Shadow ~In Perfect Unison~(13)
「ようこそ。
お待ちしていたわ。」
喉にひっかかるようなしゃがれた声が、まずロザリアを出迎えた。
彼女の立つ扉から離れること10数メートルの位置。
突き当たりの窓際に大きな安楽椅子が置いてある。
背もたれに身を預けるでもなく、声の主はぴんと背を伸ばしていた。
カタルヘナ家の当主夫妻に渡された古い手紙。
そこにはただ一言。
「待ってる。」
そうあっただけだ。
待つ・・。
何処でとは思わない。
彼が待つというのなら、それはおそらく他の場所ではありえまい。
そこは彼女にとっても忘れられぬ印象的な場所。
ただ1度、彼女が思い通りの一夜を過ごせた場所だった。
極寒の惑星。
透き通る湖と森、そして古城のある。
そこで彼は待っている。
旅装を防寒仕様のものに取り替えただけで、ロザリアは慌しく宇宙港へと向った。
「あなたがこちらへ戻られる。
そううかがってから、わたくしはずっとこうして待っていたのよ。
あなたに会わないでおくなんて、できないことでしたからね。」
かさかさに乾いた声。
その声の調子に似合いの老婦人は、枯れ木のように節くれだった細い指をわずかに上げて手招きする。
「そんな端近にいるものではないわ。
仮にもあなたは女王陛下だったのよ。
こちらへおいでなさいな。」
一瞬どうしようかとためらったが、ここまで来て引き返す理由もない。
それにロザリアはまだ確かめていないのだ。
手紙の差出人。
彼が何処にいるのかということを。
ゆっくりと老婦人に近づいた。
視線を軽く落として会釈する。
そして聞いた。
「あなたはどなた?」
すぼまった口元を歪ませて、老婦人は面白そうに笑う。
「そう・・ね。
あなたはわたくしをご存知ないのだったわ。」
だが落ち窪んだ灰色の瞳には、笑いとは別の感情が映っていた。
「でもわたくしはあなたを知っている。
それはもうずっと、聞かされてきたことでしたからね。」
語尾が切れ上がる。
なに・・?
ロザリアには自分に向けられた、彼女の激しい感情の所以がわからない。
黙って彼女を見つめた。
「あなたがどうしてここに来たのか。
わたくしはそれも承知です。
もうずっと以前に、わたくしの夫があなたに出した手紙。
それが・・、あなたをここへ呼び寄せたのでしょう?」
濃い青の瞳が見開かれている
それは自分の言ったただ一言に反応しているのだと、老婦人は微笑んだ。
この一瞬をどれほど長い間待ち焦がれていたことだろう。
わたくしの夫。
この一言で、憎い恋敵の心臓をえぐってやる瞬間を。
かつて並ぶ者もないと言われた彼女の美貌は、今では陰も残さない。
深いしわといくつものしみが、薄茶に沈んだ肌に刻まれていた。
目の前に立つ元女王は、今でもうら若い乙女の容貌をしている。
本当ならば引け目に感じるその容貌の差が、この際彼女には優越感となった。
この深いしわの一つ一つが、夫セイランと過ごした時間を証明している。
確かに彼女はセイランの傍にありつづけたのだ。
彼がこの世を去る、その瞬間までの時間を。
元女王だというこの娘にはない時間。
にっこりと微笑む。
「そう、セイランはわたくしの夫だったのですよ。」
歌うように続けた。
「あなたとわたくしは縁続きなのよ。
もっともわたくしの家はカタルヘナ家の傍流ですけれどね。」
ただ黙って自分を見つめる娘の顔を、余裕を持って見つめ返した。
「わたくしとセイランはね、彼が聖地に上がる前からの付き合いだったのよ。
その頃わたくしには夫があった。
名のみの夫ではあったけれど、そんなの当たり前だってことはあなたもお分かりね?」
上流貴族によくあることだ。
家格の釣り合いで結婚し、後はそれぞれ恋を楽しむ。
ロザリアもそれはよく知っていた。
だがそれにはルールがあったはずだ。
たとえどんなに恋人が愛しくとも、配偶者の名誉を傷つけてはならない。
離婚して恋人と、それも家格の釣り合わぬ恋人と一緒になりたいなどとはけっして許されぬ。
そんなことをすれば、自分の名誉はおろか配偶者の名誉をいたく傷つける。
貴族社会で顔を上げて歩けぬほどの辱めを与えることになるのだ。
それを…、この目の前の老婦人はやってのけたと言うのか?
「それで・・、セイランと?」
聞き返しながら、ロザリアは心の何処かでやはりそうかと納得していた。
あのセイランがただ一人でいるわけがない。
それは覚悟していた。
だからのぞこうと思えばいつでもそうできたのに、彼女はあえて下界に降りた彼の消息を知らずにいたのだ。
知ったからといって彼女には何もできない。
ただ苦しいだけだから。
感情のないかすれた声を、老婦人はロザリアの動揺と受け取ったのか、しごく満足そうに頷いた。
「ええ。
聖地に彼が上がった後で気がついたのよ。
わたくしは妊娠していた。
もちろん夫の子供ではないわ。
それからすぐにわたくしは夫と離婚したのよ。
そして帰ってきたセイランとすぐに一緒に暮らし始めて、そのうちに結婚していたわ。」
子供。
結婚。
そして「そのうちに」という言葉を、彼女は意識してゆっくりと発音した。
前の二つだけでも十分に衝撃を与えられるはずだ。
だが「そのうちに」の言葉には、「そのうち」が許されるほどの時間を過ごしてきたのだと言い放つ意地悪さがこめられている。
どう?
聞き返したい思いだった。
「それで?
それで彼はもう居ないのね?
ではわたくしがここにいる意味はないわ。」
ふいをつかれる。
初めて老婦人の顔から薄い微笑が消えた。
無表情な青い瞳が自分を見つめていた。
彼女の話した事実に、この娘はなんの興味もないというのか。
「セイランからの手紙があったから、わたくしはここに来た。
もう彼がいないというのなら、ここにいる必要などありませんものね。」
くるりときびすを返した。
老いしぼんだ頬を震わせて、声を振り絞る。
「お待ちなさいな。」
見せてなどやるものか。
そう思っていたというのに、老婦人はロザリアを引き止めていた。
見せたくはない。
つい先ほどまでそう思っていたのに。
だがセイランとの約束が胸にのしかかる。
「頼んだよ。」
最後の床で、うっすらと微笑した彼の顔が思い出された。
「セイランに会わせて差し上げるわ。」
気がつけば、そう口にしていた。
振り返ったロザリアの前で、彼女は椅子から立ちあがる。
よろめく足で、続きの間の扉の前に立った。
不機嫌に促す。
「ついておいでなさい。」
銀色のカギを差し込む。
がちゃりと大きな音が響いた。