花の咲く頃(1)

 

ゆるい上り坂が、だらだらと続いていました。
曲がりくねった細い山道はまだ当分終りそうもなく、足がだんだんと重くなってゆくのをどうしようもありません。
こ一時間もあれば着くだろう。
ふもとの村の方に教えられたわたくしは、もうたっぷり2時間ほどもこうしていることでしょう。
長い長い間、身体の鍛錬らしきものをしなかった報いでしょうか。
たいして険しくも無い山道に、思ったよりも難渋していました。

「はあ・・。」
ため息をついて、わたくしはこれ以上の強行軍を諦めることにいたしました。
急ぐ用があるわけではありません。
まだお昼前。
ゆっくりと上っても、午後中には着くことでしょう。
現金なものです。
そう決めると、今まで目に入らなかった辺りの美しい景観がわたくしの気を引き立たせてくれます。
山肌をすっかり覆い隠した野草の香り。
所々に点在するこぼれんばかりの大ぶりの桜。
山桜でしょうか。
黄みのかかった濃いピンク色の花弁が、みずみずしい緑の葉に映えて、思わず見とれてしまうようです。
朽ちかけた太い綱が、急な斜面に滑り落ちる危険から、通行人を守ってくれていました。
斜面の下を流れる川はかなりの急流で、ひっきりなしに降る雨のような音が、静かな山合に響いています。
わたくしは一本の山桜の木の下に腰を下ろし、その様子を楽しんでおりました。
額の汗を拭うと、火照ったからだがだんだんに冷えてきます。
湿った緑の香りのする空気が、本当に心地のよいものでした。

わたくしが持てるサクリアを使い果たし、いよいよ聖地を去るというその日。
元の女王補佐官であり、今はこの地でさる守護聖の妻となったアンジェリークが、わたくしの部屋を訪ねてきました。
「お願いがあるのです、リュミエール様。」
言いにくそうに、そして少し心配げに細い金色の眉を寄せて、彼女はわたくしをじっと見つめていました。
彼女の頼みがどういうものであるか、わたくしにはわかっておりました。
そして、彼女に頼まれなくてもそれを実行するつもりでいたのです。
「わかっていますよ、アンジェリーク。ロザリアのことならば、わたくしも気にかけていたのです。きっと探し出して訪ねることにいたしましょう。どうか安心なさってください。」
「良かった・・。」
ホッとしたような笑顔が可憐でした。
この方を得るために本当に躍起になり、今でも聖地で知らぬ者のないほどの熱愛ぶり。
あの方のお気持ちがよくわかります。
けれどその幸せは、前の女王が是非にと言い置いて行かれた言葉なしには叶わぬものでした。
補佐官は、女王の交替と同時に聖地を去るのが慣例です。
それを前女王ロザリアが、まげて許可を願ったのです。
アンジェリークを聖地に残すようにと。
最高の親友であり、また長い時間を共に過ごした同僚への、彼女の最後の心遣いでした。
そのおかげで、アンジェリークはこうして今でも幸せに過ごすことができるのです。
「ロザリアが幸せなら良いんです。でも・・、そうでないなら。」
そうでないなら・・・。
そう。
わたくしもそれが気にかかるのです。
親友の幸せに無理な許可をとりつけはしても、自分の幸せは考えない。
ロザリアはそういう人でしたから。
そして何故だか女王府に申告されていた下界での住所から、彼女は忽然と姿を消してしまっていたのです。
それがアンジェリークにとっても、わたくしにとっても心配なことでした。
幸せであれば、そんなことをする必要などあるでしょうか。
「大丈夫ですよ、アンジェリーク。下界の女王府に協力をお願いして、なんとしてもロザリアにお目にかかりましょう。あなたが心配していたと、きっとお伝えいたしますからね。」

下界に下りたわたくしは、それから何ヶ月もの時間をかけてようやく彼女の居所を見つけることができたのです。
主星から遠く離れた辺境の小さな惑星。
草深い山ばかりの土地でした。
そこに、彼女の生家が所有する小さな山荘があるそうです。
どうやらそこにいるらしい。
心もとない情報でしたが、ともかくも確かめてみようと、わたくしはその山荘に向かうことにいたしました。
彼女が聖地を去ってから、2年の月日が流れていました。
ですがそれは聖地での2年。
ここ下界では、既に十数年にもなるでしょう。
ロザリアは元気で暮らしているのでしょうか。
そう思うと、こんなところで休んではいられません。
アンジェリークに約束したとおり、なんとしてもロザリアに会わなくては。
わたくしは山桜の木陰から立ちあがり、うんざりするほど続く細い山道を、もう一度上り始めることにしたのでした。

息が上がり、額にべったりと前髪がはりついた頃、目指す山荘はようやく見えてきました。
けして贅沢なものではなく、むしろこじんまりとしたコテージのような造りです。
わたくしの中にあるロザリアのイメージに、目の前にある山荘の様子は似つかわしいものではありませんでした。
気位の高い華麗なバラのような女性。
女王に即位してからは、近づきがたいほどの気品。
どんな豪華な宮殿でさえ、ごく普通に住みなしてしまうような、そんな女性でした。
今、わたくしの目の前にあるこの山小屋のような家に、本当に彼女が住んでいるのでしょうか。
俄かには信じられぬ思いで、わたくしはしばらくその山荘を眺めておりました。
と、扉が開く音がします。
まだ少し距離がありましたので、その扉から出てきた人影の細かな様子は見えません。
けれどわたくしにはわかりました。
やはりここにいたのですね。
ようやく探しだしました。
ロザリアです。
遠目にもはっきりとわかる、すっきりとした身のこなし。
軽快で優雅な歩き方。
あれは彼女以外の誰のものでもありません。

「お久しぶりですね。ごきげんよう、ロザリア。」
山道の途中から、見上げるようにしてわたくしは思わず声をかけていました。