Felicia~約束の瞬間~(2)
「社長、こんな所においででしたか。
お探ししましたよ」
言葉どおり、あちこち探し回ったのだろう。
年かさの重役の額には、汗が浮いていた。
「新型の披露パーティーです。
お願いですから、うろうろしないでいてください」
その披露パーティが嫌で、一所に落ち着かずいるゼフェルは、不機嫌にふんとそっぽを向いた。
「言うとおり、造るだけは造ってやったんだ。
後は勝手にすりゃいいだろーよ」
わざわざ自分をこんなところに引っ張り出さなくとも。
ホール中央にどんと据えられた新型エリューシオン。
その周りには、ぐるりと囲んだ人の輪が幾重にも作られて、この披露パーティの盛況は一目でわかる。
「車があれば良いんだよ。
造ったヤツが出てくる必要はねぇ」
本気でそう思っているらしい。
自社の世間知らずの社長に、重役はほうとため息をついた。
この小生意気な若僧、30を少しばかり過ぎただけの。
この若僧がデザインしたモデルというだけで、その売り上げは他社の数倍にも上るというのに。
入社希望者数は、うなぎのぼり。
皆、Z社ゼフェルの名に惹かれてのことである。
今やカリスマ的知名度を持つその本人だけが、自分の価値を知らない。
なんとか理由をつけて、パーティだの発表会だのという公の場から逃げようとする。
「社長、今夜は特別大切なお客様がおみえです。
お願いです。
本当に今夜だけは、社長らしくしていらしてください」
この若僧に、自分はいったい何度こうして「お願い」をしただろう。
そう思いながらも、言わざるをえない。
今夜は本当に特別なのだ。
少し間をおいて、彼は重々しく続ける。
「フェリシアを納めた先様が、おいでになっています。
そう申し上げれば、おわかりですね?」
どうやら今夜だけは、彼の勝ちらしい。
瞬間、息を呑んで表情を硬くした若僧を、彼は満足げに眺めた。
重役の言葉に、不承不承ホール中央へ戻ったゼフェルは、たちまちにして信奉者たちに囲まれる。
適当な生返事をしながら、意識はまるで別のものを探していた。
〈あいつが来てんのか? ここに?〉
もしここにいるのなら、どんな大勢の中にいても、きっと見つけられる。
見間違うわけがない。
ぴんと張り詰めた鋭い視線を、ゼフェルはあちこちに飛ばす。
と、背中から。
聞き覚えのある声がした。
「つまり~、オーダーメイドと既製服ってことでしょ?
私のエリューシオンは、既製服ってこと?
失礼しちゃう」
プンプンとふくれているらしい声。
この場に場違いなほど少女じみたあの声は。
「まあまあ、そう言わないの。
既製服には違いないけど、プレタポルテだよ。
素敵じゃないか。
さすがだよ」
円みのある柔らかい声。これは……。
くるりと振り向く。
そこに、思ったとおりの姿があった。
金色の髪に緑の瞳の少女、それに派手な美貌の青年が一人。
「てめぇら、何しに来やがった?」
ギンと睨み付ける視線は昔のまま。
受ける方も、だから慣れたもので、にっこりと笑って手を振った。
「久しぶりだね、ゼフェル。
元気にしていたかい?」
「えへへ、来ちゃった~」
がっくりと、ゼフェルは肩を落とした。
こいつらか……。
期待していた自分が馬鹿なのだ。
会えるはずもない相手だというのに。
ため息をついて視線を上げると、いつの間に近づいたか、二人はゼフェルの目の前にいる。
「元気そうだね……。
ゼフェル」
ゆっくりと繰り返すその低い声が、懐かしい日々を連れてくる。
「あぁ……。
おめぇらもな。」
ようやく笑顔で、そう答えた。
控え室として用意された部屋へ、ゼフェルは二人を通した。
パーティ会場の上、最上階プレジデントルームである。
「綺麗ねぇ。
ここからだと、主星がみぃんな見下ろせる。
宝石箱、ひっくり返したみたい」
ありがちの感動をみせる少女に、ゼフェルはくすりと笑った。
まるで変わらない。
この少女アンジェリークは、今や女王補佐官であるというのに。
聖地で至高の存在を支える補佐官。
「オリヴィエ、おめぇはこれで良いな?」
旧い昔の同僚に、ゼフェルはブランデーのボトルを差し出した。
「上物じゃないか。
さすがZ社の社長様、というとこだね」
からかうような口調も昔のままで、一瞬ゼフェルは時間が逆戻りしたような錯覚をおぼえた。
グラスを持ったまま無言のゼフェルに、オリヴィエが近づく。
「どうした?」
はっと我に戻って、ぶっきらぼうにグラスを突き出した。
「んでもねぇ」
オリヴィエはそれ以上何も聞かず、突き出されたグラスを二つ受け取ると、さっさとボトルの封を切った。
コッコッコッコ……。
心地良い音と共に琥珀色の液体がグラスを満たすと、真新しい芳香がふわりと辺りを染めてゆく。
その間にゼフェルは、ノンアルコールの飲み物を用意する。
「おめぇはこれだ」
冷蔵庫から取り出したオレンジジュースを、アンジェリークに差し出した。
「え~?
私もブランデーくらい飲めるもん」
唇を尖らせて抗議する少女を、ゼフェルは一睨みする。
「ぐでんぐでんにして帰すわけにはいかねぇだろが?
あいつが怒るぞ?」
あいつ。
その言葉に、少女ははっと表情を変えた。
「そうだね。
そんなことしたら、きっとすっごく怒る。
『ずるいですわっ、あなただけ!』」
その口真似に、ゼフェルの心臓はどきんと音をたてて跳ね上がった。
危うく手にしたグラスを落とすところだ。
「わかってんなら、大人しくこれ飲んでろ」
動揺を抑えて、努めて普通に差し出すと、アンジェリークは黙ってグラスに唇をつけた。
何を言うでもない。
何秒かの沈黙があって、その後。
「聞かないのかい?」
オリヴィエが口を開いた。
何をとは、言えなかった。
オリヴィエの質問の意味は、正確に捉えている。
「聞いて……どーなんだよ?」
だから正直に答えた。
「どーしよーもねぇだろ?」
聞けば、抑えた思いがかなうというのか。
それならばいくらでも聞く。
けれど、そうはならない。
それどころか、聞けば。聞けば抑えた思いが噴出して、こうしてようやく過ごせるようになったゼフェルの日常を壊すだけだ。
こうして過ごせるようになるまで、どれほどの月日が必要だったか。
「俺が戻れねぇよーに、あいつもあそこからは出られねぇんだ。
だから聞かねぇ。
聞いても仕方ねぇ」
低い声は掠れて、わずかに震えていた。
「は……ん。だらしないね」
ぴしゃりとした口調が、ゼフェルの視線を上げさせる。
「んだと?」
何がわかる。
おまえは聖地で女王陛下にお仕えするのだと、有無を言わさず連れて行かれた少年の日。
家族から、友人から、無理やり引き離されて。
もうどうとでもなれと、半ば以上やけくそで生きていたあの頃。
あいつに会った。
つんとすまして、強情で、世間知らずで、とても優しい。
物語の騎士と姫君の恋を、うっとりと夢見ているようなあいつに会えたから、ゼフェルはもう一度マジに生きてみようと思った。
けれどまただ。
サクリアが尽きたあの時、もう御用済みとばかりに、彼は聖地を追われた。
これもまた問答無用に。
いまだあいつの傍にあることのできる、このふわふわした金髪の男に、あれこれ言われる覚えはない。
「てめぇに、何がわかる?
しった風な口を、きくんじゃねぇ!」
語気を強めて吐き出したその言葉に、オリヴィエはちらとも動揺を見せず、どころか薄く微笑した。
「あぁ、相変わらずの単細胞だね。
んなじゃ、あの子も報われないわ。」
「な……にを……」
言いさした言葉を遮って、オリヴィエは続ける。
「見にきたんだよ。
私とアンジェリークはね。
あんたをさ」
見に来た?
その意味がわからず、ゼフェルは眉を寄せた。
「フェリシア。
あれを見ちまったからね。
今も変わらず、あんたの中にはあの子しかいない。
それをよくよく伝えてくれたよ、あれはね」
淡々と続けるオリヴィエの言葉を、控えめにアンジェリークが引き取った。
「あれを見てね、泣いたんだよ。
ロザリア。
声も出さずにね、ぼろぼろって泣いた」
ずきんと、ゼフェルの胸が痛む。
あいつが泣いた。
そう聞くだけで、ゼフェルの心臓は締め付けられた。
昔から、彼女に泣かれるのには弱い。
離れた年月も、それを変えることはできなかったようだ。
「少しはこたえた?」
じろりと、アンジェリークは緑の瞳で彼を見据える。
「ゼフェル、言ってあげてないんでしょ?」
その一言は彼女にしてはいささか早口で、それが怒りのためだと旧い付き合いのゼフェルにはわかった。
「何を……だよ?」
「待ってるって。
ロザリアが来るまで、ずっと待っててやるって。」
待つ。
簡単に言えるわけがない。
聖地の時間は、俗世とはまるで違う速度で流れてゆく。
ゆっくり、ゆっくり。
彼女が瞬きするほどの間に、こちらでは数日、時に数ヶ月が過ぎるというのに。
「言えるかよ。そんな無責任なこと」
ぼそりと投げ出す。
「そう……。
それじゃ、戻ってあの子に伝えるよ。
ゼフェルはかわいい奥さんをもらって、幸せにしていましたってさ」
軽いからかうような口調に視線を上げると、冷えてつきさすようなオリヴィエの視線とぶつかった。
「そうだろ?
もうあきらめてるんなら、そう言ってやらなきゃね。
もう望みはない。
だからあんたもあきらめなさいってさ」
ぐぅっと、ゼフェルの喉元に、大きな塊が突き上げた。
オリヴィエを見つめる赤い視線に激しい怒りが閃いて、一瞬。
ふぅ……と、目を閉じて息をつく。
そして答えた。
「勝手にしな」
表情のない、低い声で。