萱葺きの城(5)
「あのねえ、オスカー。
それは十分、手を出したって言うんだよ。」
ほとほとあきれ果てたと、オリヴィエが目を閉じてため息をつく。
「アンタときたら・・・・。」
オスカーの話した今朝の出来事は、いかにも彼らしい失敗であるように思われた。
世の女性の注意は、すべて自分に向いているべきだとでも思っているのだろうか。
オスカーの不遜なまでの自信は、時折こういう滑稽な失敗を生む。
あまり知られていないことであったが。
「で?」
「で・・・ってそれだけだ。
その後、彼女の部屋に行ってみたが、まだ帰っていなかった。」
「アンタらしくないね。」
オリヴィエがぴしゃりと決めつけた。
「失言だったってわかってるんだろ?」
「ああ。」
「じゃ、アンタのいるところはここじゃないだろ?
ったく、何やってんだか。」
「だがな、オリヴィエ。」
薄い青の目に迷いがあった。
滅多に見られぬものである。
「俺は間違ったことは言ってないんだぜ。
確かにロザリアにはこたえたかもしれんがな。」
リヴィング用の低いテーブルの上で、オスカーは両手を組んだ。
前かかがみになった姿勢でその視線を自分の手に落とし、しばらくの間言葉を捜しているようだった。
「うまく言えないが、ロザリアはあの馬を手放すべきだと俺は思うんだ。」
「・・・・・・。
それで?」
「一目でわかるぜ。
あの馬は根っからの競走馬だ。
お嬢さんの乗馬用の馬じゃない。」
思いきったように顔を上げたオスカーの視線が鋭い。
「人にそれぞれ適性があるように、馬だって同じことだ。
自分の能力を生かせない場所にいることは不幸なことだと俺は思う。
馬には自分の生きる場所を選択する自由がないんだぜ?
人には・・そう、すべてではないが、多くの者にその自由があるというのにだ。」
確かにすべての人が、自らの生きる場所を決められるわけではない。
皮肉なことに、そのサンプルがここに二人もいる。
「適性を捻じ曲げてまで傍に置きたいと願うのは、愛情ではない。
それは・・・、依存だ。
俺は彼女にそんなことをして欲しくはない。」
「ずいぶんと肩入れしたもんだね。
あのお嬢様に。」
オリヴィエの中には、ロザリアの像が実感として存在しない。
オスカーと同じテンションでこの話題に参加することは、できそうもなかった。
「ふん・・。
アンタがそう思うのならいいんじゃない?
彼女がどう思おうが、それは彼女の問題だからね。」
「ずいぶん突き放した言い方だな。」
不服そうな尖った口調だった。
「所詮他人の心のうちなんて、外から見えるもんじゃないからね。
彼女が背負ってるものもその馬への思いも、他人にはわからないことだろ?
わたしはね、そういうもノに迂闊に入りこむのは好きじゃないんだ。」
「迂闊に入り込むつもりなんてなかったさ。
もっと、そう、もっと心を開いて話せる関係ができた後で、言うべきことだった。
だから、俺らしくもない失敗なんだ。」
言ったことは後悔しないが、その伝え方に問題があった。
そういうことか。
傷つけることがあっても、言うべきは言う。
オスカーの場合、その後のフォロウも見事なのだからそれはそれでいいだろう。
だがすべての人が、彼の激しさを受け止められるわけではない。
ぐいと圧倒的な勢いで迫ってくるオスカーなりの正論、美学の前に、戸惑い心を乱されたままの者もいるはずである。
「一般論だけどね。」
前置きをして、オリヴィエは口を開いた。
「依存しててもいいんじゃないかな。
それがどうしても必要なときってあると思うしね。
人は自分がこうありたいと思うようにばかり生きてるわけじゃないし、生きられないって時もあるからさ。」
「悪いがそういう考え方は性に合わんな。」
即座にオスカーが切り返した。
薄い鋭利な刃のような瞳が、強い拒絶の色を浮かべてきらめいる。
「ずるずると甘やかすことと、戦った後でその傷を癒してやることとでは、天と地ほども違うぜ。
おまえの言ってるのはただ甘やかしてるだけだ。
それは優しいように見えて、無責任なだけだぜ。」
その傷が癒えるものならば良い。
だが致命傷になるような傷の場合、どうなるのだ。
傷の深さまで外からわかる者がいるのか。
傷を共有しようというのは思い上がりではないのか。
オリヴィエは、自分の次の言葉を待ちうけているオスカーの強い視線を斜めに受け流しながら、それだけのことを言うのをやめた。
確かにオスカーの性には合うまい。
満身創痍になろうとも、戦って戦って、前をのみ見つめて生きようとする男なのだから。
「そう。
じゃあ、これから心を開いた関係に持ちこむんだね。
失敗は失敗として、素直に認めてるんだからね。」
話題をさりげなくうち切ろうとする。
カップが空になっている。
席を立つのに良いタイミングだった。
「お茶、淹れかえようね。」
組んでいた足をほどいてオリヴィエは立ちあがる。
ふわりとオレンジの香りがした。
「なあ、オリヴィエ。
悪いが、おまえも気をつけていてくれないか?」
下から懇願するような青い瞳。
ああ、駄目だ。
心の中でオリヴィエは目を覆った。
この強気の男にこういう顔をされるのが、一番困る。
本人は気づいてないだろうが、幼い少年が無邪気に甘えているような、そんな顔なのだ。
本来なら突っぱねたい依頼である。
だが結局・・。
「あ~あ、つくづくわたしはアンタに甘いよね。」
ため息をつきながら応える自分は、なんと人がいいのだろうか。
「でも、見てるだけだよ。
それ以上のことはしないからね。」
「ああ、それで十分だ。
俺は俺ですべきことをする。
後背をおまえが見ていてくれれば、こんな心強いことはないぜ。」
にやりと不敵な笑いを返す。
<いい性格してるよ。>
まったく勝手な男だと、オリヴィエは心中で苦笑していた。
来客用に運び込まれたワゴンの上には、オスカー用のコーヒーのポットと、もう一つ、オリヴィエのための紅茶のポットがのっている。
背の高い、深い青をした磁器のポットを、オスカーの目の前に置いた。
「はい、セルフサービスでどうぞ。
お好きなだけ。」
もう一度、今度は自分用のポットを取りにワゴンに戻りながら、オリヴィエはほんの少し憂鬱だった。
引き受けたことは引きうけたが、正直厄介なことだと思う。
他人のことに関わるのは、できるだけ避けたかった。
まして相手は女王候補である。
この上なく厄介な相手のような気がする。
今のところとりたてて印象にも残らぬ少女のために、自分が多少なりとも気を遣うのか。
職務以外の関係を彼女と持つことが、わずらわしくないといえば嘘だった。
「ま、引きうけたんだから仕方ないか。」
「なにか言ったか?」
声に出してしまっていたようだ。
オスカーが訝しげにこちらを見ていた。
「ん、ちょっと冷めてしまったかなって言ったんだ。」
努めて晴れやかな笑顔を作った。
辛気臭いのはオリヴィエの好みではない。
「今日はこのまま、うちで夕食を済ませて帰るつもりなんだろ?」
「まあな。
休日の午後、俺が一人で出かけると、それこそ休みにならんからな。」
とくに自慢しているわけでもないらしい。
ごく当然のこと、事実を言っているだけだという調子で、オスカーはしゃらっと応える。
「はいはい。
そうでしょうとも。」
その夜遅くまでそんな会話は続く。
今朝の寝不足にも関わらず、宵っ張りのオリヴィエがベッドに入ったのは、既に午前二時を回った頃だった。