Forever&Ever(4)
翌早朝、仮の聖殿前。
ひっそりと人目を忍ぶようにして、オリヴィエはロザリアの元を去る。
「またね。
しばらくきついだろうけど、心配いらない。
私が傍についているんだ。
きりきりするんじゃないよ?
良いね?」
唇に短いくちづけを一つ。
男はさっと身を翻し、後は慣れた足取りで自分の屋敷へ戻って行った。
少し離れた薔薇園の陰で、ティムカは息を殺していた。
よくよく自分はこういう場面に遭遇するものだと思う。
朝の散歩は彼の日課であった。
即位して以来、日が昇り沈むまで、全くと言って良いほど自由の効かない身になっていた彼であるが、それでも早朝のほんのわずかの時だけは、国王でもなんでもないただのティムカに戻れる時間であった。
近侍の者を起こさぬように気を遣いながら、彼はよくこうして部屋を抜け出した。
王宮の庭園をただふらふらと歩きまわるだけの時間であったが、そこでだけ彼は格式やそれにともなう責任から逃れ自由でいられるのだった。
そしてそこで思う事と言えば。
変わらない。
即位する前も、そして今も。
毎日毎晩思いつづけた事によって、彼の中では信仰に近い思いにまでなったその対象が、今彼の目の前にあった。
ロザリア。
去って行く恋人の背中をいつまでも名残惜しげに見送る、彼の人の姿が。
「ごきげんよう、ロザリア様。」
ふいにかけられた声に、ロザリアははっとする。
誰?
急いで視線を走らせる。
薔薇園の向こうから、ゆっくりとこちらに近づく姿を認める。
ティムカ?
靄のせいだろうか。
ロザリアの目にその人影は、まるで知らない男のもののように見えた。
ゆったりとした足取り。
ほっそりと優美な、けれどどこか不安定な身体つき。
じっと目を凝らしてみつめる間に、人影はどんどん彼女に近づいて、そしてもう1度同じ言葉を口にした。
「ごきげんよう。」
切れ上がった目の縁に、青い刺青が施されている。
「故郷の習慣です。」
以前聖地に上がったばかりの少年は、恥ずかしげにそう説明してくれたものだ。
その頃にはそんなものかくらいでしかなかったその習慣が、今すっきりと整った彼の目元を飾る時、艶めいて妖しく映る。
胸の奥がざわざわするようで、ロザリアは目を逸らさずにはいられなかった。
「ごきげんよう、ティムカ。
ずいぶん早起きなのね。」
視線は合わせないまま、けれど口調だけは余裕をもって、ロザリアはにこやかな声で応える。
「ええ、朝の空気は気持ち良いですから。
身体も心も僕の全部が、健康になるような気がするんですよ。
気休めかもしれませんけれどね。」
礼を損なわない程度に、くだけた親しみを持たせた応え。
やわらかい笑顔は、昔と変わらず品の良いものだったが、ロザリアにはまるで別人のように見える。
たとえばあきらめること、たとえば心を隠す事。
ティムカの短い言葉には、それを知っている男の匂いが感じられた。
聖地にあるロザリアにしてみれば、ほんの1年も経たぬ間に、この少年はなんと変わってしまったものか。
そしてその変化が、おそらくは彼の担う責任の故であろうと察すると、痛々しい思いがロザリアの胸をつく。
「なんだか・・ティムカは急に大人になったのね。
そうね。
今はもう国王陛下ですもの。
いつまでも、子どものままでいられませんわね。」
少年の日の彼は、ロザリアにとって弟のようなかわいらしい存在であった。
その愛すべき少年はもういない。
それを惜しむ気持ちが言葉に出てしまう。
「もう、お菓子でお茶には誘えませんわ。
少し残念ね。」
「あの頃も・・・・・・。
お菓子のお誘い、嬉しくは無かったのですよ。
あなたは御存知無かったでしょうけれど。」
ロザリアの鼻先に、涼しげな香りがつと、かすめる。
ティムカがロザリアとの間をつめて、ほんの少し身体を動かした。
衣服にたきしめた香が、ふわりと空気を染めたらしい。
黒目がちの瞳が、今はもうロザリアを見下ろす高さからじっと彼女を見つめている。
「朝早く、あなたがこうして庭に立っている。
その意味も、知っていましたから。
あの頃だってね。」
切れ長の瞳が艶めいて、口元には不思議な微笑が浮かぶ。
これが・・・ティムカ?
ロザリアには返す言葉が見つからない。
オリヴィエとの別れを見られていた。
羞恥とか怒りとか、そんな感情をこの時のロザリアは忘れている。
ただ目の前に立つティムカという名の見知らぬ男に、どう反応して良いかわからないでいた。
これは、彼女の知るかわいいティムカではない。
だがいつまでもこうして、相手のペースにのせられて良いものでもない。
彼女は女王補佐官であり、ティムカは彼女の協力者の一人である。
これから先のことを考えると、彼女の精神的優位は守っておかなければならないものであった。
一息ついてロザリアは微笑する。
それは彼女が聖殿で他の守護聖たちに見せる、補佐官としての顔の一つである。
「では、今度は晩餐会で。
陛下も楽しみにしておいでだわ。
ごきげんよう、ティムカ。」
これでおしまい、おさがりなさい。
言外に含めた言葉に、ティムカはあっさりと頭を下げた。
胸にゆっくりと手を当てて、腰を折る。
「ごきげんよう、ロザリア様。」
くるりと背を向けて、ロザリアはそのまま急いで姿を消した。
漠然とした不安のような感情。
その始末に困っていたロザリアには、そうする必要があったから。
だが彼女は感じていた。
彼女がすっかり聖殿に入ってしまうまでのわずかの間。
背中にむけられた熱っぽい視線。
確かめるまでも無いもので、そして認めてしまうのが恐ろしいそれ。
気がつかぬふりをしよう。
そう決めたロザリアの背に、まだ先ほどの視線の熱が残っているようだった。