アナログなロマンス(1)
ある晴れた日。うららかな陽光の優しい、気持ちの良い午後のこと。
今日の予定をきっちり済ませたロザリア・デ・カタルヘナは、これから夕暮れまでのひと時を最近見つけたひそかな楽しみにあてるつもりであった。
「これ今人気なんだって~。
メイドのクラリスさんが、そう言ってたよ。」
つい先日のこと。
金の髪をした親友が、融けかけたアイスクリームをペロンとやりながら、差し出した本。
「まぁ、アンジェリーク。
あんたってば、どうしてそうお行儀が悪いのかしら?
よくって?
このわたくしと女王の座を争っているんだっていう自覚、あんたにもそろそろちゃんと…。」
人差し指を天に向けながらいつものお説教を始めようとしたロザリアに、
「あ~~、それはまた聞くね。
きっとロザリアも気に入るから。
読んでみて?」
そう言って本を押し付けると、くるんと背をむけた。
「じゃあ、わたし、これからちょっと出かける用があるから。」
「あ、ちょっと待ちなさいよ。」
「じゃあね~。」
その問題の本。
魔物に囚われた姫君と闇の騎士の恋物語で。
「このわたくしが、こんな子供っぽいものを喜ぶわけがありませんでしょう?」
それが…。
けっこう、かなり、夢中になってしまったのだ。
だがしかし、ロザリア・デ・カタルヘナともあろうものが、こんな巷の少女が喜ぶような恋物語にうつつをぬかして良いわけがない。
ない…が、読みたい。
だからこっそり、できるだけ人気のない木陰を選び、午後の数時間だけと決めて、こうして読み進むことにしたのだ。
それがロザリアのひそかな楽しみ。
今日は昨日の続き。
闇の騎士が、姫君を魔物の手から奪い返す場面である。
わくわくしながら青い表紙を開く。
文字を追い始めると同時に、ロザリアの意識は魔物に追われる姫君にすっかり同化していた。
ほう…。
無意識にこぼれるため息。
黒い甲冑の騎士に抱かれ、矢のようなスピードで夜の闇を駆け抜けて…。
しっかりと抱かれた腕の力が、次第に強くなる。
騎士が告げる。
思いえがく騎士の声はしっとりとして、低く、深く。
「あなたを愛しています…だぁ?
ンだよ、これ?」
しっとりもしていなければ、低くも深くもない声が、ロザリアの意識を現実へ引き戻した。
この声は!
「おめーさ、こんなん読んでんのかよ?」
やっぱり。
「ゼフェル様、失礼じゃありませんの!」
さっきまでのロマンティックな気分は、軽く百万光年先へ飛ばされた。
「読書の邪魔をしてはならないと、いつもルヴァ様に叱られておいでのくせに!
まだ反省なさいませんのね?」
声を尖らせて早口で抗議するロザリアに、赤い目の少年は悪びれた様子もない。
「いつも目ぇ吊り上げて歩いてるお嬢様が、ここんとこサボりがちだってゆーからよ。
なにやってんのかと思や。
『愛しています。』なんての、読んでんのかよ?」
あきらかにからかっている。
ロザリアの頭にかぁっと血が上った。
流行の恋愛小説を読んでいるところなど、一番見られたくない相手であった。
「わたくしが何を読もうと、ゼフェル様には関係ございませんでしょっ?」
すっくと立ち上がる。
「失礼いたしますわ。」
本当に形だけの会釈を残し、ロザリアはくるりと背を向けた。
後に残されたゼフェルはといえば、右の人差し指でコシコシと鼻先をかいて、にやりと笑う。
「ったく、あいつは。
素直じゃねぇってんだよ。」
「そうですか。
そんなに素敵なのですか?
ではわたくしも一度、読んでみましょうね。」
聖殿の長い廊下。
楽しげな談笑が近づいてくる。
反射的に眉を寄せ、顔をしかめるゼフェルの視界に入ってきたものは、金色の髪の女王候補と水の守護聖リュミエールの姿であった。
「ええ、ぜひ!
リュミエール様なら、きっとわかってくださいます。
とってもかっこいいんですよ、この騎士様は。」
弾むような元気な口調で、アンジェリークは答えている。
金色の髪に飾った赤いリボンがひらひらと踊って、主人の思いに寄り添っているようだ。
「内緒ですけど…。」
ここで彼女は声を潜める。
深刻な顔をして続けた。
「ロザリアも、この闇の騎士様のこと、大好きみたいなんです。
こっそり読んでるの、私知ってるんですよ。」
ふん…と、ゼフェルは鼻先で笑った。
んなこと、内緒でもなんでもありゃしねえ。
ゼフェルはとうに知っている。
〈あんなモンが好きだなんて、あいつも女なんだよなあ。〉
などと、夜中思い出してはにやにやしていたものだ。
だがそのゼフェルの得意を、一瞬にしてぶち壊した男がいた。
「ほう…。
闇の騎士か、それは聞き捨てならんな。」
燃えるような赤い髪の男、炎の守護聖オスカーである。
〈ったく、あいつ!
どっから湧いて出やがった。
うぜぇ!〉
190センチはあろうかという長身、もともとそれだけで十分気にくわないのだ。
成長途上の169センチ。
ゼフェルの密かなコンプレックスを、こいつは盛大に刺激してくれる。
それに加えてヤツときたら、鳥肌ものの気障ったらしい台詞を、あちらこちらで撒き散らす。
あれはもはや公害の域に達していると、ゼフェルは常々思っている。
その公害が言葉を続けた。
「そうか…。
あの蒼い瞳のお嬢ちゃんも、りりしい騎士に胸をときめかすか。
では俺が教えてやろう。
作り話の騎士よりも、ずっと胸の鼓動を速くする立派な騎士が身近にいるってことをな。」
げろげろげろ…。
恥ずかしくて聞いていられたもんじゃない。
どこをどうつけば、あんな歯の浮くような台詞が出てくるのだろう。
痒くなった胸を撫でながらそんなことを思っているゼフェルは、そこではっとなる。
〈待て、今こいつ、なんつった?〉
確かロザリアに教えてやるとか何とか…。
「じょーだんじゃねえぜ!」
気づけば、飛び出していた。
「おやゼフェル、あなたもおいでになったのですね?」
とうに気づいていたらしいリュミエールの微笑に、ゼフェルは今更のようにしまったと思う。
だがしかし、ここでひよひよと萎えるなんて男の沽券に関わることだ。
だいたい道のど真ん中で、こういう剣呑な話(対ゼフェル限定)をする方が悪い。
だから開き直った。
「おう、いたぜ?
悪いかよ。」
「威勢のいいことだな、ゼフェル。」
リュミエール同様、気づいていたらしいオスカーが、大人の余裕を見せて笑う。
〈こいつ、笑いやがった。〉
鼻先の笑いが、ゼフェルの勘気に火をつけた。
「んだとぉっ!」
つかみかかるゼフェルをすいと避け、
「おいおい、どうした。
俺が何かしたか?」
オスカーは余裕の笑いを浮かべたまま。
「まったく、あなたという人は…。」
ため息をついたのはリュミエール。
「あまり感心できた趣味ではありませんね。
ごらんなさい。
アンジェが驚いていますよ?」
リュミエールの左腕の陰、金色の頭を隠すようにしたアンジェリークに目をやって、オスカーは苦笑した。
「なるほど。
少しばかりおふざけが過ぎたようだ。
お嬢ちゃん、驚かせてしまったな。」
悪かったと、一言付け加えると、ばさりとマントを翻し、オスカーはその場を後にした。
振り返ることもしない後姿は、ゼフェルの怒りなど気にもしていないと言っているようで。
「待て、こら!
おっさん!」
声を荒げたゼフェルを、リュミエールがそっと抑えた。
「ゼフェル、落ち着きなさい。
なにをそんなに怒っているのですか?」
何をそんなに怒っているのかだと?
そんなこと決まっていると答えようとして、我に返る。
「んでもねぇ!」
「そうですか?
それならよろしいのですが…。」
心配顔をしてゼフェルをみつめるこの男。
優しげな顔をしているが、なかなかの策士であるから油断はできない。
〈こいつだって男だからな。〉
今のゼフェルには、男という男すべてが敵に見えるのだから仕方ない。
ふいっと顔を背け、ゼフェルも踵を返した。
少しだけ急ぎ足でその場を去る。
もちろん、あの嫌な赤毛やろーとは反対の方向へ。