Die Station ~ die zu Heaven fortsetzt~(1)

 

草の匂いがした。
頬をなぶる爽やかな風に混じって、青い草の。
見渡せば、はるか遠くにかすむ地平線。
また風だ。
続いてざあっと音がする。
青い絨毯の色が、足下から順に遠くへと変わってゆく。
何もかもが懐かしい。
頭の中でえがき続けたのは、まさにこの光景であったのだ。
「それではどうかお気をつけて。」
列車の降り口まで見送ってくれた車掌が、丁寧に一礼した。
「ああ、ありがとう。」
振り返って笑って見せた。
燃えるような赤い髪の下、純度の高い氷のような薄い青の瞳。
鋭角的な頬から顎のライン。
文句のつけようもない、美貌の青年であった。
まぶしげに目を細めた車掌は、少し躊躇った後に続けた。
「出過ぎたことですが、本当によろしいのですか?
その・・・、皆様には何もおっしゃらずにおいでだとか。」
皆様。
その言葉の重み。
指し示される人々は、人間であって人間でない。
この世にあって、この世ではない場所に住む人々。
この世を統べる女王の下、人の時間を超えて長い長い時を生きる。
赤い髪をしたこの青年も、つい先ごろまでそこにいた。
彼らと同じ身分、神のような存在として。
「良いさ。
去る者はこうしてひっそりと消える。
それが習いだと、俺は教わった。」
革のトランクを足下に置いて、上着を脱いだ。
ネクタイを緩め、襟元をくつろげる。
さらりとした風が心地よい。
「では、お名残り惜しくは存じますが。
どうかお元気で。」
彼を降ろしてしまえば、後は乗客もない。
臨時の特別便。
彼のためだけに、したてられた列車であった。
「ああ、世話になった。
ありがとう。」
ガタン・・・と大きな音がして、列車は動き出す。
元来た路を戻り行く。
聖地へと続く路。
それは彼が、2度と戻る事のかなわぬ場所だった。
黒い車両がだんだんに遠くなり、やがてそれが豆粒ほどの大きさになった時、彼はその薄い青の視線を天空へと移した。
抜けるような青い空。
上空を吹きぬける風が、流れる雲の速度を速めている。
雲の合間に見える深い青。
済みきった濁りのない青。
懐かしい、彼のよく知る瞳の色を思い起こさせた。
「未練だな。」
苦い笑いを一つ。
トランクを持ち上げて、彼は駅舎のゲートへ向った。
古い木造の建物は、彼のよく知る姿のままであった。
無人のゲートを通り抜ける。
そこから先、彼の家まで5キロはあった。
「ゲートに馬を用意しておきます。」
聖地を発つ前、女王府の役人が約束してくれたとおり、ゲートを抜けた場所に、栗毛の大きな馬がつながれていた。

帰郷。
言葉にすればそうなるが、彼の帰郷は通常のそれとは違う。
彼の帰宅を楽しみにしている者がいるでなし。
だから急ぐ必要など、まるでないのだ。
だが彼は知らず知らずのうちに、馬の鐙を幾度も踏みしめていた。
従順な馬が主人の意をくみ取って速足で駆ければ、5キロの道のりなどあっという間で。
なだらかな丘陵の上に、懐かしい石造りの邸が見えた。
胸が熱くなる。
こみ上げる熱い塊が、彼の喉元で幾度も幾度も飲みこまれた。
鞭を入れた。
栗毛の馬はさらにその速度を上げて、主人を望む場所へと連れて行く。
丘陵を駆け上がると、彼はひらりと飛び降りた。
黒い鉄製の門扉に、シャツの胸ポケットから取り出した鍵をさしこんだ。
ぎいと重い音がして、視界が開ける。
「おかえりなさい、お兄様!」
玄関ポーチから、空色のドレスを着た娘が飛び出してきた。

ふわりとした栗色の巻き毛。
あれは妹。
「おかえりなさい、兄上!」
まるい瞳が幼げな印象を与える少年。
あれは弟。
「おかえりなさい、オスカー。」
ラベンダーの香りのする典雅な貴婦人。
あれは母。
「よく戻ったな。」
彼によく似た赤い髪。
頑強な身体をした武人。
あれは父。
「ただいま戻りました。」
声に出して駆け寄ろうとした。
その瞬間、風が吹きぬける。
何もない前庭。
玄関ポーチには誰の姿もない。
深く息を吸いこんで、しっかりと目を閉じた。
そして再び目を開く。
「ただいまもどりました。」
変わらない邸のたたずまいに向って、微笑した。