Felicia~約束の瞬間~(3)
「おい、急げ。
これが最後の便だぞ」
シャトルの搭乗口、少しいらついた様子の栗毛の青年が、ゲート辺りでまだもたもたしている後輩に向かって。
「おい、ホントにおいてかれるぞ?
休暇中、ここにいたいってならそう言ってくれ」
イラつきゲージをさらに上げ、もう一度声をかけると、それは困ると後輩が首を振る。
振りながら、それでもやはり後ろが気になるのか、しきりにゲートから工場へ続く長い廊下を振り返り振り返り、
「でも、まだ大将が来てません」
なるほど、もたもたの原因はそれだったか。
栗毛の青年は、それでようやくイライラゲージをニュートラルに戻す。
ぴったりとした革の上着の右腕を上げて、大きく手招きした。
「大将は良いんだ。気にすんな。
それより早く来い。
ホントにおいてくぞ?」
「待ってくださいよ。今行きます」
最後の一人が乗り込んで、主星行きのシャトルはようやく離陸した。
薄い銀の幕のようなシールドが開いて、ちらちらと瞬く星明りの空へ飛び立つ。
旋回を始めたか、機体が斜めに傾いだ。
その窓から、茶の頭をした青年は、つい今しがたまで彼のいた場所、銀色に輝く建物の群れを見下ろした。
外気を遮断する薄いシールドは既に閉じられて、背の高い建物の群れを覆っている。
大気さえ透明のまま凍りついたようなこの惑星の風景に、その様子はとてもよく調和していた。
「ホントに大将、一人で残るんですか?」
窓の下を眺める彼に、先ほどの後輩が心配そうに聞く。
「今年は二週間ですよ?
飯とか、どーすんですか?
大将、なんにもしない人なのに。」
女王聖誕祭休暇。
他の祝日ではけして操業をとめないZ社が、唯一全機能を凍結する祝日である。
加えて今年は、例のエリューシオンの売り上げが好調で、その特別休暇がセットになっていた。
「先輩?」
栗毛の青年は、丸い目をした後輩に笑って答えてやる。
「大将はあれで良いんだ。
気にするな」
先だって、主星から帰ってきた大将は、見たこともないほど不機嫌だった。
主星で何かあったのだと、開発工場の技師は皆気づいたが、誰もそれに触れない。
大将には、けして他人に踏み込ませない聖域がある。
おぼろげながらそれを知る彼だったから、大将が一人でいたがるそのわけも、深く詮索することをしない。
ただ直感した。
フェリシアを贈った女。あれに関係することだろう。
フェリシアを積んだ輸送船を見送る大将の表情を、彼はよく覚えていた。
懐かしむような、それでいて切なげなあの顔。
どういうわけで、大将ほどの男の恋がかなわぬのかは知らない。
けれどあれほどの男に思われて、冥利につきるというものではないか。
相手の女、フェリシアの女も、いつかきっと。
もう一度、彼は眼下に目をやると、
「行って来ますね、大将」
はるかに小さくなった建物に向かって、軽く右手を上げた。
まるで人気のなくなった工場。
すっかり明かりも落とされて、物音ひとつしない。
読みかけの雑誌をソファに放り投げて、ゼフェルは行儀悪くそこに寝そべった。
アイマスク代わりの雑誌を顔に乗せる。
休暇前のこととて、ここ数週間、死ぬほど忙しかったのだ。
朝も昼も夜も、ゼフェルは工房にいた。
時には夜中に及ぶ作業を続け、そしてようやく迎えた今日。
疲れているはずだった。
けれど、すぐにやってくるはずの睡魔は、影も形も見せない。
ぎんと張り詰めた神経が、睡眠不足の頭をずきずき痛めているというのに。
「疲れすぎかよ……」
そうでないことを、ゼフェルはよく知っていた。
何も考えなくてすむように、馬鹿みたいに働いて働いて。
彼も今や普通の人間であるからには、疲れたら眠るしかないだろうと思っていた。
なのに。
「ちょっと待て。
なんで眠れねぇ!」
雑誌を引き剥がし、力任せに投げつけた。
ばさっ……!
綴じの外れた憐れなページが数枚。
ひらひらと辺りに散らばった。
「くそっ!」
半身を起こして、ぐしゃぐしゃと銀色の頭をかきむしる。
「もうあきらめてるんなら、そう言ってやらなきゃね。
もう望みはない。
だからあんたもあきらめなさいってさ。」
あの野郎。
ひらひらふわふわした派手な身なりの、あの野郎の言った言葉が、頭から離れない。
「勝手にしな」
そう答えた自分の言葉を、あいつにそのまま伝えたのだろうか。
それ以外に、なんと答えられたというのか。
適当に、その時の感情だけで優しいことを言ってやるなんて真似は、ゼフェルにはとてもできないことだった。
それをあの野郎は!
あの時、あの野郎に殴りかからなかっただけでも、自分もそれなりに大人になったと思う。
それでも、やはり気にかかる。
あいつ、ロザリアがあれを聞いたら。
「あいつ、泣いてんじゃねぇだろーな」
ぼそりと口にした。
「ええ、泣きましたわ。
とてもたくさん、一晩中ね」
声がした。
聞こえるはずのない声が。
けれど自分の耳を疑うより先に、ゼフェルは跳ね起きていた。
そして叫ぶ。
「ロザリア?
おめぇかよ!?」
部屋の扉をバタンと開ける。
いた。
幾度も幾度も、数え切れないほど呼び出した記憶のままの姿。
長い髪。
きちんと手入れされ、ふんわりと巻かれて艶のある。
そして懐かしい青い瞳。
その宝石のように綺麗な瞳が、きりりとした表情でゼフェルを見つめている。
意地っ張りでつんとしていて、昔、ゼフェルはそれをさんざんにからかったものだ。
「気の強ぇ女」
懐かしい憎まれ口がこぼれた。
けれどその口調はまるであの時と違う。
情けないくらい掠れていた。
もどかしいくらい震える唇。
「ほん……とに、おめぇか?」
答えを聞く前に、ゼフェルは抱きしめていた。
細く頼りない身体を、すっかり大人の男になったゼフェルの腕が抱きすくめる。
胸の辺りで、くぐもった声がした。
「ゼフェル、苦しいわ」
少しだけ腕を緩めて見下ろすと、真っ赤な顔で息を乱す彼女がいる。
これが女王であるなどと、知らなければすぐには信じられないだろう。
それほど少女じみていて、かわいらしい様子で。
「わたくし、ゼフェルにじかにお伝えしたいことがあって。
それでこうして参りましたの」
口ぶりまで、あの頃のまま。
「わたくし、わたくしは……。
これまでも、これからも、ゼフェルが好きですわ。
今は、それは不自由な身の上ですけれど、それでも好きなものは好き。
それを伝えにきましたのよ」
ゼフェルの息が止る。
オリヴィエの言葉に泣いて泣いて、一晩中泣いて過ごした後で、これを伝えに来たという。
知らないわけはない。
向こうとこちらでは、まるで時間の流れる速さが違うこと。
それを調整しているのは、他ならぬ彼女自身なのだから。
それでもか?
「いつかきっと、町の工場で働くゼフェルの奥さんになるんだって、わたくし申しましたでしょう?
予定より大きな工場になってしまいましたけれど、わたくしは気にしていませんわ」
泣きはらしたらしい目は赤く充血していたけれど、それを帳消しにして余りある綺麗な笑顔で、ロザリアは続けた。
「もちろん、今すぐというわけにはまいりませんわ。
だからそれが、わたくしの弱みなんですけれど……」
最後はとても小さな声で、
「それではだめですの?」
そう聞いた。
心臓をきゅうっと掴まれたようだ。
こいつはいつでもこうして、ゼフェルの胸を痛くする。
愛しくて愛しくてたまらなかった。
それを言葉にすることは、相変わらず口下手のゼフェルにできるはずもなく。
代わりにもう一度抱き寄せて、そして唇を重ねた。
そっ……と。
けれどゼフェルの中でぐるぐると渦巻いた思いの丈は、そんなことで満足してくれない。
「ばか……やろ。
俺がどんな思いで」
わずかに離した唇。
ゼフェルは苦しげに唇を歪める。
「ゼフェル?」
「15年と4カ月」
「え?」
「わかんねぇか?」
焦れったくて、早口になる。
「おめぇと離れて過ごした時間だよ。
会いてぇと思っちゃならねー。
そうやって抑えてきた時間だ。
それをおめぇは……」
こつんと額を合わせて続ける。
低い声で。
ゆっくり。
「責任、とれよ?
そんくらいの覚悟、とーぜん、してきたんだろ?」
途端、かぁっと頬を染めて、ロザリアはぷいと横を向く。
「なんだかゼフェル、変ですわ。
まるでオスカーのよう」
かつての同僚、聖地で一番のプレイボーイの名を出されて苦笑した。
「しよーがねーだろ。
今の俺は、ヤツより年上だ。
だから……」
もう一度ゼフェルは唇を寄せる。
けれどそれは触れるだけの口付けのためではない。
もっと深く深く、彼女の息さえ奪うような大人の口付けを与えるため。
長い時の後、ようやく唇を離したゼフェルが、
「まだ終わりじゃねーぜ?
俺に、この先、まだ待てって言うんだぜ。
こんなんですむわけ、ねーだろ?」
息も絶え絶えのロザリアの耳元で囁く。
確かに、あの頃とは違う。
それを一番知っているのは、ゼフェル自身だ。
触れたい。
もっと直に、もっと近くで。
抱きしめて、口付けて、それでもまだ足りない。
今、こうしてロザリアを腕にした自分は、少年の日の自分よりずっと、重症の欲張りだ。
何もかも、すべて過去のこと。
思い出があれば良い。
そうでなければならない。
分別らしくあきらめようとした。
けれど完全に思い切ることなど、できるはずもなく、時折ふと蘇る記憶が、ゼフェルを苦しめた。
それでも口にしてはならない。
会いたいと。
それをすれば、どうなるか。
考えるだけで怖かったから。
それなのに。
求め続けた相手は、ゼフェルよりこらえ性がなかった。
ゼフェルの気もしらず大胆に求愛しておいて、震えている。
よくよくこいつ、お嬢だぜ。
ようやく手にしたロザリアを前にして。
「しかたねーだろ。俺も男だからな」
ぶすりと投げ出すような口調は、まるで昔と同じだと自分でも思う。
「おめーの言うとおり、待っててやるぜ。
けど今夜だけは待たねぇ。待てねぇんだよ。
それで良いよな?」
カッコつける余裕なんてねぇんだと、ぼそりと付け足した。
「最初からそのつもりでしたわ」
消え入りそうな声でロザリアが応えてくれて、その後。
15年と4カ月ぶりに、ゼフェルの時間は動き出した。
主星から遠く離れた辺境。
一年のほとんどを雪と氷が覆うその星に、短い夏がいくつもいくつも通り過ぎた頃。
女王生誕の祝日が変わった。
「今度は夏なんだってさ。
雪で船がでねえってこともなくなるな」
Z社の開発工場、作業着の青年が軽い調子で口にする。
「いつだって良いさ。
んなこと、俺たちにはどーだって。
それよりもだ。
じきにでかいイベントがあるだろーよ?」
栗毛の青年が、嬉しそうに笑った。
数日前に、大将が連れてきた女性。
一目ですぐにわかった。
「あ、フェリシア!」
うっかり声に出していたらしい彼に、濃い青の瞳をしたその女性は笑ってくれた。
「わたくし、ロザリアと申しますのよ。
よろしくお願いいたしますわね」
こりゃ確かに上等の女だ。
あの大将が待って待って待ち続けるだけ上等の。
透き通る優しい声、綺麗な微笑に見蕩れていると、
「ばかやろ。
なに、ぼーっとしてやがる。」
大将の声が飛んできたっけ。
あの時の大将の顔ときたら、まるでガキみたいにムキになって。
その時を思い出すと、今でも笑えてしまう。
「ともかくだ。
あの大将がついに観念したんだぜ?
Z社あげてのお祭りだ。
聖誕祭どこの騒ぎじゃねーだろが」
凍りつくようなこの惑星の大気が、後もう少しだけぬるめば。
あのフェリシアが、ここへやってくる。
「工場で、奥さんをするのがわたくしの夢でしたの」
そういう彼女を見つめる大将の、愛しげな幸せそうなあの表情。
「大将のしまらねー顔、きっと見ものだぜ?
なあ。
楽しみじゃねえか」
春はもうすぐ。
黙っていてもじきにくる。
だけど今年は、いつもより早く来い。
できるだけ早くに。
そう願わずにはいられなかった。