萱葺きの城(15)
トゥルルルルル・・・・・・。
電子音のベルは、どんなに小さな音量にしていてもカンにさわる。
ロザリアは目覚し時計に手を伸ばす。
手探りで止めようとした。
だが指先で探ったベルのスイッチは、オフになっているようだ。
「ん・・・。」
重いまぶたを上げて、もう一度、今度は目で確認する。
やはり目覚ましではない。
では何の音?
・・・・・・、電話のベルだ!
彼女はようやくはっきりしてくる意識の中で、そう認識した。
「今何時なの?」
昨夜ベッドに入ったのは、明け方だったような記憶がある。
時計を見ると午前十時。
電話があっても仕方ない時間であった。
重い頭を押えながら、ロザリアは起き上がる。
ベルの音はいっかな止む気配はない。
「今出るわ。」
面倒くさそうにそう応えて、ロザリアは受話器を取った。
映像送信のスイッチはオフにしたままで。
「ロザリア。」
スピーカーから聞こえてきたのは母の声だった。
珍しい。
最初にロザリアの頭に浮かんだのは、その言葉であった。
母が彼女に電話をしてくるなどと、彼女が聖地に召喚されて以来初めてのことではないだろうか。
「ロザリア、どうしたの?
映像受信機が壊れているのかしら?」
電話の向こうで、母がスイッチをカチャカチャと触っている音がする。
「違いますわ。
こちらが送信機をオフにしてますの。
わたくし、いま起きたところですの。
見苦しい様子をしていますから。」
寝不足の不機嫌さもあって、彼女の返答は冷たいものだった。
表情は送られていないはずであったが、母には彼女の不機嫌が伝わったようである。
「どうしたの?
何かあったのかしら?」
「いいえ。
特に、何も・・。
それよりお母様こそどうかなさいまして?」
急に母親としての愛情に目覚めたとは思いにくい女性である。
こんな突然電話をしてくるからには、なにか彼女に言いたいことがあるのだろう。
どんな厄介なことにせよ、早く聞いてしまった方が良い。
そうすれば電話が切れるのだから。
ロザリアの対応は、生家の屋敷で母に呼ばれたときと同じものだった。
母に対する礼は守りながら、どこかよそよそしい。
「あなたは変わらないのね。」
電話の向こうで母が苦笑している。
「その分では試験のほうも順調ということかしら?」
ああ、それが聞きたかったのか。
ロザリアは納得する。
女王の生母になれるかどうか、母にとっては最大の関心事であろうから。
「さあ。
こればかりは陛下のご裁量ですから、わたくしにはわかりませんわ。」
嘘だ。
試験は既に、彼女の圧倒的な優勢が決まっている。
それでもそれをそのまま伝えるのは、ロザリアには抵抗があった。
女王にならないかもしれない。
そう言ってやったら、母はどんな反応をするだろう。
ふと意地の悪い思いつきが浮かぶ。
そしてそれは、昨夜から彼女が考えていたことでもあった。
「お母様。
わたくし、女王にならないかもしれませんわ。」
「・・・・・・。」
母の沈黙は予想どおりのことだった。
「ある方に・・・、望まれていますの。
お受けすれば、女王は諦めなければなりませんわ。」
たたみかけるように、ロザリアは続けた。
母の反応を待つ。
「そ・・う。
それで、あなたはそれをお受けするの?」
思ったより冷静な反応だった。
表情が見えないのが残念なことだ。
母はどんな顔で応えているのだろう。
「まだ決めかねておりますの。
とても急なことでしたし。」
はあ・・・。
小さなため息がスピーカーから漏れた。
「あなたにもそんな時が来てしまったのね。」
悲しげな低い声だった。
え・・・?
ロザリアは意外な思いでスピーカーを見つめる。
「昔のことを話してあげましょう。」
母の声が続いた。
「わたくしはね、本当はカタルヘナ家に嫁ぐはずではなかったのよ。
嫁ぐのは、わたくしの一つ上の姉だったの。」
何を言い出すつもりなのだろう。
母の突然の告白は、ロザリアを不安にさせる。
「けれどその姉が、突然いなくなってしまったの。
好きな人がいたのね。
婚礼を前にして、出奔してしまって・・・。
その後は大変だったのよ。
名門貴族の婚姻は、そう簡単に破談にはできないの。
まして姉のそんな不行状が明るみに出たら、わたくしの実家はおしまいだわ。
窮した両親は、わたくしを代わりにたてたの。姉とわたくしはよく似ていたから。そして・・・、わたくしはそのまま黙って嫁いだのよ。あなたのお父様のところへね。」
初めて聞く母の過去であった。
そして母のこんな沈痛な声も。
「お母様・・・。もしかして、好きな方がいらしたの?」
ロザリアの口から、思わず漏れた問い。
「さあ・・・。どうっだったのかしら。忘れてしまったわ。」
軽い笑いが痛々しい。
いたのだ!
母にも好きだった恋人が。
「ともかくわたくしには拒むことはできなかったのよ。拒めば、実家は貴族社会から排斥される。不名誉な噂と共にね。」
そこまで聞いて、ロザリアは母が過去を話した理由を悟った。
名門貴族に生まれた者には、避けられない責任があると母は言いたいのだ。
母が好きだった恋人と別れても実家を守ったように、ロザリアにもその責任があるだろうと。
女王になればカタルヘナ家の名誉となり、母は女王の生母として生涯尊重されて過ごせる。
また女王にならず、カタルヘナ家に戻ったとしても、ロザリアが次期当主となれば、母はその生母としてまた尊重される。
だが、もし彼女がその双方を拒んで、勝手な結婚をすれば、カタルヘナ家の当主は父の庶子、彼女の異母弟ということになる。
その場合、母の立場はとても微妙なものだ。
今までのような格式では扱われないだろう。
彼女の選択は、彼女自身の人生だけでなく、母の未来までもを巻き込むことになるのだ。
けっして好きでたまらぬという母ではない。
けれどやはり、ロザリアのただ一人の母であった。
その人が自分のために、不遇をかこつことになるのはつらいことである。
ロザリアは母に返事をするのも忘れて、黙り込んでしまった。
「あなたを信じているわ。」
最後にそう言って、母は電話を切った。
胸に石を抱えたような重い気分で、ロザリアは受話器を元に戻す。
ひどく疲れていた。
結局彼女には自分を理解してくれ、愛してくれる相手と、生涯を過ごすことは許されないのだ。
聖地に入るとき決めたように、恃むのはこれから先も自分一人。
他人から理解され、愛されることなど考えてはいけない。
最初からわかっていたことではないのか!
だが彼女はこの聖地で、心の触れ合う喜びを知ってしまっていた。
もう、それを知らなかった昔のようには思えない。
女王になるということは、そのすべてをあきらめるということだ。
オスカーがそう言っていたではないか。
惨めな絶望の中で、ロザリアは母の気持ちをようやく思いやることができた。
母もこうやって諦め、そして自分の義務を果たしてきたのだ。
そのどうしようもないやるせなさが、あの淫蕩な生活となって現れていたのだろう。
ただ嫌悪し、軽蔑しつづける自分の視線を、母はどんな思いで見ていたのだろうか。
母に会いたい。
ロザリアは、初めて心からそう思った。