいか。
彼女だけが知る彼の表情は、どれもそれは魅力的で。
いったい自分は何が不満だというのだろう。
恋人の横顔をじっと見つめながら、ロザリアは自分の心に問いかけた。
彼はいつもいつも、ロザリアをこの上もなく大切にしてくれたというのに。
「大人過ぎるのだわ。」
知らぬ間に声に出していたらしい。
彼女の視線の先で、オリヴィエがゆっくりと顔を上げた。
「誰が?」
横顔を向けたまま、ぽつりと応えていた。

「あ・・・・。」
思わず口元を押さえたロザリアに、オリヴィエの暗く沈んだ青の瞳が向けられた。
「それは私のこと・・だよね?」
泣いているように見える笑顔。
こんな心細げなオリヴィエを、ロザリアは初めて見たような気がした。
「オリヴィエ・・・。」
ロザリアは思わず立ちあがった。
そしてはっと我に戻る。
彼はまだ執務の最中だったのだ。
「ごめんなさい。
手を止めてしまったのね。
ごめんなさい、本当に。」
早口で謝罪する。
「大人しくしていますわ。
ですから・・どうか続けて・・・。」
がたんと大きな音がした。
重い椅子が執務机の前で蹴倒されている。
びくりと肩を震わせたロザリアの前に、オリヴィエの長身。
思いつめた色の青い瞳が彼女を見つめていた。
「ハナから無理だったんだ。
白状するとね、あんたがこの部屋に入ってきたときからだよ。
仕事なんかできるわけはないさ。
隣りにあんたがいる。
それだけで、もう私の頭はいっぱいなんだからね。」
搾り出すような、かすれた声だった。
「答えを出しに・・・来たんだろ?」
そう言いざま、オリヴィエはロザリアの身体を抱きすくめた。
「もう・・・本当にすぐだから。
じきに、この騒動は終わるね?
そうしたら、あんたは・・・・。」
震える腕が、さらに強くロザリアを抱きしめる。
「そればかり考えててね。
実は私もそろそろ限界なんだよ。
おかしくなりそうさ。
あんたが・・・・、私の前からいなくなってしまう。
そう思っただけでね、夜夜中、何度叫び出しそうになった事か。」
火の出るような、オリヴィエの告白を聞きながら、ロザリアは驚きで目を見はっていた。
これが、オリヴィエか?
いつも余裕たっぷりで、彼女の保護者であった、あの?
いつもいつも彼女が心地よいように、それだけを優先して気配りをしてくれた恋人から、こんなに激しく自分が必要だと求められる日がこようとは!
胸の奥がしめつけられる。
甘美な痺れに酔いしれながら、ロザリアは恋人の金色の頭をそっと抱きしめる。
そしてつま先だって、自分から唇を求めた。
「オリヴィエ、あなたが好きだわ。」
唇が重なる。
そして灯りが、落とされた。