萱葺きの城(13)
白い回廊に降り注ぐ月の光。
青白い顔のオリヴィエが立ち尽くす。
「いいの?」
からかうような挑発的な金の瞳。
こんなことは今までにも何度かあったことである。
心に闇を持つ何人かの女性が、ひとときオリヴィエのかりそめの恋の相手になる。
そしてそれはいつのまにか終り、彼は彼女の元へ戻ってきた。
今度もきっとそれに違いない。
その自信が彼女を傲慢にさせる 。
だが振り向けられたオリヴィエの視線に、一瞬にして余裕が消える。
見たこともない悲痛な表情。
いとわしげなその視線。
「オ・・リヴィエ?」
「今は追わない。
追うのは・・・。」
こくんと彼女は息を飲む。
「追うのはきちんとカタをつ・・。」
言いさしたオリヴィエの唇を彼女は塞ぐ。
「やめるんだ。」
オリヴィエが邪険に振り払った。
「いやよ!」
彼女は叫ぶ。
「私は後少しでこの地を去るわ。
後、ほんの少しよ。
それまで・・・待てないの?」
オリヴィエの首に絡みつく細い腕。
取りすがる必死の表情。
オリヴィエは思わず目を逸らす。
「あなたがあの子に惹かれていてもわたしは構わない。
ただ・・、私がここを去るまでの間、傍にいてくれさえすれば。」
「悪い・・。
それはできないよ。」
低いがはっきりとした声でオリヴィエは応える。
視線を彼女に戻し、ゆっくりと自分の首にかかる細い腕をほどいた。
「アンタも・・・、それからわたしも、寂しさの道連れが欲しかっただけだよ。
わかってるんだろう?」
「違うわ!
私は・・・。」
「嘘はおよし。」
憐れむような暗い表情を浮かべた青い瞳が、物憂げに彼女を見下ろした。
「夢のサクリアは残酷なもので・・ね。
知ってるんだ、わたしは。
アンタが夜毎、夢に求めるのが誰なのかってね。」
彼女の顔色が変わる。
震える唇をきゅっと噛み締めた。
「アンタは言ったね。
わたしがあの子に惹かれていても構わないって。
それが・・・アンタの本音さ。」
白い月の光が、まもなく女王の位を降りようとする女を銀色に染めていた。
かつて愛した男の思い出を引きずったまま、オリヴィエを愛人に求めた女。
その心の闇に彼は引き寄せられた。
孤独で投げやりな彼女の心に、彼の心がシンクロしたのだ。
同情であったのかもしれない。
だがオリヴィエは同情もまた、愛の一種だと思っている。
だから彼女を愛していなかったとは言わない。
けれど唯一守りたい存在かと問われれば、違う。
唯一彼の心に住まわせて、大切に守りたい存在ではない。
もしロザリアに出会わなければ、彼はそれに気がつかないでいたかもしれない。
このまま彼女の愛人として、その寂しさの埋め草になってやってもよかったのだろう。
それを恥じる心は、彼にはなかったから。
しかし彼は出会ってしまった。
彼のすべてを差し出しても、その孤独を救ってやりたいと思う唯一の存在に。
そして気づく。
同情は切り捨てなければならないときもあることを。
そうでなければ、唯一守りたいと願う存在に近づく資格さえないのだと。
「終りにしよう。」
冷めた静かな表情でオリヴィエが言った。
女の目に絶望と悲しみが、次いで怒りと憎しみが浮かぶ。
「嫌よ、私はあなたを離さない。」
うめくような声で、それでもきっぱりと口にする。
「あなたは新しい道連れを見つけて良いでしょうよ。
でも私は?
私はどうなるの?
後ほんの少しで、どうだってあなたと離れて本当に一人ぼっちになるのよ。
ずっと一緒にいてくれなんて言ってない。
後ほんの少しだわ。
それなのにできないなんて!
よくそんなひどいことが言えるわね!」
憎しみで赤く濁った金の瞳が、食いつくようにオリヴィエを見つめている。
その底に隠れる取りすがるような哀願の表情に気づかぬ性質であれば、どんなに楽なことだったろう。
それを知りつつ、それでも彼は切らなければならない。
ただ寂しさを埋め合う生産性のない関係を。
「悪い・・ね。
なんと言われても、わたしにはできないんだ。
これ以上あんたの傍で今までのようにいることは・・ね。」
これ以上取り合うつもりはなかった。
こんな話に綺麗な終りがあるはずもない。
オリヴィエはくるりときびすを返す。
立ち尽くす女に背を向けて、回廊の出口へと足を運んだ。
「あの子は・・、きっと次の女王よ!」
オリヴィエの背中に笑いを含んだ声がかかる。
「どうするの?
また、ここに通ってくるつもり?
今と同じように愛人として。」
どうにかしてオリヴィエを傷つけてやりたい。
そんな思いが、彼女に残酷な言葉を探させる。
「二代の女王の愛人になるの?
素敵なことだわね・・。」
オリヴィエの足が止まる。
ほんの数瞬の間、二人の間に沈黙が横たわった。
やがて彼は口を開く。
背を向けたままで。
「彼女がそう望んでくれるなら・・・、喜んでそうするよ。
望んでさえくれるならね。」
二代の女王の愛人。
そんな屈辱的な呼称をさえいとわぬほどに、あの少女を愛しているというのか!
激しく深い愛情。
長い間彼女が思いつづけ、恨みつづけたかつての恋人は、女王の地位ゆえに去っていったのに。
彼女の顔が嫉妬で歪む。
「恥知らず!」
血を吐くような思いで、そう罵るのがやっとだった。
オリヴィエは応えない。
ゆっくりと出口へ向かう。
いつもと同じ優雅でバランスの良い歩き方が、彼女の目に忌々しかった。
望んでさえくれるなら・・・。
オリヴィエは胸の中で繰り返している。
そう、ロザリアが自分を許し、そして望んでさえくれるなら、愛人の蔑称を再び受けることなどなんでもないことだ。
「わたくしに触らないで!」
叫んで駆け去った彼女のあの表情。
汚らわしいものを見たような、はっきりとした嫌悪と絶望を映した青い二つの瞳。
彼女が自分を許すことなどあるのだろうか。
ほぼ絶望的なことだった。
それでもオリヴィエは諦めたくはない。
これまでの自分の生き方を清算して、唯一の恋人のために生き直したいと思う。
回廊の出口まで来て、オリヴィエは空を振り仰いだ。
白く妖しい月の光がまぶしかった。
「許してさえくれるなら。」
オリヴィエは口に出す。
「アンタが許してさえくれるなら、わたしは何も惜しまない。怖れない。」
彼女が許してさえくれるなら・・・・・。