萱葺きの城(11)

 

週末の視察は、1週間の最後の予定。
これが終ればとりあえず解放される。
女王候補ロザリアにとって、ほっとできる時間の始まりのはずであった。
けれど彼女の顔色は冴えない。
ほうっと小さなため息を漏らし、王立研究院の正面玄関を出る。
原因はわかっている。
あのシュプリーム号の最期の日以来、なんだかよそよそしいオリヴィエの様子である。
あの日、彼は彼女に告げた。
「アンタが好きだよ。」
帰りのリムジンの中でも、彼はずっと彼女の身体をそっと抱きしめてくれていた。
シュプリーム号を失った彼女の哀しみを庇うように。
ところが、その翌日から彼の様子がおかしい。
彼女を避けているようにさえ見えた。
どうしたのだろう。
ロザリアは落ちつかないままでいる。

「よう、お嬢ちゃん。」
華やかな声がかかる。
振り向いた先に、こちらへ近づいてくるオスカーの姿があった。
正直なところ、今は誰とも話したくなかった。
儀礼上の受け答えをすることさえも、鬱陶しい気分なのだ。
だが知らぬ顔もできない。
仕方なく軽い会釈を返した。
「ごきげんよう、オスカー様。」

「大変だったな。」
開口一番、オスカーはそう言った。
「君の最も辛い時に傍にいてやれなかった。
すまない。」
ふざけた調子のない真摯な口調だった。
「お気遣いありがとうございます。」
儀礼以外の情は何もこもっていない、素っ気無い返答。
ロザリアにしてみれば、オスカーに謝ってもらう事ではない。
確かにシュプリーム号を手放したのは、オスカーの言葉がきっかけになってはいたが、それを決めたのは彼女であった。
今更、あのときのオスカーの言葉を恨むつもりは毛頭ない。
「悲しいことですけれど、これも運命だったのですわ。
きっと・・。」
シュプリーム号をなくして以来、ずっと自分に言い聞かせてきた言葉を口にする。
「俺は・・、君のその強がりのむこうにある心細さを支えてやりたかった。
言っても仕方ないことだが、君を連れ出したのが俺じゃなかったってことが本当に悔しいぜ。」
本音であった。
オスカーは先週末、オリヴィエが彼女を連れ出したと知ったときから、ずっとそう思っていた。
いや、もっと激しい感情であるかもしれない。
気心の知れたオリヴィエに、出しぬかれたような不快感。
シュプリーム号の最期の悲しみを分かち合うことができたオリヴィエに、猛烈な嫉妬を感じたのだ。

つい先ほどまで、オスカーはオリヴィエの執務室にいた。
先週、二人に何があったかを確かめたかったのだ。
何も起こっていて欲しくはない。
そう願いながら、オリヴィエの顔を見つめた。
「どうした?
浮かない顔だね。」
執務机の向こうでオリヴィエが艶然と微笑んだ。
いつもより濃い香水が、オスカーの鼻をつく。
「ちょっときついんじゃないか、香水が。
頭、痛くなるぜ。」
「ふん、野暮な男だね。
これはこの冬の新作だよ。
このくらい濃厚でちょうどいいんだ。」
いつもにも増して派手な衣装。
派手な装飾品。
派手な化粧。
これだけで、オリヴィエの内心の動揺がわかる。
やはり、なにかあったな。
嫌な予想はあたるものだとオスカーは思った。
「先週末、ロザリアと何かあったな?」
はっきりと口にした。
まわりくどいのはオスカーの性に合わない。
ふ・・。
鼻先で小さく笑って、オリヴィエはオスカーを正面から見つめ返す。
「別に・・。」
整った美貌に紗のかかったような不思議な微笑。
その向こうにある本心は、しっかり隠される。
オリヴィエがこういう表情をしたら、誰が何をしてもその本心を引きずり出すことはできない。
オスカーは長い付き合いで、それをよく知っていた。
だがこの場合、オリヴィエの言った「別に」の言葉だけで良い。
別に。
別に何もなかった。
そういう風にしかとれない言葉だ。
言質を取った。
それだけで十分だ。
実際のところどうであったかは、この際問題ではなかった。
この先オリヴィエがロザリアに接近する気がないということだけわかれば、それで十分なのだから。
「そうか。
野暮な質問をしたな。
許してくれ。」
あっさりと謝ってみせる。
「用件はそれだけ?」
さっさと帰れといわんばかりの、オリヴィエの反応だった。
「ああ。
それだけだ。
邪魔をしたな。」
くるりときびすを返し、オスカーは扉へ向かった。
「そう・・だ。
今夜は例の勤務だな。」
ふと足を止め、思い出したように口にする。
背中で、オリヴィエの全身がこわばるのを感じた。
振り向かぬまま、オスカーはとどめを刺す。
「もうロザリアに関わるな。
いいな、オリヴィエ。」
返事はない。
かまわず扉を開ける。
これでオリヴィエは抑えた。
後はロザリアの方だ。
彼女の心が、オリヴィエに傾いていなければいいのだが。
もし傾いていたなら、なんとしても自分が止めなくてはならない。
彼女がこれ以上悲しむのはみたくない。
早く、できるだけ早く、彼女の心をつかんでしまおう。
視察がえりの彼女を待って、それからなんとか・・・。
オリヴィエの執務室を後にしたオスカーは、急いで王立研究院へと向かったのだった。

「俺はシュプリームの代りになれないか?」
儀礼のバリアで覆われたロザリアの瞳に、動揺が走った。
何を言い出すのだろう。
あまりにも急なオスカーの言葉だった。
「素顔を見せてくれないか?
ずっとそう思っていたんだぜ。」
伏せられたロザリアの視界に、ふいに氷の色の二つの瞳がとびこんだ。
オスカーは片膝をついて、下からロザリアを覗きこんでいる。
「素顔の君はきっと、今よりずっと魅力的だろう。
それを独占したいと思うのは、かなわぬことなのか。」
いつものオスカーではなかった。
彼女の応えを息を詰めて待っている。
何秒かの沈黙が過ぎてゆく。
ロザリアは耐えきれず、顔を背けた。

「オリヴィエ・・か?」
感情を抑えつけたような声。
「君の戸惑いは、オリヴィエのせいなのか?」
そう聞かれて、ロザリアはオスカーに視線を戻す。
探るような、それでいてどこか祈るような、複雑な表情を浮かべた色素の薄い瞳にぶつかる。
オリヴィエ・・。
確かにそうかもしれないとロザリアは思う。
あれほどの悲しみ、シュプリーム号を失ったことになんとか耐えてこられたのも、オリヴィエのことを気にしていたからではなかったか。
オリヴィエのよそよそしさを気にかけることで、シュプリーム号の死に直面しないですんできたのではないか。
皮肉なことだが、事実であった。

考え込んでしまったロザリアを、オスカーはいまいましげに見つめる。
やはり、そうだ。
彼女も既にオリヴィエに惹かれている。
どうしようもない苛立たしさが、彼の眉をひそめさせた。
「あいつは駄目だ。」
弾かれたようにロザリアが顔を上げた。
「何故ですの?」
その反応が、さらにオスカーの嫉妬を誘う。
言ってやりたい。
オリヴィエには、ロザリアと向き合う資格がないのだと。
彼女を守ることはできない男なのだと。
だが嫉妬に狂って友人の秘密を暴露するほど、彼は恥知らずな男ではなかった。
じっと応えを待って彼を見つめるロザリアの前で、オスカーはしばし口をつぐむ。
「オスカー様・・。」
今、ここでオリヴィエの秘密を告げてどうなるのだ。
彼女は信じるだろうか。
否。
絶対に否である。
自分の目で確かめぬ限り、たとえそれが事実であっても彼女は受け入れはしないだろう。
それどころか、恋人をおとしめたとオスカーを恨むに違いない。
そしてそれは、事実を確かめた後でもそうだ。
事実を知らせたオスカーを恨むだろう。
恋とはそんなものだ。
それゆえにオスカーはためらう。
彼女にそんな形で恨まれたくはない。
だがここで彼が知らせなければ、ロザリアはどんどんオリヴィエに惹かれてゆく。
時間が過ぎれば過ぎるほど、彼女の受ける傷は大きくなるはずだった。
それを知りつつ知らせないでいるのも、オスカーにはつらいことだ。
いつかはわかること。
それならば早く。
そして自分の口から。
傷ついた彼女は、自分がなんとしても守ってみせる。
そう心に決めて、オスカーはようやく口を開いた。

「今夜10時。
聖殿奥、東の回廊。
行って確かめてみることだ。」
苦い顔で、オスカーはそう言い残した。
その後姿をぼんやりと見送りながら、ロザリアは頭の中で反芻している。
今夜10時。
聖殿奥、東の回廊。
・・・・・。
何があるというのだろう。
どうしようもなく不安だった。