金と銀(23)

抱きしめた。
細い身体が弓なりになるほど、思いきり。
レヴィアスの腕の中、彼女が小さく身じろぎをする。
「息ができない。
もうちょっとだけ、緩めて。」
くぐもった声にレヴィアスは笑いをもらす。
「だめだ。
我は聞いたはずだ。
抱いても良いかとな。
受けた以上、文句を言うな。
こうしていたいのだ。
我が・・・・・・。」
そう言いながら、レヴィアスは少しだけ腕の力を緩めた。
そしてそのまま右腕で彼女の首を抱き、上向ける。
紅潮した頬。
潤んだ碧の瞳が恨めしげに彼を見上げた。
先刻の涙がまだ残る長いまつげに、レヴィアスの指がそっと触れた。
「我が恋しいか?」
意地悪くにやりと笑った。
どこまでも素直ではない自分に苦笑しながら。
恋しいのは、恋いこがれているのは、他ならぬ彼自身ではないか。
それを誰よりも承知していながら、まだこんな憎まれ口を叩く。
「そうだと、言え。
・・・・・・・、言ってくれ。」
かすれた声は哀願に近い。
小さな唇が開きかけ、何か応えようとする。
だが音にはならない。
その前に。
唇は塞がれていた。
火の出るような勢いで。
息もできない激しさで。

「おまえに見せたいものがある。」
唇が離された時、アンジェリークの間近で金と緑の異眼がやわらかく微笑した。
「なに?」
小首を傾げた彼女にレヴィアスは応えない。
「行くぞ。」
レヴィアスは短くそう言うと、小さな声で詠唱を始めた。
途端、二人の周りに星の海が広がる。
数えきれない星々の明かり。
暖かいオレンジ色の球体に包まれて、彼等二人はその中を進んだ。
「見えてきた。
あれだ。」
あれと指差す先を、アンジェリークは追う。
緑の美しい惑星が、間近に見える。
「あれが我の星。
憎くて、懐かしい、我の故郷だ。」
言葉どおりの表情が、彼の両目に浮かんでいた。
複雑な色。
この惑星のため、この惑星に戻るため、レヴィアスはどんなことでもしてきたのだ。
「おまえといるからな。
結界を破ることに、無駄な力を使わずに済んだ。
女王の力か・・・・。」
苦い笑いがレヴィアスの口元に浮かんでいた。
このためにこそ、彼は女王の力を望んだのだったから。
だが今となっては、それもどうでも良いことになってしまった。
今の彼の望みは。
愛しい少女に彼の故郷を見せること。
見てほしい。
知って欲しかった。
彼の過去の全てを。
彼が過ごしてきたその全てを。
「おりるぞ。」
そう言うと、レヴィアスはしっかりと彼女を抱き直す。
ふうと球体が一気に惑星に近付き、そして緩やかに下降を始めていった。

緑色に見えたのは、この惑星を覆う豊かな木々のせいだった。
あちこちに散在する森。
透きとおる湖。
それに碧色をした穏やかな海。
風まで穏やかで優しい。
「綺麗なところだね。」
アンジェリークは思わず口にしていた。
「ほんっとにきれい。」
彼等が下りたのは、小高い丘の上。
かつてレヴィアスが最後に陣を張った、あの丘であった。
眼下に皇宮を見下ろす。
「あれが・・・・・。
皇宮だ。
あれに戻ることだけが、我の望みだった。
もう長いこと、それだけが・・・な。」
金色の瞳に翳りがさした。
同じ色の瞳をした人々が、あそこにはいる。
そしてその中に、レヴィアスの両親もいるはずであった。
大逆の罪を犯した息子がいるとは言え、本来正当な皇位継承者であった父とその妻を、叔父も粗末に扱うことなどできぬだろう。
安穏として暮らしているのだ。
きっと、いや間違いなく。
絹のドレスと宝石に包まれて、相変わらず母は艶やかで美しいことだろう。
息子がいたことなど、思い出すこともしない。
思い出すことは、彼女を不愉快にさせるだろうから。
不愉快なことはなかったことにしてしまう。
そんな母の性分を、レヴィアスは苦い思いで思い出していた。

そっと、彼の腕に触れるものがある。
反射的に顔を向けた先に、碧の視線。
気づかわし気に見上げる、アンジェリークの大きな碧の瞳があった。
彼女は何も言わない。
自分の両腕の中に、レヴィアスの右腕を抱え込む。
まるで彼の心を抱くように。
大丈夫だからと、そんな風に。
胸の奥に灯がともる。
小さな小さな灯りだったけれど、それは本当に暖かい。
レヴィアスが抱えてきた氷の塊を、ゆっくりゆっくりと溶かしてゆくようだ。
ようやく手に入れた。
他人が安らぎとか幸せとか呼ぶ、この感情を。
たまらず抱き寄せた。
細い腕を引き寄せ、そのまますっぽりと自分の胸の中に。

どのくらいそうしていただろう。
このままずっと、こうしていたいとレヴィアスは思った。
手に入れた暖かさを、二度と手放したくはない。
そう思う。
だが。
そうしてはならない。
アンジェリークの勇気に、レヴィアスは甘えてはならない。
それをすれば、昔と同じ過ちを犯すことになる。
甘えてはならない。
甘えるだけでは。
「あれに戻りたかった。」
静かにレヴィアスは口を開いた。
「あれに我はどうしても。」
アンジェリークは彼の胸に顔を埋めたまま、黙って聞いている。
「だが、おまえなしでは意味がない。
そのことに、我は・・・・・・。
我はようやく気がついた。
だから・・・・・・・。」
そこで彼は言葉を止めた。
いぶかしげに、アンジェリークが顔を上げる。
見上げた先に、この上もなく優しいレヴィアスの微笑があった。
金と緑の異なる瞳に、いとしげな微笑。
「アンジェリーク、このままおまえの傍にいることはできぬ。」
「・・・・・・!」
抗議しかけた彼女の可憐な唇を、レヴィアスはそっと指で塞いだ。
「聞け。」
碧の瞳には怒りと、たとえようもない不安があった。
どうして?
言葉よりも雄弁に、その瞳はそう叫んでいる。
それを嬉しくも愛しくも思いながら、レヴィアスは続けた。
「清算せねばなるまい?
おまえと共にあるには、我は汚れ過ぎた。
侵略者と共に在る女王など、許されるものではない。」
「私はもう女王じゃない!
そう言ったでしょう?」
ついに堪えきれず、アンジェリークが叫んだ。
レヴィアスの微笑がさらに濃くなった。
「だから・・・だ。
我を選んでくれたおまえに、我も応えたい。
相応の礼と・・・・・、気持ちをもって。」
レヴィアスの指が彼女の頬にかけられる。
そっとそこに唇を落とした。
「我は必ず戻ってくる。
必ず、必ずだ。
だから、おまえは待っていれば良い。
我を信じて。」

気がつけば、アンジェリークは元の場所にいた。
別れねばならぬ。
レヴィアスが言ったからには、本当にそうなるのだろう。
その動揺が、彼女からすべての理性を奪っていた。
しがみつくようにして、レヴィアスの胸に顔を埋め続けていた。
星の海を渡って帰ってきたのであろうが、それさえも覚えていない。
わかっているのは、レヴィアスと離れねばならぬということだけ。
必ず戻ると言ったけれど、それがどのくらい先になることか。
今の生を清算し、そして彼が再び彼女の元に戻る時、今のままのレヴィアスであれるのだろうか。
今のままのレヴィアスを、いや今のままのレヴィアスだからこそ、愛しているというのに。
「いや・・・・。
いなくならないで。」
迸り出たのは、心からの叫び。
「我を信じられぬか?」
聞き慣れた低い声。
深くて優しい。
「そんなに不安げな顔をするな。
行きづらくなる。」
苦笑してレヴィアスは、アンジェリークをしっかりと抱き直す。
「転生を司る女神の首を締め上げてでも、我は必ずおまえの元に戻る。
だからおまえも・・・・・・。」
言いさしてレヴィアスは息をついだ。
唇を求める。
わずかに離されたその距離で、愛しい少女をじっとみつめた。
「我を裏切るな。」
金色の瞳が煌めいて、わずかに細められた。
にやりと笑う。
そしてもう一度唇を求める。
それは誓約の証。
受けた上は、けっして違えることのできぬ。
アンジェリークの未来を縛る、嬉しい誓約の証だった。

レヴィアスは去った。
鮮やかに、気配一つ残さず、彼はその身を塵と化す。
呆然と立ち尽くすアンジェリークに、遠くから名を呼ぶ声がした。
「アンジェリーク!!」
扉の外で待機していた、彼女の仲間であった。
「城が崩れる。
早く脱出を!!!!」
はっとして周りを見回した。
ぴしぴしと小さな音がしている。
壁に亀裂が走る。
「何をしている?
早く!!」」
炎の守護聖オスカーが、彼女の身体を抱きかかえた。
そしてそのまま脱出する。
崩れる。
崩れてゆく。
レヴィアスのいた城が、がらがらと音をたてて。
オスカーの腕の中、アンジェリークは声をあげて泣いた。
レヴィアスがいなくなった。
確かにそれは事実だと、そう感じられたから。

あれほどの異変があったことなど、まるで嘘のようだ。
平和で穏やかな毎日が、アンジェリークの統治する新宇宙では過ぎていた。
新しい惑星が次々と生まれ、だんだんに宇宙らしい様子を見せ始めている。
だが女王の表情は冴えない。
暗く沈んで、どこか虚ろに見える。
新しい宇宙、新しい命の輝きに満ちた、生き生きとした。
その主にとてもふさわしい表情ではない。
だがある朝。
女王補佐官が告げた。
「初めての生命体が生まれたよ。」
興味なさそうに、アンジェリークは生返事をする。
「そう・・・・。」
「男の子!
でも珍しいね。
金と緑の目をしてた。
ほんっと珍しい。」
補佐官の言葉に、アンジェリークははっと顔を上げる。
「え?
金色の?」
思わず問い返していた。
「そうだよ?
どうしたの。」
補佐官の不思議そうな声を、もうアンジェリークは聞いていない。
金色。
金と緑の目。
レヴィアスだ。
彼が戻ってきた。
涙が、いつのまにか頬を伝っていた。
「我は戻る。
おまえの元に。
必ず、必ず・・・な。」
ずいぶん聞いていないような気がする、あの声が聞こえた。
何よりも愛しいあの。
「見てくるわ!
その子!」
そう言うのと、立ち上がるのは同時だった。
ばたばたと飛び出していくアンジェリークの背を、補佐官の声が追いかける。
「待って。
ワタシも行くよ。」
銀色の飛行艇が、その日聖地から飛び立った。
行き先は。
新しい生命体の生まれた惑星。
緑の美しい小さな惑星で、女王は見たこともないほどに、幸せそうであった。
聖地の記録は、その様子を克明に記している。