金と銀(3)
<もうすぐだ。
俺は皇帝になる。
そうしたらすぐに会える。
エリス、今度こそ誰にも邪魔はさせない。>
目の前で燃え盛る炎の向こうに、幻が見える。
愛しい少女。
ただ1人、何にも増して欲しいと思った。
戦況の観察を、つかの間忘れる。
いつかレヴィアスは、語りかけていた。
幻の少女に向って。
昔、無能で怠惰な父は、むざむざと実弟に帝位を奪われた。
そしてその後、正統なる皇太子であるべきレヴィアスの身は、帝国中の厄介者になり果てる。
本来歓迎されるべき彼の聡明な性質も、叔父にとっては目障りで仕方ない。
だが目障りだという理由だけで彼を殺すわけにもゆかず、叔父は彼を飼い殺しにすることに決めたのだ。
皇族の身分は保証した。
だがけっして帝位には近づけぬ。
18才になる頃には、レヴィアスもだんだんにそんな環境に慣らされていた。
身の内にやる方ない不満を抱えてはいたが、彼はそれを遊興三昧で晴らそうとした。
戦うのではなく逃げた。
女を買い、酒におぼれ。
エリスに会ったのは、そんな頃だった。
メイドとして、彼女は彼の前に現われた。
栗色の髪、気の強そうな青緑の瞳。
最初から主人である彼にも、遠慮なくものを言う少女だった。
細い眉をひそめて
「ダメです。」
彼の不行状をたしなめる。
変なやつだと思いながらも、なぜだか不快ではない。
コイツとは、馬が合うのだろう。
その程度の認識しかない、レヴィアスであった。
だが。
「お酒ばかり飲んでると、頭が悪くなりますよ。」
ある日、朝帰りのレヴィアスに向って、彼女は笑って言った。
てっきりカンカンに怒っているだろうと思っていたのに、笑っている。
肩透かしを食らわされたようだ。
それにしても・・とレヴィアスは思う。
屋敷中の使用人はすっかり寝てしまったというのに、彼女だけは待っていてくれた。
一晩中、彼のためだけに。
彼のベッドを整え、エリスはぽんぽんと枕を叩いた。
「さぁお休みください。
明日はきっとひどい二日酔いでしょうけど、自業自得ですからね。」
「うるさいな、お節介が過ぎるぜ。」
憎まれ口を叩きながら、彼の胸は温かかった。
「おまえ、寝ないで平気なのか?
俺なんか待ってて、寝てないんだろう?」
だから素直に聞いた。
エリスが一睡もせず、仕事に出るのに気づいたからだ。
「休め。
俺が許す。」
エリスはとんでもないと首を振った。
「これは私の仕事です。
レヴィアスさまのお世話をするために、私はこのお屋敷にいるんです。」
仕事・・・。
その言葉が彼には辛かった。
「勝手にしろ!」
なぜ自分が怒るのか、その時のレヴィアスはもう知っていた。
それ以来、彼は朝帰りをやめた。
レヴィアスの表情に笑いが戻った。
エリスを得た。
それが彼に、生きている実感を教えたから。
「適当にしておきなさい。
メイド相手に本気になるなど、みっともない事ですよ。」
権高い母の苦言など、彼には全く効かない。
みっともない?
笑い飛ばすレヴィアスだった。
死んだように生きていた自分が、今こうして笑っていられるのは、身分高い貴婦人のおかげではない。
エリスの、たった1人で家族の面倒をみる、健気な少女のおかげではないか。
彼女の傍でだけ、レヴィアスは生きることを許された。
笑うことを許された。
もう彼女を失うなど、とても考えられなくなっていた。
そこへ・・・・・・・・・・・・・。
突然の悲報。
「な・・・んと言った?」
最初レヴィアスは、その知らせの意味がわからなかった。
「おい!
なんと言った?」
知らせを運んできたメイドに掴みかかる。
「あの・・・。
ですから・・・、エリスが自殺しました。
バルコニーから飛び降りたんです。」
脅えきったメイドを突き放すと、彼は母の元へ走った。
きっと母が絡んでいる。
直感したからである。
「あらあら、どうしたの?」
血相をかえて飛びこんできた息子に、母はいつもと同じ笑顔を向けた。
「エリスのことです。
母上、なにか御存知ですね?」
「ああ、あの恩知らず。
バカな子よ。
皇帝陛下の側室を嫌って、あんな事を。
我が家にとっても、迷惑なお話だわ。
陛下に申し訳がたたないったら。」
不快げに美しい眉をひそめた母の言葉に、レヴィアスはその場で凍りつく。
側室?
エリスが?
あの叔父に望まれた?
「な・・・ぜ、俺に一言もおっしゃらなかったのですか?」
低くかすれた声。
「母上、御存知だったはずですね。
俺とエリスのことを。」
ころころと母は笑った。
「言えばきっと、あなたは騒ぐでしょう?
皇帝の側室になることが、女にとっての出世になるのだと言ったところで、あなたにはわからない。
あなたが騒げば陛下に睨まれるわ。
我が家にとって、それからエリスにとっても、良くないとわたくしは思ったからよ。」
「で・・・は、なぜエリスは死ななくてはならなかったのですか?
母上のおっしゃるとおりなら、エリスはなぜ!!?」
怒りで身が震えた。
この母にはわかるまい。
彼がどんなにエリスを愛していたか。
そしてエリスもまた、彼を。
「だから、バカなのよ。
主家の迷惑も考えず、本当にバカだわ。
目をかけてやったのに、腹の立つ事ね!」
レヴィアスは再び一人になった。
毎日毎日、彼はエリスの墓前に通い、そして自分を責めた。
力がないからだ。
俺に力がなかったために、エリスは死んだ。
皇帝に望まれた事を、彼女はレヴィアスに告げなかった。
知ればレヴィアスは、彼女をさらって逃げただろう。
きっと彼女もそうしたかったに違いない。
だがエリスには、そうできない事情があった。
幼い弟、彼女の肉親が、彼ら2人の逃亡の後、ひどい制裁を受けることになるからだ。
それでも彼女は、レヴィアス以外の男の腕に抱かれる事はできない。
1人で悩んで、彼女は飛び降りた。
どちらの道も選べずに、自分を消す事で答えを出した。
もし・・・。
もし自分に力があったなら。
皇帝を黙らせるだけの力が、自分にあったなら。
悔やんで悔やんで、レヴィアスは毎日を過ごした。
そして決意する。
取り戻そうと。
正統なる地位、帝位を自分のもとに引き寄せる。
この世には、召喚という魔道があるらしい。
死者の魂をこの世に呼び戻す魔道。
奥義中の奥義であるそれを学び、そして軍勢を集め、彼は皇帝になる。
時間は必要だろう。
長い長い時間が。
けれど必ず手に入れる。
必ず。
レヴィアス皇子失踪の報は、それからすぐ事だった。
あれから10年近い年月が流れた。
レヴィアスの念願は、じきにかなうはずだ。
ごうごうと燃え盛る炎の向こう、愛しい少女の姿が見える。
<俺はいつも、おまえを待たせてばかりいるな。
だが今度こそもうすぐだ。
待っていてくれ、エリス。>
炎の勢いは、さらに増していた。