萱葺きの城(19)

 

聖殿大広間。
女王の即位の式典はここで行われる。
その存在を多くの者が忘れ去るほどに滅多に開かぬこの部屋は、千人は楽に収容できる広さと、なによりも許す限りの豪奢な造りを誇る。
高い天井はゆるいカーブを描いた半円状で、そこには歴代の女王の即位の様子が細かな細工で描いてある。
立ち並ぶ彫像。
これも歴代の守護聖をかたどったもの。
最高級の緋の絨毯が、大広間入り口から玉座へと続く。
玉座の上には金の支柱で囲われたみごとな帳台が据えられ、新しい主人の到着を待つ。
午前十一時。
即位の式典の準備が着々と進められていた。

正午。
幾つもの鐘が同時に鳴り響く。
新しい女王の即位の式典の始まりである。
玉座に近いところから、まず守護聖がずらりと居並ぶ。
正装で起立する彼らの中に、一つだけ空席があった。
首座の守護聖ジュリアスが、式典の開始時刻にも現れないその空席の主に思いをいたらせ、眉を寄せる。
普段ならカンの強そうな叱責混じりの口調で、すぐにでも彼を呼びつけるように命じるところなのだが、何故だか今日はそうしなかった。
漆黒の衣装に身を包んだ闇の守護聖は、現れない。
ジュリアスはその空席をちらりと眺めやり、つぶやく。
「仕方あるまい。」
後は押し黙ったまま背筋を伸ばし、女王の入来を待って微動だにしなかった。

「新女王陛下、ご入来です。」
広間の大きな扉が内側から開かれる。
既に事実上の譲位を受けた新女王は、その頭上に女王の宝冠を戴き、薄物のベールで顔を隠していた。
昨日まで膝よりほんの少し長いスカートをはいて、軽快に跳びまわっていた少女と同じ人物とは思えない。
女王の白いドレス。
その背には女王の象徴、白い翼があった。
優雅な足取りで彼女は進む。
引き返すことのできない重い責任と孤独の運命の待つ、玉座に向かって。
八人の守護聖が最敬礼で迎える中、彼女は玉座に座る。
式次第に従い、首座の守護聖から順次即位祝辞の挨拶が奏上されていった。

赤い髪の長身が、新女王の前に跪く。
それまで黙って守護聖からの祝辞を受けていた新女王が、はじめて口を開いた。
「オスカーさま。」
名を呼ばれた守護聖は、伏せた顔を上げない。
「もはや・・、オスカーとお呼び捨てください。
陛下。」
低い声が応えた。
「これで最後です、オスカーさま。
・・・・。感謝していますわ。」
ヴェールからのぞく形の良い唇が、やわらかに微笑んでいる。
「本当に・・、ありがとうございました。」
ロザリアとしての最後の言葉。
これ以後は、彼にかけられることのない私人としての彼女の言葉であった。
伏せたままの彼の瞳が閉じられた。
感謝している。
一番聞きたくない言葉だった。
恋人には決して使わない言葉。
拒まれたのだ。
「陛下の御代が栄えあるものでありますように。
このオスカー、微力をつくさせていただきます。」
決まりどおりの言葉を口にして、彼は女王の御前をさがる。
今夜はたくさんの酒が必要だろう。
諦めきれぬ思いを封じこめるのに、少しは役に立つかもしれない。
いずれにせよ、祝賀の酒にならぬことだけは確かだった。

祝賀の宴の賑わいも、聖殿から離れた私邸にまでは聞こえてこない。
せめてもの救いだとオリヴィエは思う。
即位の式典だけは出席しないわけにはゆかなかったが、その後の宴は早々に退出した。
どんな顔であの場にいろというのか。
祝賀の記念にと下賜された特別醸造のワインが、手付かずのままでテーブルにのっていた。
これも揃いで下賜されたクリスタルのグラスは、やたらに施された細かいカットが目にうるさい。
「誰の趣味?・・たく。」
リヴィングのソファにだらしなく身を沈めて、手に取るでもなくそれを疎ましげに見やる。
ロザリアの即位の記念品など、見たくもなかった。
式典の間でオリヴィエが祝辞をのべた時、女王の正装をしたロザリアはわずかに顎を引いてそれに応えただけだった。
ベールからのぞいた口元は、かっきりと引き結ばれたまま、何の表情も伺わせない。
オリヴィエはそれを思い出して、唇を噛み締める。
たった三日だ。
三日前にあれほどのことがあった後だというのに、彼女は平気なのか。
自分の存在は、彼女にとってたかがそれだけのものなのか。
下界へ憂さ晴らしに行ったオスカーのように、飲んで酔って、忘れられるものならどんなに楽なことだろう。
忘れられるはずなどない。
それがわかっているだけに、オリヴィエは胸の苛立ちをどうしようもない。
このまま力の尽きるまで、この世で一番大切な存在を目の前に、触れることさえできぬ日々を過ごすのか。
耐えられない。
耐えられるはずなどない。
ばんと両手をテーブルに打ち付ける。
オリヴィエはそのまま、しゃっきりと立ち上がった。
行こう。
彼女が拒んだとしても。
どんな不名誉も彼を傷つけはしないのだと、彼女に知らせてやろう。
今度こそ。
必ず。

バタバタバタン!
夜の静けさを破って、大きな音がする。
オリヴィエの心に、歓喜の予感が走った。