花の咲く頃(9)
開け放った窓から入る優しい風がさやさやと、ロザリアの頬にかかる長い髪を揺らしていました。
彼女の語り終えた過去は、おおよそわたくしの思う通りのものでしたが、それにしても本人の口からそのことをうかがうと、なんとも痛ましい思いがしてなりません。
一体どんな思いで彼女はここに隠れ住んだのか。
華やかな美貌と聡明さを兼ね備えたが故に、彼女にはこうするしかなかったのでしょう。
「不思議ですわね。」
「え・・?」
「ここに来る前はわたくし、悲しくて悲しくてとても生きてなどゆけないと思っていましたの。
離れてなど・・、とても辛くて耐えられるわけはないと。」
ふわりとやわらかい微笑でした。
無理のない、とても自然な。
「違っていたのですね?」
「ええ。
わたくし、なんだかとても楽になりましたの。
おかしな言い方ですけれど、ようやく息ができる・・・、そんな感じでしたわ。
変でしょう?」
ロザリアの手が優しい曲線を描くようにして、わたくしの前から冷めたミントティーの入ったカップを取り下げました。
「淹れかえますわね。
今朝摘んだ、フレッシュミントの葉がまだありますの。
お好きでしたわね?」
立ちあがってキッチンへ向かいながら、彼女は楽しげに続けます。
「朝の日の光が気持ち良い。
こんな当たり前のことも、わたくしは忘れていたのですわ。
ここに来る前はわたくし、まるでモグラのように日の光を避けて暮らしていたのですもの。」
「日を避けて・・?」
「ええ。
日焼けは肌の老化を進める。
そんな風に言われていますものね。」
苦笑するような口調が、新鮮でした。
気位の高い、他人を寄せ付けない雰囲気の女性。
そんな印象の強かった彼女が、今私の前で見せている姿はどうでしょう。
年令を重ねて身体的には衰えてきているはずなのに、今の彼女は以前よりずっと、素直で可憐な少女のように見えました。
少なくともわたくしには。
「あなたは・・、お変わりになられましたね。」
感じたまま、口にしていました。
「そう・・かもしれませんわね。
構えることをしなくなりましたもの。
もう、誰のためでもなく、自分のために、楽しいと思うことをして暮らしてゆけるのですわ。」
銀のトレイを両手で抱えて、ロザリアは戻ってきました。
新しい葉に換えられたポットに、沸かしたてのお湯が注がれているようで、ふんわりと独特のさわやかな香りが漏れています。
カップに金色の液体が注がれると、その芳香はさらに濃さを増し、小さなコテージのリビングいっぱいに、清冽な香りが広がるようでした。
「コーヒーを飲み過ぎないように・・。
そう思って始めたハーブでしたけれど、あの頃はただの薬のようなものでしたわ。
こんなに良い香り。
楽しまないでいただくなんて、本当につまらないことですのに。」
波打って揺れる、カップの表面の金色の微動にじっと視線を注ぎながら、彼女はぽつんとそう言いました。
「つまらない・・・?
本当にそう思っておいでですか?」
弾かれたように上げられた視線。
はっとしたような表情が、わたくしを何故だか苛立たせます。
「それでも・・・、オスカーの傍にいたかったのでしょう?
できることならば。」
どうして、こんな意地悪なことを言うのでしょう。
わたくしは・・・。
じっと、わたくしに注がれる彼女の視線が痛いようでした。
「そう・・ね。
そのとおりでしょうね。
もし、かなうなら。
わたくしの衰えがもう少しだけ遅ければ・・・・、わたくしは今でも彼の傍にいたでしょうね。
きっと。」
諦めたような弱々しい微笑。
わたくしの胸の苛立ちが、思わずこぼれ出してしまいました。
「妬けるようですね。」
口に出してはっとします。
何を口にしているのでしょう。
彼女はほんのわずかに目を見開いて、わたくしを見つめ返していましたが、やがて口元に細い指をあてて笑いをこらえているようでした。
「なにに・・・?
リュミエール、あなたならこれからいくらでも、美しい女性と恋ができるでしょうに。
それに、わたくしのような思いが、本当に羨ましくって?」
いいえ。
あなたのような思いが、羨ましいのではありません。
あなたのような方に、そこまで思われる果報にこそ、わたくしは嫉妬するのです。
その言葉は口にはできませんでした。
「オスカーは・・・、あなたを探して半狂乱の様子でしたよ。
よろしいのですか?
あなたは・・・。」
本心を隠すように口にした言葉は、とてもありきたりのもので、自分でもうんざりするほどお節介なつまらない言葉でした。
それでも、そんな言葉にでも、彼女は素直に動揺していました。
女王だった頃には決して見せなかった、素直な様子で。
「こうするしかなかったのですもの。
これ以上、わたくしに何ができますの?
そんなことを、わたくしにお聞きにならないで。
お願いだから。」
心細げに揺れる彼女の青い瞳を見ているうちに、わたくしはここに来た当初の目的を忘れそうになっておりました。
聖地にあって身動きもとれぬまま、ただじりじりとするオスカーになりかわって、その恋人の消息をつきとめたい。
そう思っていたはずでしたのに。
お願いだから・・・。
彼女のその言葉の哀願するような響きが、オスカーにではなくわたくしにむけられた感情の故であればと、この時のわたくしは本当に心からそう思っていたのです。
オスカーには知らせないで欲しい。
そういう彼女の願いにわたくしは曖昧に返事をして、夕刻には彼女のコテージを辞去いたしました。
知らせないで。
そう。
知らせないでおくことも、考えないわけではありませんでした。
オスカー、あの不器用な男に、彼女のあれほどの愛情を受ける資格があるとは思えなくなっていたからです。
ですが・・。
ですが残念なことに、彼女が心から望むのはオスカーなのです。
どんなに強がりを言っていても、やはり彼が恋しいのでしょう。
彼女の時間とオスカーの時間が、ぴったり重なりさえすれば。
そうすれば、彼女は迷うことなくあのオスカーの胸に飛び込むのでしょう。
忌々しい思いではありましたが、彼女のためです。
お節介をして差し上げることにいたしましょう。
まずは、聖地のオスカーに手紙を出すことからでしょうか・・・。
それにしても。
それにしても、割切れぬ思いでした。
彼への手紙。
一体なんと書き出したものでしょうか・・。