花の咲く頃(2)

 

「リュ・・ミエール。」
ようやく彼女の前にたどり着いたわたくしを迎えたのは、呆然とみつめる青い二つの視線でした。
思いもかけぬわたくしの来訪に驚き、次には困惑し、最後にははっきりと迷惑そうな表情が、その瞳の中で瞬時に移り変わってゆきます。
やがて諦めたように、彼女はため息を一つ漏らしました。
「見つかってしまいましたのね。」
相変わらずほっそりと長い首をきっちりと隠す襟高のドレスを着込み、野草でも摘みに行くのでしょうか。
左手には籠を持っています。
「何処かにおでかけですか?」
わたくしの問いに、形の良い薄い唇がわずかにほころびます。
それは私のよく知っていた微笑でしたが、ただ一つ、浅いしわが口元に刻まれていることだけが以前とは違っておりました。
「せっかくいらしたのですものね。やめておきますわ。明日でも構わないことですから。」
くるりと身を翻し、彼女は今出てきたばかりの扉を開きます。
「お入りになって。お茶くらいお出しできると思いますわ。」

案内された山荘の中は、外見よりもずっと近代的な設備が整っているようでした。
最低限必要なライフラインはこんな山の中にも来ているらしく、通されたキッチンと続きのリヴィングには、昼間色の照明設備が用意されていましたし、キッチンには大きなオーブンやその他の調理器具がきちんと設置されていました。
それにしても、ここの管理を彼女が一人でしているのでしょうか。
見たところ他に人のいる様子はありません。
小さな山荘ではありましたが、その維持に必要な手間は普通の家並みにはかかるわけで。
縦の物を横にもしないようなお嬢さま育ちだった彼女が、それをしているのでしょうか。
「あなたお一人でここにお住まいなのですか?」
キッチンに向かった彼女は、わたくしに背中を向けていました。
けれどもその背中のむこうで彼女がくすりと笑うのが、わたくしにはわかりました。
「ええ、そうですわ。」
「ですが大変ではありませんか?ここは・・、山の中ですし。」
必要な生活物資の調達や、家や器具の修理など、その維持は彼女一人の手に負えるものではないでしょうに。
「週に2度、ふもとの村からいろいろと届けていただいていますの。その時にお手伝いの方も来てくださるので、その方に必要なことをお願いしてますわ。」
さっとエプロンをつけて、調理台の前でなにやらかたかたと用意している様は、実に手際の良いもので、正直なところわたくしは驚きを隠せませんでした。
「ずいぶんと手馴れておいでのようですね。」
「必要とあれば、なんでもできるようになるんですわ。きっと。」
わたくしの気持ちがわかったのでしょうか。
彼女の声には笑いが含まれています。
「それに・・、わたくしも一人の方が気楽なんですわ。」
そうかもしれません。
わたくしも含めて、長く聖地で暮らした人間にとって、下界で一般の方々と交わるのはなかなかに気骨の折れることでしょう。
過ごしてきた時間の長さ、その背景にある思い出の数々が、あまりにも違いすぎるのですから。
聖地を離れてから、彼女はこうして一人で生きてきたのでしょう。
特に、女王府に届け出られた住居からここへ移ってからは。
女王のサクリアを持ち、その任にあったものの運命とは言え、わたくしには彼女の孤独が痛々しいものに思えてなりませんでした。

「お昼・・召しあがってはいないのでしょう?簡単なものしか用意できませんけれど、よろしければいかが?」
やわらかい微笑で、彼女がキッチンからわたくしを差し招きます。
簡素な木のテーブルの上に、白いスープ皿とあたためたパンが用意されています。
スープ皿には黄金色のたまねぎのスープがたっぷり注がれていて、ふんわりと良い香りの湯気が立ち上っていました。
ふいにわたくしの胃袋が、きゅうと情けない音を立てます。
既に午後二時をまわっていました。
スープの湯気が、わたくしに早朝宿を出て以来なにも口にしていなかったことを思い出させたようです。
貯蔵庫から取り出した瓶詰めの果物やジャムがテーブルの上を飾り、それなりに整った午後の食事を演出してくれる中、わたくしは彼女の心づくしで空腹をおさめることができたのでした。

「あなたは・・、なにもお聞きにならないのですね。」
ずっと気になっていたことです。
こぽこぽと音を立てて、彼女はカップにお茶を注いでいる最中でした。
ほっそりとした手の動きが、そんな何気ない所作でさえとても優雅で、彼女が確かに女王だったのだと感じさせてくれるようです。
「気に・・・ならないのでしょうか?聖地のこと・・あちらには関わりの深い方もいらしたでしょうに・・。」
関わりの深い方。
わざとぼかした言い方でしたけれど、彼女に伝わっていないはずはありません。
けれど彼女の表情は、ちらりとも動きませんでした。
「もう・・、わたくしには縁のないことですもの。うかがっても仕方ございませんでしょう?」
「・・・・。ですが、オスカーはそうは思っていないようでしたよ。」
核心に切りこみます。
差し出しかけたティーカップを持つ手が、わずかに震えるのをわたくしは見逃しませんでした。
「あなたがお姿を隠されて、わたくしはあんなオスカーをはじめて目にいたしました。
それはひどい取り乱しようで、執務にも障りが出ているようでしたね。」
不思議な表情が、彼女の瞳の中で行き交います。
震えるほどの喜び、続く絶望と諦め。
それをわたくしから隠すように、すぐさま彼女は目を伏せてしまいます。
「うかがっても仕方のないことですわ・・・。」
それは、先ほどよりもずっと弱い口調でした。

炎の守護聖オスカーが女王であったロザリアに恋していたことを、わたくしはいつからか気づいていたのです。
聖地一番の気障なプレイボーイ。
あからさまなものの言い方、傲慢不遜な態度。
正直申し上げて、わたくしは彼と親密な仲ではありませんでした。
むしろ八人いた同僚のなかで、最も疎々しい関係であったのかもしれません。
わたくしの司る力は水。
それが彼の司る炎の力と相反するものであるように、わたくしたちの性質は何もかも反対のものでしたから。
わたくしは彼をしばしば疎ましく思ったものです。
けれど同時にわたくしは知っていました。
女性に対する軽々しい態度とは裏腹に、実際の彼がひどく真面目であることを。
守護聖としての執務に忠実であることはもちろんでしたが、なによりも、芯から好きになった女性に対しては、不思議なくらい不器用で真面目になるのです。
それは本当におかしいくらいに。
だからわたくしは、こうしてここにいるのです。
聖地にあって、動きのとれない彼の替りに。
もっとも、オスカーには知られたくないことですが・・・。

「あなたのことです。なにか、お考えがあってのことなのでしょう。
よろしければそれをお聞かせいただけませんか、わたくしに。」
そっと、うかがうようにわたくしは切り出しました。
伏せられた彼女の瞳がもう一度、こちらに向けられるのを待って。
「わ・・たくしは・・・。」
彼女の声が震えていました。
「そんな・・立派な女ではありませんわ!」
ひきつれたような悲痛な声でした。
わたくしに向けられた彼女の瞳にも、同様の表情が浮かんでいます。
「ロ・・ザリア・・。どうなさったのです?」
「いつもいつも・・。わたくしをかいかぶらないでいただきたいですわ!わたくしは・・、ただ、ただ・・・。」
緊迫した沈黙がわたくし達の間、わずか1メートルのすきまを埋めています。
わたくしはじっと彼女の次の言葉を待ちました。
「わたくしは・・」
彼女の顔が苦しげに歪んでゆきます。
「逃げ出しただけですわ!」

放り出された激しい言葉。
フレッシュミントのお茶の涼やかな香気が立ち上る中、わたくしはその言葉の意味を測りかねておりました。