Eine Rückkehr ~帰郷~ (13)
午後の補佐官執務室。
ばさばさと音を立てて、至急扱いの書類が散らばった。
凍りついた表情の補佐官が、ようやく口にする。
「今、なんとおっしゃって?」
痛ましげにその様子を見つめるのは、金の髪をした首座の守護聖。
けれど彼は伝えねばならなかった。
ロザリアに、どんなひどい衝撃を与えようと。
それが彼の職務だったから。
「夢の守護聖の交代があった。
前任の夢の守護聖は、引継ぎを終え、既に聖地を去った。
そう、言ったのだ。」
オリヴィエが去った?
ロザリアに何も言わず?
「そんなこと、そんなことありえない!
ありえませんわ。」
ふいに、気が遠くなる。
「ロザリア!」
薄れゆく意識の中、ジュリアスの声が微かに聞こえていた。
意識が戻る。
見上げた先の天井で、ここが自分の執務室であるとロザリアは知った。
長椅子に、どうやら横たわっているらしい。
左手に温かみを感じて、視線を動かした。
瑠璃色の瞳。
気遣わしげな色を浮かべた切れ長の瞳が、ロザリアをじっと見つめていた。
白く長い指が、ロザリアの冷たい左手を握り締めている。
「ご心配をかけましたわ。」
横たわったまま言うと、ジュリアスは切れ長の目元を和ませて、薄く笑った。
「いや、おまえさえ無事でいてくれれば、それで良い。」
優しい口調だった。
それがかえって、ロザリアに事実を突きつける。
オリヴィエは去った。
彼女に何も言わず。
なんと手ひどい裏切りではないか。
涙がこぼれた。
ジュリアスの前であることを、気遣う余裕すらない。
右手で顔を覆い、ロザリアは泣いた。
オリヴィエの最後の背信が、許せなかったから。
ひとしきり泣いた後、ロザリアは身体を起こした。
泣いても恨んでも仕方ない。
もう、オリヴィエはいないのだ。
去った。
彼女を置いて。
一人で、勝手に!
仕方ないと思う傍から、新しい怒りが湧き上がる。
それをロザリアは、唇をかんでこらえた。
それでも耐え切れず、身体が震える。
新しい涙がこみ上げそうになったその時。
ぐいと、左手を引き寄せられる。
気づけば、ジュリアスの胸にロザリアは抱き寄せられていた。
すっぽりと、包むようにして。
「泣くな、ロザリア。
泣いてくれるな。
おまえに泣かれると、どうして良いかわからなくなる。」
切なく哀願するような声が。
ジュリアスがどうして?
遠い昔、彼はロザリアを拒んだのではなかったか。
けれどこの声は、とてもそんなことをした男の声ではない。
オリヴィエと過ごした年月が、ロザリアに男女の機微を教えてくれた。
だからわかる。
怪訝な顔をして見上げるロザリアに、瑠璃色の瞳が苦笑した。
「言うまいと、そう思っていたのだがな。
おまえが幸せであるなら、それで良いと思っていた。
かつて私が言い損ねた思いは、胸の底に沈めようと。
だが、おまえが泣くから…。
私はもう、おまえが泣くのを見たくない。
愛している、ロザリア。
あの頃も、今も。
私はおまえを愛している。」
静かな告白が、ジュリアスの思いの深さを、ロザリアに知らせた。
驚きで目を見開く。
けれど数瞬の沈黙の後、ロザリアはそっと彼の胸を押し戻した。
「ありがとう、ジュリアス。
あの頃のわたくしなら、きっと飛び上がって喜んだでしょうね。
でも、もう遅い。
わたくしは、オリヴィエを愛していますわ。
誰も代わりにはなれませんの。
彼でなくては、もう。」
もうあの頃のロザリアではない。
金の髪をした貴公子に憧れて、胸を焦がした懐かしい日々。
今では、遠い思い出に変わっていた。
今恋しいのは、違う男。
凍りつくような吹雪の中、腕を伸ばして抱きしめた、強がりでその実子供のような、あの男しかない。
「そう…だな。
遅い。
遅すぎた。」
瑠璃色の瞳に、寂しげな微笑を浮かべて、ジュリアスはロザリアにまわした腕をほどく。
「聖地に在る我らといえど、人の世の理には逆らえぬ。
時機を逃した恋がどうなるか。
無様なことだ。」
自嘲の笑いを微かに浮かべ、その後もう一度、正面からロザリアをみつめた。
「ロザリア、おまえは後悔などするな。
まだ愛していると言ったな?
では、しくじるな。」
すいと姿勢良く立ち上がったジュリアスは、もういつもの彼だった。
背を伸ばし、優雅に踵を返す。
「ジュリアス。」
ロザリアの声に、足を止めた。
「ありがとう。」
背を向けたまま、息だけの笑いをもらす。
それきり何も言わず、彼は部屋を出て行った。
「ありがとう、ジュリアス。」
彼の消えた扉に向かって、ロザリアはもう一度そう言った。