Eine Rückkehr ~帰郷~ (14)

浅い春。
辺境の惑星でも、ようやく名残の雪が融け始めた頃。
一人の青年が、首都の空港に降り立った。
金色の長い髪にサングラス。
白い革のコートを、袖も通さずにひっかけただけの長身は垢抜けて、なんでもない所作の一つ一つが華やかな印象を残す男。

長い指がサングラスを外す。
沈んだブルーの瞳。
整った顔のつくりが顕になって、辺りの者は思わずはっと息を飲む。
シャトルのタラップで、彼は辺りを見回した。
まぶしげに目を細め、薄い唇が何か言いたげに開きかける。
けれど音にはならなかった。

薄い唇の端を上げて、微かに笑っただけ。
黒いサングラスが、再び彼の瞳を隠す。
そのまま、彼はシャトルを降りた。
到着ロビーをまっすぐに抜け、黒い地上車に乗り込んで消えた。

 

 

首都から車で一時間ばかり離れた、小さな町。
ホテルのフロントで、品の良い老紳士が宿泊帳を広げている。
そこへふらりとやってきた客があった。

「部屋、空いてるかい?」

黒いサングラスを外して、青年はそう聞いた。
観光などまるで縁のない片田舎である。
何泊されようと、部屋など腐るほど空いていたのだが、代々この町でたった一つのホテルを経営してきた一族の末裔としては、待ってましたとばかりに飛びつくような真似はできない。

白い口ひげのオーナーは、まずもったいぶって問い返した。

「ご滞在は、どのくらいにおなりでしょうか?」

「さあねぇ…。
あまり長くはいないと思うけど。
いつまでと、はっきりはしてないんだ。」

何か事情がありそうだと、直感する。
長くこういう商売をしていれば、わけありの客はなんとなくわかってしまう。
控えめに、けれど鋭い視線を走らせる。
こんな片田舎には不似合いな、華やかな美貌の青年だった。
オーナーの瞬時の観察に、青年の方でも気づいたらしい。
くすりと小さく笑う。

「ああ、大丈夫。
あやしい者じゃないよ。
ここは、ちょっと縁のある土地でね。」

嘘をついている様子はない。
青年のブルーの瞳に一瞬さした影が、それを知らせた。
不思議な表情をする青年だと思う。

 

姿かたちは盛りの若さを誇っているのに、彼のまとう雰囲気は落ち着いていた。
華やかな外見にそぐわぬ、沈んだ陰り、あきらめや達観や、どちらかといえば老人の守備範囲にある表情が、彼のまとう空気の中にある。

青年のブルーの瞳をまっすぐに見つめ、老オーナーはようやく表情を和らげた。

「ようこそおいでくださいました。
楽しい滞在になりますように。」

部屋のキーを取ると、階段下に立つ。

「お部屋は二階にご用意いたしましょう。
どうぞこちらへ。」

古いが、しっかり磨き上げられた手すりのついた階段を、音もさせずに先へ上がる。
そのしゃんと伸びた背中を追う青年の口元に、また不思議な微笑が浮かんだ。

「変わらないね。
ここの一族らしいよ。」

遠い昔、泥のついた靴で踏み込んでよく叱られた。

「靴拭きを使いなさい。
ここはお客様をお迎えする、大切な場所なんだから。」

銀時計の鎖のかかったベスト、銀縁の眼鏡の主人を思い出す。
彼はもうとうに、この世の人ではないだろう。
それでも。
今、目の前を行く、老オーナーのぴかぴかに磨かれた革の靴。
確かにあの主人の末裔である。
綺麗好きで、几帳面で、時間に正確で。
遠い記憶の映像を辿り、オリヴィエは目を閉じて、もう一度微笑する。
ずっと避けてきた故郷。
けれどやはり、懐かしかった。

 

夕食は六時。
それはもう、昔からずっと変わらないことで、その夜たった一人の宿泊客であるオリヴィエの食事も、当然その時刻であった。
プラムのプディングが終わると、最後にお茶が供された。
丁寧に淹れられた紅茶は、透き通ったルビーのような色をしている。

「良い香りだね。」

カップを口元に運びながら、オリヴィエは世間話でもするような軽い調子で口を開いた。

「この先、二股に分かれた小道の右側に…。
スレード葺きの家はあるかい?」

給仕に立っていたオーナーの表情が、はっと変わる。
あの家、青年の口にした家は、一見なんの変わった様子もない。
どちらかといえば旧式の建物で、今時興味を持つものなどいない。

けれどあの家には、いわくがあった。
公に大きな声で口にされることこそなかったが、話題の少ないこの町でひそひそと、長く語り続けられた噂話。

昔、この惑星から、夢の守護聖が出た。
あの家はその生家だと、そう噂する。

老オーナーは、その話を彼の祖父から聞いた。
この惑星でも指折りの博識家であった祖父は、まだ幼かった彼に誇らしげに語ったものだ。

「こんな片田舎だがな、ばかにしちゃいけない。
守護聖様を出したんだぞ。
この先のスレード葺きの家、誰も住んでいない家があるだろう?
あそこが守護聖様の家だったんだよ。
どうだ、驚いただろう?」

祖父はそう言ったが、あの古い家は特別綺麗でも立派でもなかったから、日々の暮らしに追われるうちに「守護聖の生家」を意識することも絶えてなくなっていた。
華やかな美貌の青年を、オーナーはじっと見つめる。
整った横顔を向けてカップを傾ける彼に、穏やかに聞いた。

「縁の家ですか?」

青年がブルーの視線を上げた。
またあの不思議な微笑。
泣いているようにも笑っているようにも見える、あの表情で。

「そうだね。
縁といっても…、旧い旧いものだけどね。」

そう答えた青年に、彼はようやく納得した。
なるほど、そうであればオリヴィエと名乗ったこの青年のまとう、不思議な空気もよくわかる。
守護聖は年をとらないのだという。聖地の女王の下、聖なる力を司る神のような存在だと。
伝説の夢の守護聖の名は、オリヴィエ。

孫の代で、その伝説の主を宿泊客にもてたと知れば、祖父はきっと驚くに違いない。

「で、どうなんだい?」

答えを返さない彼を、オリヴィエが促した。
ふっと、瞳の色が沈む。

「だれか…。
あの家を訪ねて来やしなかったかい?」

 

 

「さて、どうでしたでしょうか。」

ゆったりとした口調で返した。

「もしどなたかがいらしたとしても、私が口にするわけにはまいりません。
私が知っているとしたら、それはお客様が私にお尋ねになったこと。
こういう商売をしておりますと、信用が一番でして。」

柔和な表情で返された答えに、オリヴィエは声をあげて笑った。

「ああ、ほんとだよ。
まったく。
あんたの言うとおりだ。
あんたはホントに…。」

その先の言葉をオリヴィエは口にしなかったが、

「似ておりますか、私は?
あなたの知る、この家の者に。」

代わりに続けてやると、オリヴィエは金色の眉の下、大きく目を見開いた。

「ああ、似てるよ。
そっくりだ。」

懐かしげな表情を、はっきりと浮かべる。

「オリヴィエ様、失礼を承知で申し上げます。
ご自分でお確かめなさい。
それが一番ですよ。
わざわざ訪ねていらしたのも、それを確かめるためだったのでしょう。
それならば、他人の口から聞こうとなさいますな。」

ぴしりとした口調に、オリヴィエは苦笑する。

「ああ、それができなくてね。
ずっとぐずぐずしていたんだよ。
私は臆病でね。
怖いんだ。
確かめるのが。
確かめてしまったら、もう夢をみることもできないじゃないか。」

くるりと目を回して、オーナーは肩をすくめて見せる。

「悲観的ですな。」

「そういう性分でね。」

憮然と答えるオリヴィエに、笑いを誘われる。

「良い結果が待っていたら?
ぐずぐずしている間がもったいない。
私ならそう思いますがね。」

ワゴンの上で、新しいお茶を淹れなおす。
温かい湯気と共に、良い香りが部屋に溶けてゆく。

「あっという間に、若い日は過ぎますよ。
大事になさい、オリヴィエ様。
明日、行ってみることですね。」

それきりオーナーは口をつぐんだ。
オリヴィエも、黙ったまま新しいお茶を飲み、そして席を立った。
ダイニングを出ようとするオリヴィエの背に。

「大丈夫。
現実はきっと、あなたの見る夢より美しいですよ。」

背を向けたまま、オリヴィエはふっと笑う。

「そう信じてみるよ。
そうだと良い。
私も思うからね。」

静かに閉じられた扉に、老オーナーは深々と頭を下げた。