Eine Rückkehr ~帰郷~ (6)
「フェリシア、どうも良くないみたいだな。」
ブランディ入りの紅茶の湯気を眺めながら、そう口にしたのは炎の守護聖オスカーである。
女王試験も終盤にさしかかり、そろそろ玉座の行方も見え始めようという頃。
それまで圧倒的に優勢を誇っていたロザリアの育成地フェリシアに、陰りがみえていた。
整然と美しい発展をとげてきた過去が信じられぬほど、目に見えて停滞している。
その間に、もう一方の育成地エリューシオンは劇的な発展を続け、今やじきにかかるゲームセットのコールを待つばかりである。
申し分のない女王候補であったロザリアのその散々な成績を、誰もがみな不審がる。
ロザリアこそ次代の女王と入れ込んだ、炎の守護聖オスカーもその一人であった。
「ロザリアは、いったいどうしたっていうんだ?」
ブランディのボトルを引き寄せて、クリスタルのグラスに注ぐ。
生のままのストレートをくいと飲み干して、面白くもなさそうに彼は続けた。
「何かあったとしか思えんな。
あれほどの優勢が…。
おまえ、何か知ってるか?」
テーブルの向かい、長い足を組んだオリヴィエは、話を振られて薄く笑った。
「さぁね。
あったかもしれないさ。
けど、どうだって良いことじゃないか。
女王になる子がいないってわけじゃなし。」
「おまえは!
相変わらずだな。
不謹慎が過ぎる。」
薄い氷の色をした瞳が、きつい視線を投げつける。
謹厳な光の守護聖を崇拝するこの男には、女王とはわが身と心のすべてを捧げる、至高の存在であるのだ。
自分には持ちようもない熱さを持つこの男を、オリヴィエは嫌いではない。
むしろ羨ましく思う。
「ああ、悪い。
正直すぎたね。」
だから言い直した。
「何かあったんだろうね、きっと。
けど済んじまったことさ。
今更どうしようもないってこと。
過ぎたことを悔やむ余裕なんて、ないだろ?」
滅亡に向かうこの宇宙を、オリヴィエは暗にほのめかす。
次期女王の最初の仕事は、この宇宙をまるごと、別空間に移転させることである。
今こうしている瞬間にも、辺境の星々は次々と深淵の闇に飲み込まれている。
新女王の即位は、早ければ早いほど良いのだ。
「それくらいのこと、俺だってわかっているさ。」
守護聖としての優先事項を突きつけられれば、オスカーも頷かざるを得ない。
けれど不審の思いは晴れず、それが彼の不機嫌を増した。
「オリヴィエ…。
おまえはいつもそうだな。
誰にも、まるで興味がない。
俺や、他の守護聖や、いやこの宇宙の滅亡さえも、もしかしたらどうでも良いことだと思っているんじゃないか。
そう見えるぜ。」
オリヴィエは、薄い微笑をためたまま。
「言い過ぎた。
すまん。」
オスカーはあっさり謝ると、立ち上がった。
「どうもおまえ相手だと、俺も調子が狂う。
つい余計なことまで口にしちまうようだ。
今日は、これで帰る。」
門前に馬具の触れ合う音がして、馬のいななきが一つ。
蹄の音の遠ざかるのを、夕闇に沈んだリビングでオリヴィエは聞いていた。
オスカーの残したグラスに、オリヴィエは指を伸ばした。
新しいブランディを注ぎ、それを口にする。
「何かあったのか…か。」
オスカーの言葉を繰り返す。
確かにあった。
不作為も、時と場合によっては作為より手ひどい仕打ちになる良い例が、確かにロザリアには。
数ヶ月前、咲き初めたバラのような頬をして、あの少女は笑っていた。
一目でわかった。
傍にいた金髪の青年に、初々しい恋をしていることが。
輝くように綺麗な笑顔が、オリヴィエの目に焼きついていた。
毅然とした態度をなかなか崩さぬ、あの気位の高い少女が、あんな顔もするのかと。
あれを見せられたら、どんな男も冷静ではいられないだろうと思った。
それを向けられた首座の守護聖ジュリアスも、その例外ではなかったはずである。
けれど、おそらくは多分、彼は彼女を拒んだ。
はっきりと言葉にするのではなく、ただ彼女との距離をとって。
どんなにしっかりしているように見えても、相手は一七歳の少女である。
宙ぶらりんの感情を持て余し、思い乱れ、平静でいられるはずもない。
それが、この惨憺たる成績の理由だろう。
オスカーが不審がるということは、それだけ彼女の振る舞いが普通どおりであったということだ。
そう見せるのに、あのばら色の頬をした少女が、どれほど要らぬ気を遣ったものか。
見えていた。
オリヴィエには、その経緯がすべて。
けれど、それだけ。
「おまえはいつもそうだ。
誰にも興味がない。」
オスカーの言葉を思い出す。
当たっているかもしれないと苦笑した。
ただ眺めているだけの、オリヴィエはいつも傍観者であった。
彼の興味をひく者がなかったわけではない。
長い時間を過ごすうちには、オリヴィエにもそれなりのことはあった。
けれど深入りはしない。
己の身分も素性もすべて隠したままの付き合いで、気づけばいつの間にか切れていた。
関わってどうなる?
いずれ時がくれば、ここを離れねばならぬ身で。
その時はいつとしれなかったが、来ることだけは確かである。
それまでの不確かな時間に…。
いや、確かな時間などどこにもありはしない。
執着は面倒だと、オリヴィエは思う。
身軽でいたかった。
聖地に来た時同様、去る時もまた、同じように身軽でありたいと。
グラスは空になっていた。
注ぎ足そうとして手を伸ばしたボトルの先に、目をとられる。
蒼い羽飾りの帽子。
あれを作ったのは、ほんの気まぐれだった。
相応しい機会もなくて、そのままここにある。
立ち上がり、帽子を手に取った。
目の覚めるような美しい蒼い羽。長く尾を引いた優雅な様が、あの少女を思わせた。
呼び鈴を鳴らす。
「出かけるよ。」
珍しくもない主人のきまぐれに、年かさの執事は慣れたもので、
「承知いたしました。
ではお仕度を。」
衣装係のメイドを呼び寄せる。
「…らしくないかもね。」
苦笑まじりの独り言。
私邸の玄関を抜けて、表に出る。
夜の闇が、すっかり辺りを覆っていた。