Shadow~In Perfect Unison~(6)
どうしてそんなに不機嫌なのか?
どうして?
それはロザリアの方こそ言ってやりたいことだった。
どうしてそんなに簡単に、他人の心の奥をのぞくことできるのか。
あなたに関係ないことだわ!
そう叫んでやろうと思った。
だがそれよりも、何もかもを知った風に物憂げな瞳で自分を見つめるこの男を、煙に巻いてやろうと思う。
わかるはずなんかない。
昨日や今日、聖地にやってきて、そしてほんの少しだけここの暮らしを知ったに過ぎない男に。
「この世が、わたくしを中心に回らないからだわ。」
そう応えて、どきんとした。
それは思わずこぼれた彼女の本音だと気付いたから。
自分を中心に回らない。
回ったことなどない。
ただの1度も。
それなのに自分はここでこの世を治めている。
誰かの暮らしが平穏であるように。
そう願うことを義務付けられて…。
幼い頃から、他人のために生きることが彼女の義務だった。
いつも彼女の背中には、誰かの期待や希望がのせられていた。
「ロザリア様のお利発なこと。
きっと立派なレディーにおなりでしょう。」
家庭教師がそう言えば、厳格な両親も顔をほころばせて喜んだ。
「他の者なら知らず、いやしくもカタルヘナ家のお姫様がそんなことをなさってはなりません。」
庭の大きな噴水で、使用人の子供達と水遊びをした末に、下着までぐっしょり濡れた姿で玄関に立ったロザリアを、そう叱ったのは乳母だった。
15才になる頃には既に女王の資質がはっきりと現れて、それは彼女への扱いをいっそう重々しいものにしたが、同時に彼女の行動の自由をますます制限することになった。
「カタルヘナ家は代々大切な娘を幾人も、聖地に差し上げてきた。
女王としてな。
だがここしばらくの間そういうこともなく、我が家にとってはとても不本意なことだったのだ。
私の代で娘を差し上げられる。
なんと喜ばしいことだろうか。」
彼女の資質が目に見えて強く大きくなって行くのを眺めながら、父はよくそんな風に嘆息した。
感極まって涙ぐむ場面さえもあったのだ。
そして彼女は聖地へ送り出された。
一族の名誉。
家門の誉れだと賑々しく騒がれる中を。
それでわたくしは?
聖地に来てからずっと胸に秘めてきた言葉であった。
自分には何が与えられたのか?
誰かのために自分を殺し、いや殺すべき自分さえ見つけられぬままに、生きてゆくのだろうか?
自分は一体何者か?
何を望んでいるのだろう?
気がつけば、そんなことを考えてばかりいた。
だがそれがわかったところで、どうにもならないことも知っていた。
知ればかえって自分が苦しいだけだということを。
女王であることは辞められない。
いつか時が来て、自分の中にある女王の力が消えうせるその日まで、彼女には何一つ思うようにできることなどないのだから。
目が回るほどの忙しい日常が、その疑問を隠してくれる。
知らないほうが良い。
気がつかぬ方が良いのだ。
それでもごく稀に。
ぽっかりと空いた、ほんのわずかな時間が訪れると。
ふらふらと外に誘われてしまう。
行く当てなどない。
そんなことは承知の上であっても、それでも。
何も考えず何も思わずに、生きる事が苦しい時に、銀色の月の光は彼女を慰めてくれるから。
ただそれだけのために。
だから、つかの間の休息を邪魔されたくはない。
目の前の男。
見ればまだ少年の匂いが色濃く残っているようではないか。
それがわけ知り顔で、自分に何かを問いかけるなど笑止の思いだ。
「あなた、ここにいたいの?」
目の前から消えうせて欲しい。
その思いを隠すつもりはなかった。
気を悪くするならすれば良い。
彼女の方ではとっくに気分を害していたのだ。
この男にそれなりの思いをしてもらったところで、別段彼女の良心をとがめる必要はないと思われた。
冴え冴えとした月の光の下に、凍るような青い瞳。
言葉にもまして、触れれば切れるような拒絶が、はっきりと浮かんでいた。
「回してみたら?」
こともなげにさらりと言う。
「回ってくれないなんて恨み言を言ってないでさ。」
今、なんと言ったのか?
その言葉を受け取ったロザリアの頭が、正確にそれを再現し彼女の心に伝えるのには少々の時間が必要だった。
思いもかけない反応。
だが心に伝わった時、その言葉は彼女の感情に怒りの火をつけた。
「なんですって?」
藍色の瞳が、今は面白そうに笑っていた。
女王に対する慎みのかけらさえもない。
「聞こえなかったのかい?
恨みつらみは見苦しいって言ったんだよ。」
「あなたに…!
そんなことを言われる筋合いはないわ!」
いつのまにか本気で叫んでいた。
うかつにも思わずもらしてしまった本音を、後悔しながら。
「ずっと良いよ。」
彼女の怒りをまるで気にする風でもなく、彼は藍色の瞳を輝かせる。
「そうして怒っている方がずっと良い。
いろんなものを押し込めて、我慢してますって顔してるよりずっとね。
綺麗だ・・と思うよ。」
恋をしかける言葉は初めてではない。
名門貴族の姫君、あるいは次期女王候補。
彼女を飾る輝かしい肩書きのせいで、そうふんだんに与えられるものではなかったが、それでも。
中には果敢に彼女に恋をしかけ、そして打ち明けて、熱っぽいささやきをくれた者もないわけではなかった。
だが、今目の前でこの無作法な男が口にした言葉は、それとは違う響きを持っていた。
綺麗だ。
珍しくもない恋の言葉が、まるで違ったものに聞こえる。
過去から未来にいたるまでずっと変わらぬもの。
普遍の真実なのだと言いきるような、そんな自信に満ちた言葉だった。
そして何よりも驚いたのは、その言葉を不快に思っていないことだった。
なぜ?
藍色の瞳を見つめ返しながら、彼女は自分の心に問いかける。
なぜ自分は、この男が自分の中に入ってくるのを許すのか?
なぜ?
ただじっと見つめるだけで口を閉ざしてしまったロザリアに、セイランはさらに続けた。
「ねえロザリア。
試してみないかい?」
「え…?」
何を試すというのか。
そう思うことが既に彼のペースに巻き込まれているのだと、ロザリアは気付く余裕もなくしていた。
「君を中心にこの世を回してみることを・・さ。」
からかうような笑いは消えて、わくわくと弾むような声が彼女に応えた。
「君の望みは何?
それをかなえてあげるよ。
僕がね。」
さすがにロザリアは失笑した。
何を馬鹿な。
いや、なんと身のほど知らずなことをいうのだろう。
彼女の望みがどんなものかも知らないで。
では困らせてやろう。
ロザリアはにっこりと微笑する。
「どんなことでも良いの?」
「もちろんさ。」
「では…。
お父様、お母様に会いたいわ。」
できる?
皮肉な微笑が、最後の一言を代弁した。
できるなら叶えてみるが良い。
こことは時間の流れの異なる外界で、とうに亡くなってしまった彼女の両親だった。
会わせる事ができるというのなら!
瞬きをいくつかする間ほどの沈黙があった。
ほらご覧なさい。
やすやすと他人の心を覗き見ようとした罰だわ。
ロザリアが薄い笑いを頬にためかけた時。
「一週間。」
何か考えるように上目で空を見上げながら、セイランがふいに口にした。
「一週間後、もう少し早い時間に、君ここに来られるかい?」
思いもよらない反応が信じられなかった。
そんなことができるはずもない。
女王の自分でさえ、時間の流れに逆らうことは不可能なのに。
「どう?
できるかい?」
重ねて尋ねられた時、ロザリアは頷いてしまっていた。
「決まりだね。」
セイランは楽しげに決めつけた。
「じゃあ、来週。
ここで。」
言いたいことだけ言うと、彼はさっさと背を向けて去って行った。
ロザリアは一人取り残される。
ほんの少し前まで、そうなりたいと思っていたのに。
ひどく頼りない思いだった。
それは強引に来週の約束をさせられたせいもあったのだけれど、それだけではない。
かなえられるはずもない望み。
それをあっさりとかなえてやると言った彼の言葉を、疑いながらも何処かで期待している。
そんな自分の心の揺れを、制御できないでいたからであった。
「あなたはただの嘘吐きなの?
それとも本当に…?」
とうに見えなくなってしまったセイランの後姿。
それが溶け込んで行った闇を見つめて、ロザリアはそう口にしていた。