Valse~Au revoir~ (2)

完全なる調和に満たされた宇宙は、この上もなく穏やかで、そして美しい。
前女王治世の末期、崩壊しかけたこの世界であれば、今のこの世のなんと夢のようであることか。
それは当代女王の偉大な力の証左であり、すべての民の女王への信仰は、ますますもって篤くなる。
下界がそれほどに穏やかであれば、ここ聖地においては言わずもがなで、毎日毎日が変わらず平和に過ぎてゆく。
だが変わらぬ日々、何にもまして代えがたいありがたいはずのその日々を、冷めた目で眺めてしまう者も確かにいて。
退屈だと、もし口にすれば罰当たりだと罵られるだろう。
けれど下界とは異なる時間の流れの中で、いつ果てるとも知れぬ務めに就いた者には、変わらぬ日々は際限なく続く退屈な日々でもあった。
彼らの多くは、昨日のことを覚えていない。
1年、10年、100年単位ですら、変わらぬ日々を過ごすのに、その中の1日がどうあろうと、たいしたことではない。
どうして覚えていたいと思うだろう。
変わらぬ日々が終わる時、それは彼らがただの人間に戻って、この地を去る時である。
既に下界に知り人はなく、たった一人で残る寿命の尽きるまでを生きていく。
それが自らに課せられた義務だとあきらめるには、あまりにも酷で理不尽な運命であった。

 

 

 

「皆さん、今日は思い切り楽しんでいってくださいね。」

現女王補佐官アンジェリークが、少し照れたように早口で言う。
柔らかい曲線を描く金の髪、緑の大きな瞳の彼女は、長い丈のドレスがどこかしっくりこない幼げな印象である。

「思い切り楽しむね…。」

目の前のティーカップに視線を落として、セイランは唇の端を少しだけ上げる。
つい先ごろ、創世の宇宙の女王選出のために、彼は聖地へ召喚された。
嫌も応もない。
感性の教官として、試験に協力しろと。
まぁ、まんざら嫌ばかりではなかったから承知した。
新しい宇宙の誕生につきあうなど、望んでできる体験ではない。
その過程すべてを見てみたいと、そう思ったのも事実である。
予想どおり女王候補を育成する過程は毎日驚きの連続で、なかなかに刺激的な日々だった。
だがしかしそれ以外の縛りには、正直なところうんざりしていた。
もともと何かに縛られるのが、大の苦手のセイランである。
気の向くままに放浪しては、絵を描き、詩をよみ、音を編んだ。
その彼に、拒否権のほとんどない招待が来る。
親睦を目的としたお茶会だとか、パーティだとか。
別に親睦など、はからなくても困りはしない。
彼の興味をひくに値する人物がいれば、言われなくともこちらから近づくと思う。

「まったく…。
大きなお世話なんだけどね。」

ため息まじりに、小さく声にしていたらしい。

「どうした?
なにかお気に召さないことでもあったか。」

赤い髪の下で、薄い蒼の瞳が面白そうに笑っている。
炎の守護聖オスカーである。

「別に…。
強制される親睦なんて、慣れていませんからね。
少しばかり戸惑っているだけですよ。」

かなり婉曲に表現した皮肉を、オスカーはさらりと受け流す。

「郷に入ればなんとやらだ。
それにまぁ、それほど退屈ばかりではないぜ。
おまえなら、楽しめると思うがな。」

この赤毛の青年を、セイランは嫌いではない。
鍛え上げられた長身に甘いマスク、華やかな艶聞は賑やかで、女性とみれば甘い言葉を口にする。
けれど本質はかなり禁欲的で生真面目で、外柔内剛のその在り方がセイランには気持ちよい。

「そうですね。
まぁ努力くらいはしてみますよ。」

素直にそう口にしてオスカーを見ると、こちらを見ているはずの薄い蒼の視線が、彼らの正面に向けられているのに気づく。

「遅かったな、リュミエール。」

やや低い表情を殺した声で、オスカーが言った。
視線の先には、遅れてきたらしい水の守護聖がある。
涼しい顔で、席についたところであった。

「ごきげんよう、オスカー。」

銀青色の長い髪、薄い水色の瞳をしたこの青年は、女と見紛うばかりの優美で繊細な容姿をしている。
穏やかで控えめな物腰に、優しげな美貌が加われば、聖地に勤める女官たちがほうっておくはずもない。
けれど当の本人は、色めきだった視線に見向きもしない。
いつも誰にでも等しく向ける、優しくやわらかな微笑をもって、彼女たちが必要以上に彼に近づくのを牽制する。
その理由を、セイランは偶然知ってしまった。
いや、気づいたというべきか。
深夜、聖殿奥の間、女王の居室から漏れる竪琴の音。
奏者が誰なのか、すぐに。
聖殿奥の女王の居室に、近付ける者はわずかであった。
奥仕えの侍女たちも、そこで見聞きするものをけして他言しない。
それなのに、まるで誇示するがごとく夜ごと聞こえる竪琴の調べ。
オスカーが苦い表情をするのも、納得できた。
あからさまに口にするのをはばかられる関係であれば、今少しの慎みはあるべきだと普通なら思うだろう。

「おまえらしくないな、リュミエール。
少し控えろ。」

相変わらず表情を殺したまま、ぴしりとオスカーが釘をさす。
辺りをはばかって、低い抑えた声ではあったが。

「あの方の願いに、わたくしが逆らえるとでも?」

まるで動揺した風もなく、リュミエールはにっこりと笑った。

「あの方がお望みになるのなら、どんなことでもかなえて差し上げたい。
わたくしはいつもそう思っていますよ。」

涼しい顔で、ティーカップを口元に運ぶ。
くすりと、セイランは小さく笑った。

「失礼。
リュミエール様、焦っておいでですか?」

リュミエールの優しい微笑が、消える。

「あの音、そう僕には聞こえますよ。」

オスカーの苦言は、正直なところ無粋だとセイランは思う。
女王、守護聖、それがどうしたというのか。
彼らとて元は人の身。
人であれば、恋もする。
干渉する趣味など、セイランにはない。
ただ興味があった。
何かに怯えるような、不安に震えるような、あの竪琴の音に。
そうまで苦しい思いをして、それでも一緒にいたいのだろうかと。

「わたくしは、後悔したくないだけですよ、セイラン。
あなたのおっしゃるとおり、不安で仕方ないとしてもね。
いつかは…と。」

セイランの無礼を咎めるでもなく、リュミエールは再び柔和な微笑を浮かべた。
気負いのない、自然な微笑は、それが彼の本心であることをうかがわせる。


「おまえの気持ちに干渉する気はないがな、リュミエール。
本当に少し控えてくれ。」

今度ははっきりと怒気をはらんだ声で、オスカーが念を押す。
ちらりと動かした薄い蒼の視線の先に、凛然たる光の守護聖の姿があった。

「あの方のお気持ち、足蹴にするようなことは許さん。」

静かにカップを置いたリュミエールが、微笑を消して低い声で応える。

「わたくしは、寒い夜の毛布のようなものです。
ただ暖をとるためにだけ必要な。」

水色の瞳が、まっすぐにオスカーを捉える。

「それでも良いと、わたくしは思っていますよ。
あの方に毛布が必要なら、喜んでそうなりましょう。
それを嫌って身を処した方への遠慮など、わたくしにはありませんよ。」

最後の一言は、刺すように鋭く冷たい。
欲しいものを手に入れるのに、大義や名分など必要ない。
穏やかな口調で告げられた激しい想い。
そのとおりだと、セイランは思う。

「なるほど…。
そう退屈ばかりではない…か。
どうやらそのようだね。」