萱葺きの城(14)
夜更けて、少し冷え始めたか。
聖殿正面の入り口で、オスカーは襟元を合わせた。
ロザリアに知らせた事実の大きさは、17才の少女の心の許容量を超える。
十分わかっていてあえて伝えたからには、自分にはその衝撃を共に受ける責任がある。
責任?
「違うな。」
オスカーは苦い笑いを噛み締める。
そんな綺麗なものではない。
ロザリアがオリヴィエの正体を知り、その思いを吹っ切って自分に目を向けてくれることを期待している。
彼女に惹かれ、その傍にありたいと思ったのは、オリヴィエが彼女に近づく前のことだ。
オリヴィエに要らぬ頼み事さえしなければ、今ごろ彼女は自分のものだったはずである。
あの、気位の高い美しい少女。
強く、同時に危ういほど脆い内面を持ち、一目で彼を釘付けにしたロザリア。
必ず取り戻す。
オスカーは強く思い決めて、正面入り口に彼女の姿をじっと待った。
コツンコツンとヒールの音。
人気のない聖殿にやけに寂しく響く。
やがて青のドレスを着たロザリアの姿が現れる。
オスカーは思わず前へ足を踏み出した。
彼女が彼の傍に至るまでのほんのわずかの時間さえ、待てない。
それほど彼は焦れていたのである。
「ロザリア!」
最初の呼びかけに、ロザリアは反応しなかった。
いつものように綺麗な姿勢で頭をもたげ、優雅な足取りで歩いてくるというのに。
近づいてきたロザリアを見て、オスカーは息をのむ。
きつすぎるほどの青い瞳がぼんやりと開き、彼女の心がここにないことを彼に知らせていた。
「ロザリア!!」
2度目の呼びかけで、オスカーは彼女の肩を揺さぶった。
ガクガクと首まで揺らされて、ロザリアはようやく我にかえる。
「オスカー・・さま。」
形の良い唇がわずかに動いて、彼の名を呼んだ。
どうかしたのか?
こんな時に使われがちな、その言葉はこの際使えない。
彼女の動揺が何の故であるか。
オスカーはそれを知らせた張本人なのだから。
「見たんだな?」
ロザリアの身体がぴくりと震える。
「ロザリア・・。」
ロザリアの頬を両手で挟み、オスカーは必死で逃げようとしている彼女の青い瞳を覗きこむ。
「恨む・・か?俺を?」
怖れている。
怖いものなど何もないようなオスカーが、この時ばかりはロザリアの返事を怖れていた。
「知らなければ良かった・・。
そう思っているのか?」
ゆっくりとロザリアの視線がオスカーに戻される。
色素の薄い青の瞳に、ロザリアの濃い瞳が当てられた。
「いいえ。」
内心の動揺は隠しようもなかったが、それでもロザリアははっきりといいきった。
「知らせていただいて良かったのですわ。」
首をわずかに引いて、ロザリアはオスカーの手から自分の頬を解放した。
そのままオスカーとの距離を、適度なものに調整してしまう。
初めて彼女に惹かれたあの日を思い出す。
鮮やかな手口。
自然な牽制。
オスカーの胸に甘い疼きが甦る。
同時に焼けつくような後悔も。
あの時、あのまま彼女を落としていれば・・・。
「あいつは駄目だ。」
苦い思いでオスカーは口にした。
「あいつは他人の心の闇に共鳴しすぎる。
いや、引きずり込まれすぎるのか。
どちらにしても、それは良い恋人の条件とは言えない。」
もう一度、オスカーはロザリアとの距離を詰める。
射すくめるような視線で彼女を縛り、目を逸らすことを許さない。
「俺はそれがあいつの優しさだと思っていた。
初めのうちは・・な。
だが、そうじゃない。
あれは優しいのではない。
弱いだけだ。
皆に同じ優しさを与えられるのは、その中の誰も愛してはいないからだと俺は思う。
愛してもいない女と共にいられる理由は一つ。
それがやつにとっても心地よいからだ。
愛情には責任が付きまとう。
同情にはそれが必要ないからな。」
「もう・・。結構ですわ、あの方のことは。
聞きたくありませんの。」
ロザリアが目を閉じて弱々しく首を振った。
名を聞けば、さっき見たあの中庭の様子がまざまざと甦る。
忘れてしまいたかった。
夢にしてしまいたかったのだ。
しかしオスカーはそれを許さない。
彼女の肩を揺さぶり、彼女の目を開けさせる。
「聞くんだ、ロザリア。」
「嫌ですわ!」
「あれが・・女王や守護聖の本当の姿なんだ。」
その言葉に、ロザリアが目を見開いた。
オスカーの次の言葉をじっと待っている。
「長い時を生きなければならないということは、わが身一つの他に自分に関わるものが何もなくなるということだ。
その恐ろしい孤独に、皆耐えたフリをして生きているが、本当のところは君が今夜見たとおりだ。
特に女王の孤独は察して余りあるな。
守護聖はそれでも、自由に恋愛を楽しむこともできる。
結末はさておき、ともかくそれで咎められることはない。
だが女王となるとそうはゆかない。
表立っては恋などできない。
諦めなければならないんだ。
酷な地位だと思うぜ、全くな。」
オスカーの右手がロザリアの頬にかかる。
いとおしむようにそっと触れた。
「俺は君にそんな思いをさせたくはない。
・・・・。
これは守護聖として言ってはならないことかもしれない。
だが、あえて言わせてもらうぜ。
俺は・・、君を生涯かけて守りたい。
俺の手で。
女王になる栄光を諦める代わりに、俺のすべてを君に差し出そう。」
お洒落で粋なオスカーのものとも思えぬ、思いつめた真剣な目がロザリアの前にあった。
その言葉はプロポーズである。
今まで彼女が考えたこともないことだった。
女王を諦めて、この男の妻になる?
このわたくしが・・・。
母や女王のように、その身分を守りながら自分を殺し、果ては愛人との淫蕩な生活に耽るよりはずっとましなことのようにも思われる。
この男、炎の守護聖オスカーが、見かけよりもずっと真摯な愛情で自分を思ってくれていることくらい、世間に疎いロザリアにも感じられることであった。
良いのかもしれない。
それで・・・。
だが、ロザリアの中で何かがザワザワと騒ぐ。
本当に良いのか、この男の胸にすがって?
いや、すがれるのか、自分はこの男に?
シュプリーム号を失ったあの日、オリヴィエに取りすがって彼女は泣いた。
あれは、オリヴィエだったからできたのではないか。
オスカーであったら、できただろうか?
「今すぐに・・、お答えしなくてはなりませんの?」
内心の動揺を抑えて、ロザリアはようやくそれだけを口にした。
目の前の薄い青の瞳が、ほんの少し悲しげな色になる。
けれど彼はすぐにその色を消した。
いつものように少しばかり気障な笑いを浮かべて、大袈裟に彼女の前で片膝をつく。
「今すぐに応えて欲しい・・・。
それが本心だ。
今夜にでも君を俺のものにしてしまいたいんだから・・な。
だが、待つのも嫌いじゃない。
良い返事を・・、待っているぜ。
俺のロザリア。」
なんと忙しい夜であったことか。
オスカーの唇をその手に受けながら、ロザリアはぼんやりと考える。
オリヴィエの秘密を知り、オスカーに求婚され。
それだけでも十分忙しい。
さらにもう一つ。
彼女の中に変化が起きた。
女王になる。
それは彼女が疑ってもいなかった目標であった。
その目標が、今夜初めて揺らいだ。
このまま女王になることが、果たして自分にとって良いことなのか。
それは彼女の今までの生きかた、考え方そのものを根本からひっくり返す、重大な疑問である。
今夜はもう考えられそうもない。
オスカーに送られたロザリアが自室に戻ったのは、午前0時を回っていた。
オスカーはあれきりついに一言も発しなかった。
だが別れ際にロザリアをぐいと引き寄せると、息もできぬ強さで抱きしめた。
そして思いきったようにぱっと手を離し、くるりときびすを返し早足で去っていった。
その後姿を窓から見送ってから、ロザリアはソファに身を投げ出した。
自分の身体の感覚がないようだ。
頭は泥のようになっているというのに、妙に神経が昂ぶっていて眠れそうもなかった。
明日は休日で予定はない。
今夜夜更かしをしたところで、構わないだろう。
ロザリアは無理に眠ることを諦めた。
お気に入りのピアノ曲をプレイヤーにセットする。
角笛の音を思わせる、もの悲しい旋律が流れ始め、深夜の闇に溶けてゆく。
ロザリアは目を閉じて意識を投げ出した。
何も考えまい。
思うまい。
そう、自分に言いきかせながら。