萱葺きの城(10)

 

風が渡って行く。
息も凍るほどの冷たい風。
それが聖地にあっては忘れがちの季節を、思い出させてくれる。
冬枯れの木立が立ち並び、空は鉛色に暗かった。

ロザリアが寄りたいと言ったのは、この高台の地だった。
生家の屋敷、両親のもとではなくて。
オリヴィエは、彼女の孤独を垣間見たような気がする。
それは彼の心の底に眠るのと同種の孤独。
彼の視線の先で、ロザリアは冷たい風にその長い髪をなぶらせていた。

冷たい風。
高台の上ではそれが心地よかった。
いつもいつもロザリアはここで心を落ちつかせてきた。
何があっても泣かないでいるために、彼女はよくここに来たものだ。
シュプリーム号と一緒に。
もうここに来ることもないだろう。
このまま聖地で女王になる。
そう決心して聖地の門をくぐったのだから。
そうではない。
女王になるからなどではない。
シュプリームなしで、もう2度とこの地に来る気がないのだ。
あのなんでもわかっている賢い友人。
彼なしでは、ここもただの思い出の地に過ぎない。
唯一の安らげる場所は、彼の死と共にこの世から消えた。
もうどこにも、彼女の戻るべき場所はない。

「あの仔はとても寂しがりやさんでしたわ。」
ぽつんと、ロザリアが口にした。
「初めて母馬から離した時、それは寂しがって、ずっと鳴きつづけましたの。」
強い風が彼女の帽子を飛ばす。
ふわりと舞い上がったそれは、ゆっくりと高台の下へ落ちていった。
「わたくし、毛布を持ち込んで、あの仔の傍にいてやりましたわ。
牧場の者は危ないからと止めたのですけど、放っておけませんでしたの。」
誰に向かって話すと言う訳でもない、淡々とした口調だった。
独白に近い。
「二日の間、あの仔は暴れて鳴き続けましたの。
脚をどうかしてしまうんじゃないかと、冷や冷やしどおしでしたわ。
柵や壁板を力任せに蹴飛ばすのですもの。」

ろうのように透き通った白い顔は、ロザリアを別人のように見せていた。
幼さのかけらも残さない、辛酸をなめ尽くし諦めを知った大人の女の顔がそこにある。
生気も表情もなにも映さぬ青い瞳には、一滴の涙さえ浮かんでいない。
それがむしろオリヴィエの胸をつく。
声を上げて泣くことは、悲しむ自分を憐れんで甘美な気分にしてくれる。
一種のストレスの解消になるものだ。
だがロザリアはその甘えを自ら戒めてきた少女だった。
泣くことで楽になることを知らないでいる。
そして泣くべきときもあるのだということも、彼女は知らないのだ。

「大丈夫かしら・・。
あの仔一人で逝ってしまって。」
大丈夫じゃないのはアンタのほうだろ。
オリヴィエは口にしなかった。
「冷えてきたね。
そろそろ車に戻ろうか。」
ロザリアが振り向く。
軽く首を傾げてオリヴィエを見上げた。
「冷えて・・?
そうなのですか?」
吹きっさらしの強い風が、ばさばさと音を立てて木立を揺さぶっている。
寒くないはずはなかった。
オリヴィエがついと、ロザリアの頬に指を伸ばす。
血の気のない、ひやりと冷たい感触。
オリヴィエの胸で、大きな昂ぶりが弾けた。
「バカだね・・。
そんなに自分を抑えつけるもんじゃないよ。」
気づけばロザリアを胸にかき抱いていた。
「こんなに冷えているじゃないか!
無理するんじゃないって言っただろう?」
ロザリアは彼の腕の中で身じろぎ一つしない。
されるがまま、じっとしていた。
「泣いてごらん。
楽になるから。」
冷たく長い髪に指をさし入れて、彼女の顔をあお向ける。
ふいをつかれて驚いた青い瞳が、オリヴィエを見つめ返した。
「泣くんだよ、ロザリア。
今日だけは。
今だけは、泣かなくっちゃいけないんだよ。」
ゆっくりとロザリアの口元がほころんだ。
「そんな・・。
オリヴィエ様、急に泣けとおっしゃっても・・。」
オリヴィエの暗い青の視線が、苛立たしげにじっと彼女に注がれる。
「・・・。」
「無理ですわ。
そんな急に・・。」
ロザリアの笑顔が歪んだ。
冷たい頬に温かいものが伝わってゆく。
「あ・・。」
手袋の指が頬を探る。
指先が濡れて湿っていた。
後から後から頬は濡れる。
拭う間もない。
オリヴィエは、彼女をもう一度強く抱き寄せる。
何も言わないで。
抱き寄せられたロザリアの肩が、小刻みに震え始めた。
オリヴィエのシルクのシャツを、温かい涙が濡らしてゆく。
やがて小さな声が漏れ始める。
「う・・・。ひっく・・・。」
それを切っ掛けに、ロザリアは初めて人前で泣いた。
オリヴィエのシャツをつかんで、そして声を上げて。

どのくらいそうしていただろう。
オリヴィエは彼女が泣き続ける間中、ずっと彼女の身体を抱きしめていた。
胸の中で震えながら泣いているロザリアが、愛しかった。
か弱い細い肩に、どれだけの思いを背負って彼女は生きてきたことか。
楽におなり。
もう無理をしなくてもいいんだ。
そう言ってやりたいと心から思う。
だがそれを口にする資格が、自分にはない。
私がアンタの重荷を一緒に背負ってあげるよ。
その一言が、オリヴィエには言えなかった。
初めて、今までの自分の生き方を後悔した。
こんな日が来るとは思わずに、きままにその心のおもむくままに生きてきたことを。
ぎり・・。
ロザリアの頭を自分の肩に強く押し付けながら、オリヴィエは唇をかみ締めた。

「オリヴィエ様・・?」
ようやく周りのことに気が回るようになったのか、ロザリアが顔を上げてオリヴィエを見つめた。
オリヴィエには、優しく微笑んで見つめ返す余裕がない。
心に猛り狂う後悔、恋慕、それをごちゃ混ぜにした暗い危険な瞳で、ロザリアを見る。
「オリヴィエ様?」
不審げに見上げるロザリアの瞳には、まだ涙が残っている。
色の濃くなった青い瞳が潤んで、揺れていた。
「・・・・。」
最初の衝動に、オリヴィエはなんとか耐えた。
このままロザリアに自分の思いを告げたい。
そして彼女を自分のものにしてしまいたいという、危険な衝動に。
「どうか・・なさったのですか?」
今度は心配そうに、ロザリアが彼を覗きこむ。
形の良い唇から、彼を心配する言葉がつむぎ出された。
「ご気分がお悪いのでしょうか?」
ぷつんと、理性の抑制が切れる音を、オリヴィエは聞いたような気がした。
彼女が愛しい。
その思いだけが彼を支配する。
次の瞬間彼はロザリアの唇に、自分のそれを重ねていた。
柔らかく、優しく、彼女が怖がらないように。
すぐに離された唇。
ロザリアが口元に指を当てて、驚いたように彼を見上げる。
「オリヴィエ・・さま。」
「もう一度・・。
もう一度呼んでくれないか、私の名前を。」
抑えた低い声。
「オリヴィエ様・・。」
2度目に重ねられた唇は、すべての抑制を駆逐する。
自分の立場も、過去も、すべてを忘れて、オリヴィエはただ目の前のロザリアだけを見つめていた。
驚きで見開かれたロザリアの瞳が、やがて閉じられた。
遠慮がちにではあったが、そっとオリヴィエの背を抱きしめる。
彼女も自分を受容れてくれている。
細い腕の感触が、彼をさらに理性から遠ざけた。

「ロザリア・・・。
アンタが好きだよ。」
言ってはならぬせりふを、ついに口にしてしまった。