花の咲く頃(5)

 

いくつもの季節がロザリアの傍を通り過ぎていった。
求められた義務をただ忠実にこなし、彼女は稀代の女王と謳われている。
緩やかに流れる聖地の時間。
その中でも多少の変化は起こっていた。
女王即位時の守護聖のうち幾人かは、その力を使い果たして下界へおりた。
この力の衰えだけは、なんの法則もないようで、在任期間が長いものから順に力がなくなるわけではない。
ある日、突然に、その力の衰えは始まる。
そして・・・。
ロザリアにもその日がやってきた。

朝。
目覚めると、身体の芯から起きる脱力感が彼女を襲った。
何、この感じ・・?
ひどく身体が重かった。
自分の身体が自分のものでないような頼りなさ。
もしや。
ロザリアはベッドの中で自問する。
力の衰えの始まりか。
コンコンコン・・・・。
ドアが忍びやかにノックされる。
「陛下、お目覚めでいらっしゃいますか?」
女王補佐官アンジェリークの声だった。

アンジェリークの顔色は悪かった。
知っているのだ。
ロザリアは直感した。
「どうやら気がついているようね。」
「陛下・・・。」
緑色の大きな瞳が、不安げに揺れていた。
「やはり、お力が・・・?」
「そのようね。できるだけ早くに、次の女王を決めなくては。」
大儀そうにロザリアは、ベッドから身を起こした。
執務には出かけなければならない。
どんな場合であっても。
女王とはそうしたものだ。
「支度をするわ。少し待っていて。」
クローゼットには、同じデザインのドレスが何枚もかかっていた。
下の引き出しに、白のバスローブ。
真新しいそれも、やはり同じデザインのものが何枚も用意されている。
ロザリアは一番上のものを取り上げる。
寝室に続くバスルームへと足を向けた。
「いつ・・・になるのでしょうか?」
背中からアンジェリークの声。
つとめて平静を装ってはいるが、震えの隠せない正直な声。
「さあ。でも、そんなに遠いことではないわね。」
振り向かぬままに応えたその声に、冷ややかな響きがある。
「忙しくなるわ。」
誰に言うともない言葉を残して、ロザリアはバスルームへ消えた。

香料入りの白い湯気が立ち込める浴室は、女王のものにしては簡素過ぎる仕様だった。
わずか4~5㎡ほどの広さ。
飾り気のない白いタイルの壁。
光沢のある大理石の白いバスタブだけが、贅沢といえばそれらしい。
生活を楽しむゆとりなどない。
女王に即位してからの、彼女の心を映しているようだった。
たっぷりはった湯の中に、身体を沈める。
乳色に輝く肌が、湯を弾いた。

いつ・・・?
そう聞いたアンジェリークの言葉がカンに触った。
そんなこと知るわけがない。
女王になるのも突然なら、辞めるのも突然なのだ。
今、いいですか?
運命が彼女に、予定を聞いてくれたことなどない。
長い髪は大きく結い上げて、クリップでとめられている。
バスタブのカーブに沿って、ロザリアはずるずると身体を沈めた。
不安げなアンジェリークの声。
こちらはもっとカンに触る。
その不安は、おそらくロザリアのための不安ではない。
最愛の夫と別れなければならない時への恐怖。
女王の交代は、補佐官の交代でもあるから。
彼女は本当に素直に、その不安を表した。
正直で、素直で。
それが彼女の美点だということは、ロザリアもよく知っている。
彼女がそういう女性だからこそ、ロザリアも長いこと友人として付き合ってこられたのだし、公には補佐官の任を任せて不安がなかったのだ。
けれど正直で素直であるためには、保護者が必要なのだということも、ロザリアは知っていた。
精神的な保護者。
汚いこと、つらいことから、庇ってくれる力強い存在。
アンジェリークが素直で正直でいられるのは、もちろん彼女自身の性質によるところが大きいだろう。
けれどそれだけではない。
もし彼女がロザリアの代わりに女王の地位についていたら、果たして今のようでいられたか?
孤独も悩みも、決断も、すべて一人で答えを出さなければならないこの地位に彼女がついていたら。
嫉妬だ。
ロザリアは苦笑する。
自分が手にし損ねた幸せに、首までとっぷりと浸かっているようなアンジェリークに嫉妬しているのだ。
浅ましい。
そんなことを思うのは恥ずかしいことだ。
選んでこの道を来たわけではないけれど、泣き言や恨み言を言って道の行く手が変わるわけでもない。
そうであれば、見苦しい真似はするまい。
最高の友人であったアンジェリークに、一刻も早く将来の保障を与えてやろう。
女王の交代に付き合わなくても良い。
あなたは、ここにいていいのだと。
それが、後になって自分を嫌いにならないですむ方法のように思われた。
「仕方ないわ。これがわたくしですもの。」
くぐもった低い声が、バスルームに響いた。

女王の交代劇は、段取り良く順調にすすみ、そして終った。
女王の力の衰えの自覚が早かったことと、それへの対応が迅速だったことが、大きな混乱を避けさせた。
最後まで陛下らしい。
ロザリアをよく知る守護聖は、そう言った。
補佐官アンジェリークは、聖地に残ることを許される。
前女王ロザリアが、たっての希望だと言い置いたことにより、異例なことながら前女王補佐官の聖地残留が新女王の名によって認められた。
そして、その礼を言うためにアンジェリークがロザリアの自室を訪れたときには、その部屋は綺麗に片付けられていたという。
鮮やかな去り方であった。
毛ほどの気配も残さず、ロザリアは聖地から完全にその存在を消した。
誰とも言葉をかわさないで。
誰とも・・。

その夜。
聖地の女王府の庁舎に、何者かが忍びこんだ。
資料データのコピーをした跡が残っていたと報告を受けた首座の守護聖は、それきりその件を不問にふした。
「忘れるのだ。良いな。」
報告した者に、ぴしりと釘さえさして。

翌朝。
炎の守護聖が姿を消した。