萱葺きの城(18)

 

許して欲しい。
そう言ったオリヴィエの口元を、ロザリアは見つめる。
許す?
一体何を。
心の城に誰一人いれず、たった一人で住まう心細さは、多分ロザリアが誰よりも知っている。
もしシュプリーム号なくば、今のように潔癖なことばかり言っていられただろうか。
物心ついてからずっと、ロザリアにとってはたまらなく長い時間のわびしさ、孤独であったけれど、今思うにそれはオリヴィエの過ごした時間の何十分の一にも満たないのではないか。
探していた・・・。
そう言ったオリヴィエの気持ちが、ロザリアには痛いほどわかる。

「もう少し早く・・・、生まれてきてさし上げるのでしたわ。」
やわらかい微笑がこぼれる。
いたわるように、そしてほんの少し悪戯っぽく、ロザリアはそう口にした。
「・・・・!」
声が出ない。
オリヴィエはただ信じられぬものを見るように、ロザリアの微笑に釘付けになる。
「わたくしも・・・、もっと早くに会いたかった。
オリヴィエさま。
そうすれば・・・・。」
ロザリアの言葉は、最後まで音にならなかった。
一瞬にして抱きすくめられる。
細い身体はぐいとオリヴィエの胸に押し付けられ、ロザリアの四肢は自由を失った。
もはや一刻の我慢もできないと、オリヴィエの腕はその持ち主の気持ちを代弁している。
息が止まるかと思うほどきつく抱きしめられて、ロザリアは言葉を失った。
それでもなんとか自由を取り戻した顔を上向けると、その頬にやわらかい金色の髪がこぼれかかる。
気づいたときには、唇が重ねられていた。
はじめから、何もかもを奪い取るような激しい唇。
彼女のすべてを吸い取り、そして逆にオリヴィエのすべてを押し付けるような激しい口付けだった。
オリヴィエの内心を叩きつけるようなそれに、ロザリアは戸惑う。
応えようにもその術を知らなかった。
ただ彼の背をぎゅっと強く抱き返す。
そんなことくらいしかできない自分が、情けなかった。

「傍にいてくれるね?」
長い長い口付けの後、オリヴィエがようやく口にした。
喜びを抑えきれない、短い言葉。
あの孤独から、これで解放される。
これから先、帰る場所を探してあの気の狂うような孤独に耐えなくても良いのだ。
オリヴィエの胸に暖かい灯がともる。
「わたしを愛してくれるね?」

返事はなかった。
オリヴィエは眉をひそめて、ロザリアの伏せた目を覗きこむ。
何故。
彼女の困惑しきった表情。
彼に応えてくれたのは、嘘ではないはずだ。
彼女も確かに彼を愛しているはずだった。
そのことをオリヴィエは少しも疑ってはいない。
では何故。
何故ロザリアはこんなにも暗く、沈んだ表情で黙り込んでしまったのか。
「ロザリア?」
顎に指をかけて、うつむけられたその顔を上向ける。
泣き出しそうな青い瞳が一瞬彼を見つめ、そしてすぐに逸らされた。
「で・・きませんわ。
オリヴィエさま。」
苦しそうに、ロザリアは応えた。

そうしたい。
オリヴィエの傍にいて、ずっとこのまま安らいでいたかった。
オリヴィエは彼女を、彼の心の城に住むただ一人の者と言う。
それはどうやら、彼女の方でもそうらしい。
わかるだけに辛い。
手に入れた後で、知った後で、大切なものを手放すのは辛かった。
けれどロザリアは思い出す。
先日の母の電話。
名門貴族に生を受けた者の責任を知らせた母の声。
自分勝手に我侭な恋を貫ける立場にない、ロザリアの身であった。
中には、その責任を放り出して、自分の思いに忠実に生きる人間もいるのだろう。
現に母の姉がそうだったという。
だが、ロザリアにはそれはできそうもない。
自分の選択によって、自分以外の人間の運命を狂わせることを承知で、それでも思うままに生きることなど、無理なことだった。
幼少の頃から、名門貴族の次期当主として育てられたことが、良くも悪くも彼女に自覚とそれによる縛りを与えていた。
「できませんわ、わたくしには。
ごめんなさい・・、オリヴィエさま。」
繰り返すその言葉は、ロザリア自身の心を半分に引き千切る。
「わたくしは・・、女王にならなくてはなりませんから。」

「そ・・んなこと!」
声が喉に引っかかる。
溢れ出すような思いが、上手く言葉になってくれない。
もどかしい。
オリヴィエはロザリアの頬を両手で挟みこんだ。
そしてもう一度、彼から逃げようとする瞳を、強引に自分へ向けさせる。
「なればいいさ。」
「え・・?」
虚をつかれたように、ロザリアがオリヴィエを見つめ返した。
「あんたがそう望むなら、女王にでもなんでもなればいい。」
「そんな・・・。」
今度はロザリアが言葉に詰まる。
「女王になろうがなるまいが、あんたはあんただよ。
わたしにとってそんなこと、どうだっていいんだ。」
そう。
そんなことでロザリアを失いたくはない。
女王にならなくてはいけないというのなら、それでいい。
公式に彼女を自分のものにできないことなど、何でもないことだ。
これきり彼女を失うことに比べれば。

「でも・・。
オリヴィエさま、それは・・。」
その先は、ロザリアには言えなかった。
女王の愛人になるということですか?
また。
もう一度。
あの東の回廊へ忍んでくるのですか?
そこまでを胸の中で問いかけて、ロザリアは力なく首を振る。
できない。
そんなことは!
彼が現女王の愛人であることは、どうやら聖地中の公然の秘密のようだった。
事が事だけにみな口を固く閉ざし、表立って彼のことを非難するものはいない。
だがそれだけに、彼の立場は余計に不名誉なものであるとロザリアには察せられる。
これで彼が、二代の女王の愛人になると知れたらどうなるのか。
淫靡で陰湿な噂の的になるのを承知で、彼にそうしてくれなどとどうして言えようか。
「言えないものよ。
本当に好きな人に、女王の愛人になってくれなんて事はね。」
女王の言葉は真実だ。
救いようのない絶望の中で、ロザリアははっきりと知った。

「わたしが良いって言ってるんだから、いいんだよ!」
激しい言葉と共に、オリヴィエがロザリアの肩を揺さぶった。
苛立ちを隠そうともせず、素のままの荒々しい感情をその腕にこめる。
どうしてわかってくれないのか!
彼女のためなら、不名誉なことなど何もない。
彼女が自分を愛してくれさえすれば、いくらだって耐えられるのだ。
何故、それがロザリアには伝わらないのか!
言葉は万能ではない。
それどころか、こんな時には思いの万分の一も伝えてはくれない。
苛立たしさが彼から優しさを奪う。
オリヴィエはロザリアの震える身体を、力任せに抱きすくめた。
唇を奪う。
それは今までのものとは違う。
この先に彼が起こそうとする行動を知らしめる、先触れの口付け。
情欲のにおいのする、激しいものだった。
本能的に身の危険を悟ったのか、ロザリアが抵抗する。
その腕を、オリヴィエはねじり上げた。
きりきりと音がするほどにねじり上げられて、ロザリアの顔が苦痛に歪む。
それでもオリヴィエは、その腕を緩めなかった。
そのまま木の幹に押しつける。
ずるずるとその身体をずり下げて、ついにはその木陰に押し倒してしまった。
「オリヴィエさま・・・。
やめて・・・。」
か細い微かな声が、さらにオリヴィエの欲望に火をつける。
ほっそりとした白い喉もとに顔を埋める。
おもうさま、そこに唇を這わせた。
ふと、ロザリアの抵抗が止んだ。
顔を上げたオリヴィエの瞳が、潤んで揺れる青い二つの瞳にぶつかる。
「ロザリア・・・・。」
「お好きになさってください。」
頭を思いきり殴られたような痛みが、オリヴィエの全身を貫いた。
駄目なのか。
どうあっても。
乱暴にロザリアの身体を突き放す。
そして吐き捨てるように言った。
「行ってくれ!」
ロザリアがゆっくりと身を起こす。
「オリヴィエさま・・。」
「早く!」
怒りとも憎しみともつかぬぎらぎらとした光を放つオリヴィエの瞳が、ロザリアを刺し貫く。
「でないと・・、今度こそわたしは!」
ロザリアはほんの数瞬、なにか言いたそうにためらっていたが、思いきったように立ち上がり、そのまま彼を残して駆け去ってしまった。

「くそ!」
目の前の草をぐしゃりとつかんで、引き千切る。
過去が祟る。
自分が選んだ過去であるだけに、余計に腹が立った。
後悔してもどうしようもないのか。
現女王の愛人でさえなければ、ロザリアもこうまで彼を拒まなかったろうに!
開いた手のひらに、草の汁が土と混じって青臭い臭いを染みつけていた。
とれないのか。
拭い去ることはできないのか。
過去とはこんなにも重いものなのか。

ロザリアの女王即位が決まったのは、その三日後のことであった。