萱葺きの城(16)
おそらくこれが、最後の定期審査になるだろう。
女王試験に関わった総ての者が、口にこそ出さないがそう思っていた。
月に一度の定期審査の日であったが、ここ最近では審査する必要もないほどにロザリアの圧倒的な優勢が決まっていた。
このままいけば、まず彼女が次期女王になるはずである。
誰の目にも明らかだった。
女王が玉座に姿をあらわし、型どおりの審査報告が始まる。
居並ぶ守護聖も厳粛な顔で、その報告を受けている。
二人の少女が玉座の前に膝をつき頭を下げて、報告が終るのを待つ。
「・・・・・ということで、今回もロザリアの総合的な優勢は否めないという結論になります。」
長い報告が主任研究員によって締めくくられる。
「ご苦労でした。」
女王補佐官が彼の労をねぎらう。
丁寧な最敬礼をして、主任研究員は女王の御前から下がった。
「今回も、特に何も言うことはないようですね?」
補佐官が、首座の守護聖に目を向けた。
「はい。ございません。」
謹厳を絵に描いたような、金色の髪の守護聖がわずかに顎を引いて応えた。
「では、これで審査は終りです。
下がってよろしい。」
補佐官のその声を合図に、謁見の間の扉が開いた。
扉に近い位置にいたものから順に、ばらばらと退出して行く。
もう一人の候補の少女が退出し、ロザリアもそうしようとした時。
「ロザリア、あなたは残りなさい。」
補佐官の声がかかった。
「では陛下、わたくしはこれで。」
補佐官が玉座の女王に一礼する。
女王が軽く頷くと、補佐官はそのまま退出していった。
だだっ広い謁見の間に、ロザリア一人が残された。
がらんとして人気のない広間は、不気味なほど静まり返っている。
「ふ・・。」
ロザリアの頭上から、息だけの笑いが降ってきた。
それが誰の漏らした笑いであるか。
ロザリアの他にこの部屋にいるのはただ一人。
ロザリアは頭を低く下げたまま、顔を上げずにいる。
頭上の人影が動く気配がした。
ロザリアに近いところから、今度ははっきりとした声がかかる。
「こちらに来て、あなたもおかけなさいな。」
顔を上げたロザリアの目の前に、ベールをとって素顔で微笑む女王の姿があった。
女王は玉座の前の階段に、ぺたりと座りこんでいた。
癖のない金の髪が、ほっそりとした優しげな輪郭を煙るように覆っている。
間近で見ることなど滅多にない女王の素顔。
まだ少女のようなあどけなさが、何処かに残っていた。
「どうしたの?」
からかうような挑発的な金の瞳が、ロザリアをじっと見つめる。
「わたしが怖い?」
そう言われて、ロザリアは立ち上がった。
ずいと女王の傍に寄り、彼女の傍にぺたりと座る。
「気の強いこと。」
面白そうに女王は笑った。
「そんなところが、良いのかしらね?」
誰にとって良いのか。
あえて口にしない女王に、ロザリアは唇をきゅっと噛み締める。
何が言いたいのだろう。
わたくしを嬲るつもりなのか。
身を固くして、彼女は女王の次の出方を待った。
「これは女王としての会見ではないのよ。
だからあなたもそのつもりで。
ここで話す事はあくまでもプライベートなこと。
そうね・・・。
女王候補の先輩として、わたしからあなたへの忠告ということかしらね。」
女王はゆるゆると口にした。
わざともったいぶって。
彼女の隣りで、ロザリアが身を固くしている。
彼女の警戒がわからないはずはない。
心の中で女王はくすりと笑う。
これから彼女が言い出すことは、彼女のオリヴィエへの感謝の気持ち。
長い間、彼女の孤独に付き合ってくれた、わけしりの友人兼愛人であったオリヴィエへの、いわば慰労の気持ち。
それでも目の前にロザリアを置かれてみると、面白くもない嫉妬がわきあがってくるのをどうしようもない。
もったいぶるくらいの意地悪は、この際許されるのではないかしら。
女王は胸の中でこっそりとつぶやいた。
「多分、あなたは女王になるでしょうね。
このままゆけば、おそらくは今週のうちに。
それで・・・ね、聞いておきたいのよ。
あなたはそれで良いの?」
思いもかけない言葉に、ロザリアが弾かれたように顔を上げる。
濃い青の瞳が、女王の金色の瞳をじっと見つめ返した。
「あなたも見たでしょう?
あれが女王の姿なのよ。
長い長い間、皆の尊敬の対象として聖なる乙女であることを要求されて、ずっと一人で孤独に耐えるの。
最初のうちはそれでもなんとかもつでしょうね。
でも・・無理は続かないものよ。」
女王の金色の瞳に自嘲の笑いが浮かぶ。
首をわずかに傾げて、立てた膝の上で頬杖をついた。
「それでもね・・・、本当に好きだった人には言えないものよ。
寂しいから傍にいて欲しい。
女王の愛人になって欲しい・・なんてことはね。」
「陛下は・・オリヴィエさまのことをお好きではなかったのですか?」
詰るようなロザリアの瞳を、女王はさらりとかわした。
「好きよ。
好きでもない人と一緒にはいられないわ。
でもね、私が女王候補だった時に、この先もずっと傍にいたいと思った人は、オリヴィエじゃない人だった。
まあ、その頃にはオリヴィエはいなかったんだけれどね。」
「どうしてそんなお話をわたくしになさるのですか?」
「言ったでしょう?
これは忠告よ。
欲しいものは欲しいと、言うべきときに言わなかった女がどうなるか、あなたに教えてあげたかったのよ。」
相変わらずゆるゆると流れるような口調で、女王は続けた。
「いろんな事情や責任なんて、その時々に誰にだってあるものだわ。
私の時だってそうだった。
わたしは女王にならざるを得なかったのよ。
それでも・・・、わたしはあの時に言うべきだった。
あの人に、傍にいて欲しいと。
愛人に身を落としてでも私の傍にいて欲しいと言うべきだったのね。」
女王の金の瞳がぴたりとロザリアに当てられた。
「オリヴィエを・・汚いと思う?
許せない?」
ロザリアには応えられない。
金色の瞳に、挑発的な色は既にない。
ただロザリアの本心をうかがうように、じっと見つめてくる。
汚いと思うのか?
ロザリアは胸の中でその質問を繰り返してみる。
母や女王のような女性の孤独を慰める愛人。
それはかつて彼女が思っていたほどには、汚らしいものではないのかもしれない。
理屈ではわかるのだ。
けれど彼女の感情は、それについてゆかない。
自分を好きだと言いながら、一方で他の女の孤独に付き合っていたオリヴィエを詰りたい気持ちがどうしても残る。
「わかりません・・わ。」
ようやく声に出した。
「では、返してちょうだい!」
激しい調子で女王が口にした。
驚いてロザリアが目を見開く。
らんらんと輝く金の瞳に、怒りとも悲しみともつかない表情が浮かんでいた。
「要らないなら返して!
あなたがそういうつもりなら、私がここを去るまでの後少しの間、オリヴィエを手放す必要もないのだから!」
「・・・・・。」
「オスカーがあなたに夢中なようね。
あちらなら、傷はないわ。
傷がないものが良いというのなら、それも良いでしょう。
いずれにしても・・・、オリヴィエは要らないのね!?」
ロザリアは女王の御前であることも憚らず、立ち上がった。
女王よりも高い位置から彼女を見下ろすなど、普段のロザリアなら死んでもしないことである。
激しい詰るような口調に、ロザリアは無性に腹が立っていた。
何故こんな風に言われなければならないのか。
好きでもない男に己の孤独を慰めてもらった女が、何を言うのか!
湧きあがる腹立たしさの中で、ふと思い至る。
返して・・。
その言葉が腹の立つ原因なのだ。
彼女は女王からオリヴィエを譲ってもらうのではない。
オリヴィエはもともとロザリアのものなのだ。
少なくともロザリアにとってはそうだった。
オリヴィエは唯一彼女の心に触れることのできた人間であった。
尋ねたことはないけれど、オリヴィエにとってもロザリアの存在はそうなのではないか。
あのシュプリーム号の最期の日、二人が共有した時間はその現れだったのではないか。
誰かの身代わりにオリヴィエを求めたに過ぎぬ女に、返してくれといわれる覚えはない!
「失礼いたします、陛下。」
丁寧過ぎるほどのお辞儀をして、ロザリアは女王の御前を辞去する。
広間の扉が彼女を飲みこんで再び閉じられると、女王は声を立てて笑った。
「感謝してね、オリヴィエ。
これであなたへの借りは返したわよ。」
一つ、ロザリアに故意に告げなかったことがある。
ロザリアが望むなら、もう一度女王の愛人と呼ばれることさえ構わないとオリヴィエが言った事。
それを告げてやれば、ロザリアの気持ちのベクトルに、もっと方向付けがしやすかっただろう。
だがしなかった。
「このくらいの意地悪・・良いわよね?」
ずっと彼女の心から離れることのなかったかつての恋人の姿に、女王はそっと話しかける。
もうじきこの地から去るという時になって、彼女はかつての自分の勇気のなさを心から悔やむ。
オリヴィエが言った「寂しさの道連れ」という言葉が、胸をついた。
もう、遅いかもしれない。
多分遅いだろう。
自分は長い間、寂しさの道連れに他の男を求めたのだから。
けれど今打ち明けておかなければ、もう2度と、今度こそ永久に彼女の恋を打ち明けることはできなくなってしまう。
受容れられなくても良い。
少なくともそれで後悔はしない。
オリヴィエが突き放してくれたおかげで、ようやく決心がついた。
「うまくおやりなさいよ。」
これは、本心であった。