Eine Rückkehr ~帰郷~ (9)
星の綺麗な夜だった。
まるで空までもが、新女王の即位を祝っているかのように、惜しげもなく星は煌き輝いている。
見上げればあの夜と同じ、乳白色の帯が空を横切って、小さな星屑のかけらは今にもこぼれんばかり。
「ったく、これじゃ、かえって悪いよ。」
一人になりたくて出てきたというのに、これではあの夜を思い出してしまう。
あの夜起こったことは、すべて夢。
彼自身がそう言ったように、夜が明ければすべて消えてなくなる夢のはずであった。
それをまだ消さずに抱いてるなど、認めたくはない。
けれど思い出すまいと意識すればするほど、あの夜の記憶は鮮やかに蘇る。
ばかばかしい。
他の男を思って涙する少女に、何を血迷ったものか。
ここにいるからいけない。
外にはいくらでも女がいる。
ただ一夜のかりそめの恋の相手に相応しい相手が、いくらでもある。
下界へ抜け出そう。
そう決めて、視線を地上へ戻す。
その背に、小さな足音がした。
ヒールの踏みしめる、細い小さな靴音。
オリヴィエは、右手で両目を覆い再び天を仰ぐ。
「綺麗な夜ですわね。」
聞き間違うはずのない声。
「追いかけて参りましたの。」
続くその言葉に、オリヴィエはゆっくりと視線を戻した。
せっかく距離をとってやろうと思っていたのに。
これ以上、近づけば面倒なことになるからと。
彼のそんな思いを知ってか知らずか、補佐官の正装をしたロザリアは少し息を弾ませて、こちらをじっと見つめていた。
すっきりと無駄のないドレス、高く結い上げた髪。
それは彼女が少女であることをやめた証のようで、つい先刻宴の会場では胸にちくんと針のささるような感覚を覚えたものだ。
けれどそれは違ったと、オリヴィエの唇は笑いをためる。
「オリヴィエ様?
何を笑っていらっしゃいますの?」
一瞬にして不機嫌になったロザリアの表情が、オリヴィエの微笑を深くする。
ヒールの靴で息の上がるほど走るロザリア。
オリヴィエの小さな笑いに、機嫌を損ねるロザリア。
本人がどんなに少女であることをやめようとしたところで、その本質が早々簡単に変わってしまうはずもない。これまでもこの先も、きっとこうであるのだろう。
素のままのロザリアは、いつも変わらない。
「嬉しい、そう思ったんだよ。
私もさ、あんたに会いたいと思っていたところだったからね。」
抗うことを、オリヴィエはやめた。
口にしてあらためて、自分の素直な思いに気づく。
会いたかった。
認めてしまえば単純なこと。
「どうしたんだい、ロザリア。
そんなところに突っ立って。」
どうしたものかと戸惑っているかのようなロザリアに、近づいた。
間近で見下す。
「私を追って来てくれたんだろう?」
微笑んで、そう続けた。
「両親に会って参りましたの。」
オリヴィエを見上げたまま、ロザリアは口を開いた。
「ばあやを送っていったのですわ。
もう、ここにはいてもらえませんから。」
寂しげに笑う。
「父と母には、補佐官就任のこと報告いたしましたわ。
喜んで送り出すと、そう言ってくれて。
お別れして参りましたの。
ついさっき、宴の始まる少し前に。」
女王の交代がなった上は、聖地の時間も通常に戻される。
そうなれば、ロザリアが生きて再びその家族に会うことはない。
だからそうなる前に、新女王は大事な親友に時間を贈った。
両親への永の暇乞いの機会を。
「帰りたくなった?」
ロザリアの寂しげな口調が、気になった。
「今ならまだ間に合う。
ここでのことはなかったことにして、元どおりの暮らしに戻ることだって、あんたにはできるんだから。」
冷たい頬にそっと触れると、ロザリアはゆっくりと首を振った。
「帰りませんわ。
わたくしにしかできないことが、ここにはありますの。」
ほんの少し俯いて、消え入りそうな声で彼女は続ける。
「それに…。
気づかせてくださった方も、ここにおいでになりますわ。」
白い頬がばら色に染まる。
いつか庭園で垣間見た、あの瞬間の映像が蘇った。
ロザリアは知らない。
ジュリアスがいまだ彼女を思っていること、片時も目を離すことなく、彼女を見守り続けていることを。
けれどどうして知らせる必要があるだろう。
女王試験の大儀の前に、自分の心を封印して彼女から逃げた男。
なんの遠慮がいるだろう。
「あんたが羨ましいよ。
そんな風に、素直になれるあんたがね。」
手袋を外した指で、もう一度そっと彼女の滑らかな頬に触れる。
幾度も幾度も愛しむように撫でて、ぐいと抱き寄せた。
「あの夜とは違う。
私はもう…、夢になんかしてあげないけど。
それで良いのかい?」
少し緩めた腕の中で、ロザリアがこくんと頷いた。
もっとも、だめだと言ったところでもう遅いと、心中で笑う。
金輪際、手放すつもりなどまるでないオリヴィエだった。
始りからこんなざまでは、この先自分はどれほどの執着をすることか。
みっともないと苦笑しながら、それでも胸の激情には逆らえない。
「あんたが好きだよ。
たぶん、あんたが思っているよりずっと…。
私はあんたが好きだよ。」
唇を重ねた。
瑞々しいバラの花びらのようなロザリアの唇に。
それは柔らかくて、ほんの少し冷たかった。