Die Station ~ die zu Heaven fortsetzt~(2)

 

3つの墓標があった。
刻まれた文字は多少風化していたが、十分判読できる程度のものである。
一つは父のもの。
隣りは母の。
そしてその隣りは妹のものであった。
両親ともに天寿をまっとうしたように見えるが、妹はそうではないらしい。
埋葬された日付によれば、どうやら25才でこの世を去っている。
はにかみやのあの娘になにがあったのか。
痛ましい思いで墓石に刻まれた文字を追う。
「最愛の娘、安らかに。」
残された両親の贈った言葉の他、そこには何も記されてはいない。
「どうしたっていうんだ?」
兄の問いかけに、冷たい石の墓標はなにも応えない。
おかしなものである。
「おにいさま、いってらしゃいませ。
どうかお元気で。」
別れの日、泣きはらした目で精一杯の微笑を贈ってくれた妹の姿しか浮かばない。
あれ以降、彼の中で妹はそのままの姿でありつづけ、もちろん両親も、それから弟も。
それなのに現実は違った。
三つの墓標、目の前にあるそれが、彼に現実を見せつけた。
長い長い時間が、恐ろしいほどの時間が、過ぎ去っていたのだ。

「弟君は別にお屋敷を構えられました。
オスカーさまがお戻りになった時のために、あのお屋敷は残しておくのだとおっしゃったそうです。
私どもはその言いつけを守り、いつかオスカーさまがお戻りになる日のために、あのお屋敷を管理しておりました。」
背中から遠慮がちにかかる声。
「『炎のお館』、私どもはそう呼んでおりましたが、オスカーさまのお屋敷から少し離れたところに、弟君のお建てになった現在の本家がございます。
私どもはそちらで暮らしておりますので、なにかございましたらどうぞ御遠慮なく、お申しつけくださいますように。」
現在の当主、オスカーにとっては弟の末裔。
赤い色の髪こそしていなかったが、その瞳の色はオスカーのものと同じ。
氷のように薄い薄い青であった。
「ああ、ありがとう。」
振り向いて、礼を言う。
40才を少しばかり過ぎたように見える男は、自分よりはるかに背の高い遠い血縁の視線に、おどおどと目を逸らした。
無理もない。
とうに死んでしまった先祖の、その兄であるという男であった。
普通の感覚であれば、戸惑うなという方が無理というものだ。
「そ・・・れでは、私はこれで。
通いのメイドを後でうかがわせますので。」
用件だけを伝えると、そそくさとその場を去る。
風が吹く。
草の香りの風が吹く丘陵の上、オスカーは膝をつき、持参した白百合を1輪づつ、冷たい石の墓標の前にそっと置いていった。

弟の言いつけはよく守られてきたようで、オスカーの屋敷はしっかりと手入れがされていた。
庭の木々、それに花々。
母が好んだそれらのものは、昔と同じ配置と配分で置かれていた。
屋敷の壁や天井も、長い年月が過ぎたとはとうてい思えぬほど清潔ですっきり真新しい。
家具もしっかり磨き込まれていて、しっかり者の母がメイドたちを差配していた頃と寸分変わらぬ様子でつやつやと美しい。
変わらない、そのあまりにも変わらない様子が、かえって彼を孤独にさせた。
いないのだ。
誰も、もうここにはいないのだ。
どんなに器が変わらなかろうと、ここに住む者はもういない。
彼の他に。

居間の暖炉の傍に、父の好んだ大きな椅子があった。
深い青の布張りで、頑丈な肘掛のついたもの。
別れの前日、父はそれに腰掛けていた。
オスカーはその背後に立ち、言ったものだ。
「父上、明日発ちます。
家名に恥じぬ働きをしてご覧にいれます。
きっと。」
背中を向けたまま父は頷いた。
そしてゆっくりと立ちあがり、暖炉の上の棚から小箱を取って振り向く。
「これを渡しておくぞ。
母上からだ。」
濃い紫の小さな箱。
「自分で渡せと言ったのだがな、見苦しく乱れるのは嫌だからと言う。」
父は苦笑していた。
「名誉あることだ。
何を嘆く事があろうか。
だが、母上の気持ちもわからんではない。
見送りはしないそうだ。
許してやってくれ、オスカー。」
オスカーの手に、紫の小箱が渡された。
蓋を開ける。
鮮やかな赤、スタールビーの指輪であった。
それは母の指を飾ってきたもの。
なにか特別の行事がある度に、当主の妻の証として、それは母の指で煌いた。
「これは・・・・・・。」
「いつか、妻にと決めた女性に贈ると良い。
いつか・・・・・・な。」
オスカーのものよりやや濃い青の視線。
いつもは厳しいその視線が、その夜は寂しげに見えた。
「覚えておけ、オスカー。
この家の次期当主はおまえだ。
おまえが戻ってくるまで、その座は空けておく。
聖地でのお勤め、骨身を惜しむなよ。」
それがオスカーの聞いた、最後の父の言葉だった。
その翌朝、彼は誰にも気づかれずそっと家を出たから。

父の椅子に左手を預け、ぼんやりと思いに耽った後、旅行かばんからあの紫の小箱を取り出した。
暖炉の上に、ことりと置いた。
「この甲斐性なしが。」
父の声が聞こえるようだ。
「良い娘はいなかったのか?
だらしのないことだ。
俺がおまえの年には、もう母上をつかまえて・・・・・。」
豪快な笑いと共に、からかうような声で続けられる自慢話。
ふっと、オスカーは笑う。
<いましたよ。
ご覧になれば、きっと父上も驚かずにはいられない、極上のレディーがね。>
心の内でそう応えると、胸の奥に痛みが走った。
濃い深い青の瞳。
陶器のように滑らかな肌をした、あの愛しい女性を、彼の心はまだ覚えている。
もう2度と会う事などできないというのに、それでもまだ。
渡さずに来た指輪。
それは封じこめた、彼の思いの証であった。
「父上、当主にあるまじきことと承知しております。
ですが、お許しください。」
椅子に手をかけたまま、父の幻に頭を下げた。
「俺は妻はもちません。
ただ1人妻にと望む女性は天上に在り、下界へ降ろす事など、俺には出来ませんでしたから。」