Die Station ~ die zu Heaven fortsetzt~(7)
主星の貴族などといえば、贅沢三昧の暮らしを想像されがちであるが、その実、彼らの日常は意外にも質素なものであった。
それは名門といわれる家において特に顕著であって、名門中の名門カタルヘナ家でもやはりその例にもれない。
食事は、空腹を満たし、日々の活動源に必要十分な熱量があれば足りる。ことさら豪華であったり、珍味であったりする必要はない。
むしろそれらの贅沢は、健康のためには害である。だから美々しい料理の皿がずらりと並ぶ晩餐会など、そう滅多に開かれるものではなかった。
けれど一度開かれると、名門カタルヘナ家の名に恥じぬ絢爛さ。
王侯貴族の奢侈を極めて、昼よりも明るい夜が訪れる。
色とりどりの絹のドレスに紳士の礼装。
華やかな音楽を背景に、揺れるたくさんの蝋燭の明かり。
羽の扇、むせ返る香水、白くきらめくダイヤの首飾り。
今宵の宴は、カタルヘナ家一人娘の誕生祝である。
昨年の同じ夜、カタルヘナ家の当主は、一人娘を社交界にデビューさせた。
初めて人前に出た彼女は、切れ長の青い瞳をした凛とした美少女で、そこに居合わせた青年たちをたちまち虜にしたものだ。
婚約者の存在は広く知られてはいたが、名門カタルヘナ家の嗣子であれば、それはそんなに驚くほどのことではなく、むしろ彼女の結婚が正式に決まってしまう前に会えてよかったと、彼らの多くは喜んだ。
カタルヘナの青い薔薇。
誰言うとなく贈られた名。
その薔薇を摘み取る栄誉を得るものは誰かと、しのぎを削ったあちらこちらの晩餐会。
だがそれも、今宵で終わり。
青薔薇は、永久に彼らの前から消えてしまう。
聖地へ召されたのだと。女王の宝冠を戴くために。
「ロザリア…。」
控えめにかけられた声に、ロザリアはびくりと肩を震わせた。
高く結い上げた巻き髪は、二時間もかけてセットしたもので、彼女をいつもより大人びて見せている。
ほっそりと長い首筋、それに続く優しい胸の曲線。
「カタルヘナの青い薔薇」の名に恥じぬ凛とした立ち姿。
だがロザリアの胸の内は、乱れていた。
社交上の儀礼、晴れやかな微笑は、カタルヘナ家の娘として生まれた時から訓練されたもの。
息をするのと同じくらい、当たり前のしぐさや表情であって、内心の本当の心を映し出すものではない。
晴れやかな微笑のマスクに隠した本心は、まるで正反対のものである。
脅えていた。
会いたくて、どうしても会いたくて、わがままを通したというのに、脅えていた。
怖かった。
初恋の青年、婚約者に会うことが。
別れを告げなければならないことが。
「ロザリア。」
もう一度呼びかけられて、ようやく振り向いた。
凍りついた微笑は、泣き笑いのように見えるに違いない。
だがそれを取り繕う余裕も、彼女にはなかった。
「外に出ないか?」
青年の青い瞳にも、微笑はない。
低く沈んだ声が、複雑な心境を十二分に伝える。
「話がしたいんだ。
最後に…、なるだろうから。」
ロザリアの手をとり、そのまま外へと連れ出した。
「ここで、よく話したね。」
一階の広間から抜け出した二人は、踊り場に通じるバルコニーで向き合った。
冷たい石の手すりに背を預け、青年はようやく微笑する。
「覚えてるかい?
君にプロポーズしたのも、やっぱりここだったよね?」
忘れられるはずもない。
あの夜、ロザリアは興奮して眠れなかったのだから。
乳母を相手に何度も何度も、青年の言葉を繰り返した。
「ねえ、ばあや。
『僕と結婚してくれるかい?』
そうおっしゃったのよ。」
「はいはい…。
もう何度もうかがいましたよ、お嬢様。
当然でございましょう?
あの方は、お嬢様の婚約者でおいでですからね。」
あくびまじりに応えられ、本気で憤慨したものだ。
「ばあや、もっとちゃんと聞きなさい。
わたくしがプロポーズをお受けした夜ですのよ?」
懐かしい切ない記憶。
甘い思いに酔ったままロザリアは口を開く。
「ええ、覚えていますわ。」
微笑を返そうと思った。
だがうまくゆかない。
涙がこぼれそうになって、ロザリアは顔をふいと背けた。
「君がね…、女王候補として聖地に召されるって聞いてね、僕はどうして良いかわからなかった。
いいや、今だってそうさ。
まだ、どうして良いのか、わからないままさ。」
幼い日に、互いの将来を約束した二人であった。
青年の思いは、そのままロザリアの思いでもある。
女王の宝冠が、カタルヘナ家にとってこの上もない名誉であったとしても、ロザリアにとって青年との将来には代えがたい。青年の思いもそれと同じに違いない。
〈断ってしまおう。〉
だから彼女はそう思った。
女王候補は、何もロザリアでなくとも良いはずだ。
サクリアを持つ少女は彼女だけではない。
ここでロザリアが拒んだからといって、次代の女王の選出にそれほどの影響はない。
「わたくし…。」
決意を言葉にしようとした時、
「だけど仕方ない…。
これも僕の運命だと、そう思う。」
青年の言葉が、ロザリアの続く言葉を封じる。
「え…?」
心臓が凍りつく音を、ロザリアは聞いた。
「他の子なら知らず、君が立つんだ。
間違っても選にもれるなんてありえないからね。」
苦しげに唇を歪めて、青年は目を逸らす。
「女王陛下相手に、僕が恋を語るなんて、そんな畏れ多いことができるはずもないさ。」
何を言っているのだろう。
彼はいったい何を。
ロザリアをあきらめると、そう言っているのか?
彼女の意思を確かめることもなく?
「本気で、あなた、本気でそんなことをおっしゃっておいでですの?」
乾いた唇がひび割れるようだ。
ひりつく喉が、ロザリアの声をかすれさせる。
「聖地にさからったらどうなるか、知らない君じゃないだろう?
僕は、我が家に逆賊の不名誉を招じ入れるわけにはいかない。
どんなに君を愛していたとしても、それはできないよ。」
多分、顔色ひとつ変えないでいられたはずだ。
衝撃はロザリアの心臓を貫いていたけれど、青年の思いが彼女のものとは異なると知った今、ロザリアの誇りが見苦しく取り乱すことを拒んだ。
平然と、何事もなかったかのように、貴族としての最高の名誉である、女王候補としての召還を彼女も喜んでいるように。
そのためには、幼い日からの約束を捨てて、どうということはないと思っているように、振舞わなくてはならなかった。
「そう…ですわね。
わたくしもあなたも、進むべき道が違ってしまったということですわ。
最後に、こうしてお目にかかれてようございました。」
やわらかい曲線を描く唇を、ロザリアは全精力を傾けて作り出した。
こみ上げる嗚咽は、喉元で封じ込める。
それなのに青年は泣きだしそうな顔をする。
自分が言い出した言葉で、二人の縁をばっさりと切り捨てておきながら、泣き出しそうな表情、そして震える指。
「何がいいかわからなかった。」
取り出した青い箱。
青年の震える指が蓋を開くと、落ち着いたシルクの色彩がこぼれだす。
深い海の青、実りの麦のような黄金色、夜の闇色、燃えるような赤。
晴れやかな笑顔のまま、ロザリアは指を伸ばし、赤いリボンを取り上げた。
今まで一度も身につけることのなかったその色を。
「これをいただきますわ。」
「いや、これはみんな君のためにと…。」
言いさした青年の言葉に、ロザリアは首を振る。
「聖地に参りましたら、こちらとは無縁の日々ですわ。
思い出は少しだけで…、これで十分。」
「僕を許してほしい。
ロザリア、今だって僕は君のことが…。」
青年の腕が彼女に向かって伸びるのを、そっとすり抜ける。
そのままくるりと背を向けた。
「さあ、戻りましょう。
お父様たち、心配なさっておいでだわ。」
そして二度と、ロザリアは振り返らなかった。
〈もうご縁は切れたものと思いなさい。〉
母の言葉が、頭の中をぐるぐると回る。
握り締めた赤いリボン
多分、生涯身に着けることはないだろうけれど、捨ててしまうこともできないだろう。
未練に思う自分を、憎らしく思う。
惨めで、悲しかった。
それから数週間後の朝、ロザリアは聖地へ上がった。