Die Station ~ die zu Heaven fortsetzt~(10)
有翼の白い馬。
天馬と人の呼ぶ白い馬は、夜空に舞い上がり滑るように飛んだ。
ばさりばさりと時折思い出したように翼は上下するが、それも大した振動を伝えない。
背にある二人の貴人を気遣うように、白い天馬は黙々と下界を目指す。
結界を飛び越え、幾多の山と川を越え、時間の流れのむこうにある人の住む場所へ。
知らせは送ってあった。
カタルヘナの屋敷では、自慢の一人娘の帰宅を、今か今かと待ち焦がれているはずだった。
期待通りの成果をあげて帰ってくる娘。
一門あげた歓迎の宴が、ロザリアを待っているはずだ。
女王の宝冠を明日には戴く娘。
けれどそうなれば、二度と人の世とは関われぬ、会うこともかなわぬ娘であるのだけれど。
ふうわりと風を起こして、天馬は白い翼をたたむ。
カタルヘナ家自慢の庭園に、静かに降り立った。
思ったとおりにぎやかな歓迎が、聖地から戻ったロザリアをたちまちにして取り囲む。
「ロザリア…、よくがんばった。」
人の輪の中から前へ進み出たのは、彼女の父。
「本当に、よくがんばりましたね。
あなたはわたくしたちの自慢の娘ですよ。」
涙まじりに続くのは、母。
<あなた方のほしいのはカタルヘナ家の名誉でしょう?
ロザリア・デ・カタルヘナが女王となる、そのことでしょう?>
さまざまな思い、ここへつくまで確かにロザリアの内にあった両親への反発や僻み、それら負の感情が、二人の姿を見た途端、融けてなくなっていった。
ただ懐かしい。
「お父様、お母様。」
叫んで駆け寄っていた。
両腕を広げた父の胸に、迷わず飛び込んで、泣いていた。
「ただいま帰りました。」
二度とは許されぬ言葉。
今日を限りに封印する言葉は、幼い日から今日までの優しい時代を彼女に思い出させる。
それが余計に涙を誘った。
「ただいま…、ただいま。
お父様、お母様。」
ロザリアと同じ色をした父の青い瞳にも、娘に負けじと涙が浮かぶ。
言葉もなく抱きしめ、そして愛しげに何度も何度もその背を優しく叩く。
まるで幼い子をあやすように。
「お父様…。」
涙に酔いながら目を上げた。
息がとまる。
「あ…。」
父の肩越しに見えた長身。
青いシルクの上着に漆黒の髪をした。
「ロザリア…。」
しっとりと夜の闇にとけるような低い声で。
「お帰り。待っていたよ。」
婚約したと聞いた。
彼女が聖地に上がってまもなくのことだ。
なのに、なのにどうして彼がここにいるのか?
ぐるぐる巡る頭の中の思いを、なんとかロザリアは封じ込める。
そして笑った。
「ごきげんよう。」
それは「カタルヘナの青い薔薇」と呼ばれたロザリアの微笑。
あの頃のまま華やかに美しい。
「ああ、ごきげんよう。
君はやはり女王陛下になるんだね。」
青年の微笑には翳りがあった。
ざわざわと、心がざわつくのをロザリアは感じた。
微笑を保てそうもない。
どうしよう…、乱れたくはないと思った瞬間、
「レイディ、そろそろ俺を君の家族に紹介してはもらえないか?
さすがに手持ち無沙汰でね。」
陽気な声。
笑いを含んで余裕のある。
振り向くと氷の色の視線にぶつかった。
「………?」
妙な違和感を感じる。
笑っていなかった。
その薄い青い瞳は、その氷の青と同じくらいに冷たく無表情で。
それなのに形の良い唇は微笑の形をとり、低く艶のある声は甘く陽気な調子で。
「どうした、レイディ?
俺も紹介なしでは、いささか居心地が悪い。」
重ねて促され、ようやくロザリアは両親に視線を戻す。
「お父様、お母様、こちら炎の守護聖オスカー様ですわ。
今宵、わたくしをお連れくださいましたの。」
炎の守護聖と聞いて、その場にざわめきが走った。
女王に仕える9人の男たち、それが守護聖である。
時間を超え、この宇宙の秩序と安寧を支える。
神のごとき存在。
「なるほど…。
炎の守護聖様でおいででしたか。
ただ人ではないとお見受けいたしましたが、これで得心いたしました。」
ロザリアの父が大きく頷いた。
「娘がお世話になっております。
いや…もはや、陛下とお呼びすべきかもしれませんな。」
寂しげな笑いをためて、言葉をついだ。
「陛下を…、どうかこの先もお守りくださいますように。
どうか…。」
明日になれば、人の世と聖地では流れる時間の速度が変わる。
女王試験の最中であればこそ、人の世と聖地の時間が同調していたのだ。
次期女王が決まり即位を迎えるとなれば、その流れは元に戻される。
人の世には人の世の理が、聖地には聖地の理が、それぞれの世界を支配する。
もやのようなうす赤いオーラが、オスカーの身から立ち上っていた。
それは彼が守護聖である何よりの証。
司る炎の力そのままの赤い光彩を揺らめかせ、オスカーは父の前にその長身を折る。
「父君の願い、確かに承った。
必ず…と、ここでお誓いいたしましょう。」
古風な騎士の誓い。
受けた父はほんの少し目を見張り、娘の顔へちらりと視線を投げる。
「お願いいたします。
オスカー様…。」
苦い笑いとともに、そう締めくくった。