Shadow~In Perfect Unison~(9)
朽ちかけた落ち葉が足元を危うくさせる。
ロザリアはそれにもかまわず、ただ足を動かした。
急いで…。
急いで聖地に帰るのだ。
そこは自分のいるべき場所。
望んできたわけではなかったが、今となっては唯一彼女が落ち着ける場所、いやいることを許される場所だった。
あそこへ帰れば…。
水気を含んだ落ち葉が敷き詰められた小道を、ロザリアは急ぐ。
あそこへ帰ればこんな気持ちはどこかへ飛んで行く。
信じられなかった。
自分がこうもやすやすと、誰かを心の中に入れるとは!
月もない漆黒の闇がロザリアに覆い被さった。
凍るような冷気が頬を切る。
瞬きをすることさえ不自由だった。
だがそれでも。
それでもマシだった。
あのままでいるよりはずっと。
心の奥底をのぞかれる。
セイランはやすやすとそれをしてのけた。
そしてあろうことか自分は、それを拒まなかったのだ!
拒むことも忘れて、自分はセイランの唇を受けた。
どうかしている。
会ってまだ間もない男に…。
なによりも自分は、未来を自分以外のものに縛られた身であるというのに!
怒りがこみ上げる。
何かに期待するあさましさ。
それがまだ自分の中にあることに腹が立つ。
「帰るのよ。急いで。」
口に出して自分を叱咤した。
もともと雪が降らないのが不思議な空模様だった。
夜になってぐんと気温は下がっていて、いつちらちらと白いものが舞い降りてくるかわからない。
「好きにすると良いんだ。」
憮然とした表情で、窓辺から外を眺めていたセイランは口にした。
壁の肖像画をにらみつける。
「僕は知ってる。
君は僕が好きだよ。」
動かぬ表情の肖像画は、あいも変わらず不機嫌で。
「我慢ばかりしてるから、素直じゃないんだよ。
ったく、かわいくないったらないね!」
<あら、そう?
あなたこそ素直じゃないわ。
わたくしは知ってる。
最初にここでわたくしに会って、それからずっとあなたがわたくしを好きでいたってこと。
どう?
違っていて?>
きんと耳鳴りがした。
動悸が速くなる。
肖像画がしゃべるはずはない。
だが確かにセイランには聞こえた。
それはセイランの、深層心理のなせることだったのかもしれない。
そんなことはどうでも良い。
図星だった。
彼の方こそ彼女に惹かれているのに。
それは彼女が彼を知るよりずっと以前から。
なんだかそれを口にするのは悔しくて、彼女には告げないでおこうとぼかしたままにしていた。
なぜ、彼女さえも知らぬこの別荘の存在をセイランが知っているのか。
「そう。
そのとおりだよ。」
くやしまぎれに唇をきゅっと噛む。
肖像画の少女がさらに続けた。
<じゃあ、追いなさいな。
もう2度と機会はないわよ。
こんな機会は2度と。
あなたは待っていたのでしょう?>
今を逃せばもう2度とない。
それはよくわかっていた。
彼女は女王だ。
そんなに気軽に会える相手ではない。
いくらこの世のしがらみに頓着しないセイランであっても、それは超えることのできない厳然たる事実だった。
今素直にならなければ…。
くるりとかかとでターンした。
速足でドアに向う。
扉に手をかけて開けた後。
走り出していた。
コートを引っ掛けただけの姿で。
空港はまだ遠い。
この惑星の唯一の宇宙港は森を抜けて、それから10キロは先にある。
こんな夜中。
月さえもない、しかも芯から冷え込むような夜更けに通る車などあるわけもなく、ロザリアは歩いてそこへたどり着かなくてはならない。
白い毛皮のついたコートの襟元から、刺すような冷気が入りこむ。
スカーフを忘れた。
あのドサクサで、暖炉の前に愛用のそれを忘れてきたことを思い出す。
襟もとをしっかりとかき合わせてみたけれど、もう遅い。
背筋がぞくぞくとした。
ぽつん…・。
頬が濡れる。
「え?」
ぽつん・・。
振り仰ぐと雨の滴が目に入った。
「どうしよう・・?」
泣きたい気分になる。
雨は見るまに勢いづいて、暗闇の森を音を立てて襲う。
さあああ……。
「ああもう!
見てられないね。
どうして帰ってこないんだい?
こんな夜更け、しかも初めての土地で、出てってどうするつもり?」
声がかかった。
ロザリアは目を閉じる。
背中から抱き寄せられた。
まわされたその腕も、すっかり冷えきっている。
「意地っ張り。」
耳元でささやかれる声はかすれていた。
寒さと熱がロザリアの意地を萎えさせる。
他人に心をのぞかれることを拒む。
その頑なな心の壁が、がらがらと音をたてて崩れてゆくのがわかった。
「寒いわ。」
ぶるっと小さく身震いした。
「当然だよ。
君のせいで僕だってそうさ。
ひどい話さ。
僕は約束を守ったってのに。
……。
責任とってくれるんだろうね?」
雨はますます激しさを増していた。
前髪からしたたる雨粒が、閉じたまぶたの上ひっきりなしに濡らす。
いきなり強く抱き寄せられた。
そしてくいと顎を上向けられる。
温かい唇が下りてくる。
やわらかくとても優しい。
もう、拒めなかった。
拒むつもりもない。
未来を縛られた身であっても、今だけは。
同調する心臓の鼓動。
その呼吸。
ああ、だから彼は自分の心にたやすく入りこめたのだとわかる。
逆らう必要などない。
彼の唇はこんなにも心地よい。
どうして逆らう必要があるだろうか。
いつのまにか腕が彼を求めて伸ばされていた。
しっかりと細い首に巻きつける。
「帰るよ。」
ようやく唇を離したセイランが、微笑んだ。
どこへ・・とはロザリアも聞かない。
「たしか乾いた毛布があったと思う。
1枚きりだったけどね。
それで十分だろ?」
にやりと唇の端を上げて、セイランは自分のコートを脱いだ。
「感謝して欲しいね。
僕が誰かのために自分を犠牲にしたことなんてないんだからね。
今まで、一度だってね。」
ふわりとトレンチコートがロザリアにかけられる。
「急ぐよ。
早く温まりたいからね。」
ロザリアの背を抱きかかえるようにして、セイランは走り出した。
暗闇の森の向こう。
帰るべき城が、雨に白くけぶっていた。