花の咲く頃(8)

その日、ロザリアは美しかった。
近寄りがたいほどの気品。
自信にあふれた優雅な物腰。
女王候補時代からずっと彼女を見守りつづけているオスカーの目をもってしても、今日ほどロザリアが美しく見えたことはない。
あでやかに咲く大輪の花。
華やかに辺りの空気を染めてゆく。
「一体何があったんだ?」
まぶしげに目を細めて、オスカーは恋人の顔を見つめる。
「俺のいない間に、君に何があった?」

ゆっくりと上げられる艶のある瞳。
深く強い青の色。
揺らぎもしないしっかりとした視線で、ロザリアは恋人の顔をまっすぐに見つめ返す。
「なにも・・・。」
「おかしい・・な。今夜の君は、いつもと違う。
俺に嘘がつけると思うのか?」
耳元をくすぐる男の甘い声。
だが、今夜のロザリアはそれを笑って受け流す。
「ええ。
本当に、なにも。
そんな風に思うのは、あなたの方にこそなにかあるからではありませんの?」
オスカーの好む、小気味良い逆襲。
軽い口調に軽い微笑。
すべて計算どおりにロザリアは振舞う。
綺麗に演じてみせる。
これが、最後の舞台なのだから。
彼との恋の。

お互いの誕生日も、その他地上での記念日も、何もかも特別に祝うことはない二人だった。
時間を直視する。
それはお互いにとって、恐ろしいことだったから。
けれど今日のこの日だけは特別であった。
ロザリアが、女王候補として聖地に召喚された日。
何年、いや何十年か、とにかく昔。
この日に彼らは初めて出会った。
この日だけは、特別な思いで迎える。
赤い髪の気障な守護聖が、きつい青の瞳の女王候補にぴしゃりとやられた日。
「失礼ですけれど、オスカー様。
わたくし『お嬢ちゃん』と呼ばれるのは不愉快ですわ。」
他の八人の守護聖が、失笑したあの日。
甦る懐かしい思い出。
遠い昔のことなのに、二人にとっては今も鮮やかな記憶であった。
その特別な日に。
ロザリアは最後の日を選んだ。
この日、二人が初めて出会ったこの日に。
彼女は恋人に永遠の別れを告げる。
ひっそりと。
彼に、まだ十分美しい自分を、記憶にとどめておいてもらうために。
今日のために、ロザリアは万全の準備をした。
今日1日だけは、格別に美しく見えるように。
だから。
だから今日の彼女は美しい。
たとえそれが散り際の、最後の美しさであったとしても。

用意されたテーブルの皿を、オスカーは旺盛な食欲で片付けた。
話題は自然、遠いあの日の思い出にゆきつく。
「あの瞬間から、俺は君に惹かれていたのかもしれないな。」
食後に出されたコーヒーを口元に運びながら、オスカーはにやりと笑った。
「守護聖である俺に、しかもあんな多勢の前で、あれだけのことを言ってのけたレディーは君が初めてだったからな。」
「そうですの?
不思議ですわね。
あんな傲慢な態度で、『お嬢ちゃん』なんて呼ばれて面白いはずはないのですけれど。」
くっきりと紅を塗った形の良い唇を少しだけ上げて、ロザリアは微笑む。
「我慢していらしたのではないのかしら、みんな。」
「憎らしいことを言う。」
席を立ち、縦長に離れた正面の席にいる恋人の元へオスカーは近づいた。
屈み込んでその顔をのぞきこむ。
「今夜の君は、やけに挑発的だな。」
濃い青の視線が、余裕を持って彼の視線を受けとめる。
にっこりと笑う。
「そう?」
「そうさ。本当にどうしたっていうんだ?」
口で言うほどに、オスカーはその疑問にこだわってはいない。
むしろ、恋人のその態度が彼を興にのせる。
久しぶりの夜に、とびきりの甘い恋が楽しめそうな気配だった。
もともとこういう危なげで、遊び心の強い雰囲気を好むオスカーには、たまらない。
「そのかわいらしい頭で、君は何を考えてるんだ?」
ロザリアがくすりと笑った。
「聞いてばかりいないで、ご自分で確かめてみてはいかが?
わたくしが何を考えているのか。
白状させてご覧になれば?」
「そのセリフ・・・。言った相手が悪かったな。
後悔するぜ?お嬢ちゃん。」
薄い青の瞳が楽しげに踊って、ロザリアの唇はたちまち塞がれた。
これで良い。
目を閉じて彼の唇に応えながら、ロザリアはそう思っていた。

しんとした暗がり。
深夜の寝室で、ロザリアはじっと目を凝らす。
彼女の隣りでぐっすりと眠り込む赤毛の男。
しっかりと彼女の身体を抱き寄せた腕は、眠った間も緩めない。
彼女がほんの少しでも身じろぎすれば、ぐいと引き寄せられる。
まるで腕だけは、ずっと起きているかのように。
その腕をそうっとはずして、半身を起こす。
そのまま腰を支点に身体をねじり、足をベッドの脇に下ろした。
シュルリ・・。
絹の夜着とシーツが擦れ合って、乾いた細い音を立てる。
ソファの上に無造作に放り投げられたガウンを手に取りふわりと羽織ると、ロザリアは寝室の続き部屋になっている次の間のバルコニーへ足を向けた。
月は既に西に傾き始めていた。
夜が終る。
ロザリアの最後の夜が。
「起きていたのか。」
背中からそっと抱きしめられた。
「ひやっとしたぜ。
また・・、何処かに行ってしまったんじゃないかと思ってな。」
「わたくしはここにいますわ。」
目を閉じて、ロザリアは応える。
「君には前科があるからな。
情けない話だが、気が気じゃないんだぜ。」
指を伸ばし、オスカーはロザリアの顔を上向かせる。
薄い青の瞳が銀色に濡れていた。
「悪い子だな。」
そのままそっと唇が降りてくる。
忘れないでおこう。
ずっと覚えておくのだ。
この瞬間を。
これからずっと、生きている限り。
恋人の唇を受けながら、ロザリアは呪文のように心でそう唱えつづけた。
すべてを吐き出し泣いてしまいたい。
そんな衝動をようやくこらえる。
まだ泣けない。
泣くのは、すべてを綺麗に演りおおせてからだ。
舞台の幕が下りるまで、まだ泣く訳にはゆかない。
銀色の月の光に染まった恋人の姿。
この人に、一番美しい自分の微笑を覚えておいて欲しいのだから。

翌日の夕刻。
ロザリアは館から姿を消した。
行く先は誰も知らず、その行方は杳として知れなかった。