Die Station ~ die zu Heaven fortsetzt~(13)
陽が上る。
茜色に染まるく聖殿が、オスカーの間近にあった。
東の窓から見える朝のこの光景は、守護聖に就任して以来ずっと愛してきたものだ。
薄くらがりの地を次第に温かく染め変えゆくその様子は、女王のサクリアがあたりに広がりこの地を守り始めるその時のようで、いつ見ても身のひきしまる思いがする。
女王への忠誠をあらためて誓う、彼だけの儀式の瞬間であった。
だが当代の御代になった今は、違う思いで同じ光景を見る。
女王への忠誠はいささかも損なわれたものではなかったが、だからこそ、それゆえに、複雑な思いで茜色の聖殿を眺めるのだ。
あれにある聖なる女王。
この宇宙にあまねくその愛を注ぎ、この世の平和を守り続ける至高の存在。
「ロザリア…。」
夜にだけ、呼ぶことを許された名を口にする。
陽が上り、この地を光が支配する時間には、存在しない女性の名前。
同じ時、この地にあるは女王である。
彼はその守護聖。
その規は超えられない。
昔、まだ女王候補であった彼女を、半ば力づくで奪うようにして得たあの夜。
熱にのぼせた自分に、怖いものなど何もなかった。
だが即位した後の恋人の、聖なる力を目の当たりにした今となれば…。
よくよく思い上がったことであったと、苦笑する。
苦い笑い、面白くはないその感情は、最近になってしばしば彼を襲い、不機嫌にさせていた。
急速な自身の力の衰えを自覚したときから。
やがてくる別離の時の、そう遠くはないことを予感していたから。
「それで…?」
いつものとおりの夜、いつもの場所で、白い絹の夜着をつけたロザリアが聞いた。
新月の夜。
星だけがちらちらと瞬く墨色の夜。
虫の声だけが控えめに、暗がりから漏れ聞こえている。
「オスカー、いつまでわたくしに黙っているつもりなの?」
恋人の胸に半身を預け、視線は合わせないまま。
その白く冷たい肩を抱き寄せながら、オスカーは唇をかんだ。
恋人は女王である。
オスカーの持つ力、炎のサクリアは女王の力の一部。
その喪失に、気づかぬはずもない。
それでも知らぬフリをし続けた彼女がついに口にしたのは、それだけ彼のサクリアの揺らめきが細く頼りないものに変わってきたからである。
応えを、彼女はじっと待っている。
彼の腕の中で、息をつめて、じっと。
返すべき応えは決まっていた。
サクリアの減衰を知らせ、そして女王に別れを告げればよい。
聖地を降り、ただの人として残された時間を生きると。
これまでの時間は、良い思い出であったと。
そう言えば良いのだ。
言えなかった。
力をなくす守護聖であれば、倫を踏み外したとはいえ、いやしくも守護聖であった男なら、言わなくてはならぬその別れに迷いがある。
迷いが口を重くする。
返す言葉もないままに、抱き寄せる腕の力だけ強くした。
「オスカー…。」
青い視線が上がる。
もう幾度もこうして見下ろして、それでも見飽きぬ宝石の青。
絹糸の長いまつげが眦に向かい翳を作る。
言えば…、選ばなくてはならない。
恋人をおいて、この地を去ると。
言いたくはない。
一度破った禁忌である。
どうして今更、そんな殊勝なことを思うものか。
たとえ追っ手がかかろうと、地の果てまででも共に逃げ、その先そこで討たれようとそれで後悔はないと思う。
今宵、サイドテーブルの上には、紫の小箱があった。
鮮やかな光彩を放つスタールビーの指輪。
オスカーの母が彼にもたせた、当主の妻の証。
妻になる女へ贈るようにと。
赤を嫌う理由、それはロザリアの心にいまだ過去の初恋が棲んでいることが理由のようで、夜毎彼女を試し困らせた。
自分の知らない過去、そこでロザリアの心に傷を残した男に、夜毎嫉妬した。
だがそれも今夜で終わりだ。
この赤い石をロザリアの指に贈ろう。
オスカーの思いを、ロザリアは笑って受けとめてくれるはずであった。
「俺と共に…。」
口にしかけて、そこで言葉を失った。
金色のオーラ。
女王の持つ光のオーラがふんわりと、あたりの大気を優しく染めているのに気づいたからである。
夜、こうして二人でいる間、滅多にはないサクリアの発動であった。
その発動には、持ち主の意思によるものと、そうでないものとがある。
オスカーも長く炎の守護聖を務めた身であれば、そのことはよく承知していた。
何かの拍子に、己の身体から赤く力強い光の粒子が立ち上る。
サクリアとはそういうものだ。
皮肉なものだと思う。
まさにこれから、生涯の恋を告げようと思ったその瞬間に、彼の恋人がただの女ではないことを、あらためて知らされることになろうとは。
金色の優しいオーラは、この宇宙のすべての命を育み愛おしむ力。
これなくして、世の平穏はありえない。
生きとし生けるもの、すべての営みの幸せを、一人の男のわがままで壊してしまってよいものか。
「クソがつくほどの生真面目、野暮天なのにさ。」
同僚のオリヴィエの言葉が、脳裏を掠めた。
<ああ、まったくだぜ。
オリヴィエ、おまえは正しいよ。>
苦い思いが、唇に笑いをのせた。
そして目を閉じる。
「ロザリア…。
俺はじきにここを去る。
お別れだ…な。」
ようやく搾り出した言葉に、腕の中で細い肩がびくりと震えた。
わずかの沈黙。
オスカーの腕をそっと押しやって、ロザリアは起き上がる。
青い瞳をぴたりと彼にあて、微笑した。
「そう…。
ごきげんよう、オスカー。
どうかお元気で。」
それが最後の夜。
数日後、オスカーは聖地を去った。
誰にも告げず、ひっそりと一人で。