あなたの大切なものを
青薔薇祭2020投稿作
陽が傾くあたりから、様子がおかしくなる。
まず口数が減る。それも極端に。
時計を見る頻度は上がる。やはり目に見えるほど。
執務机の正面、一目で時代を感じさせるアンティークの置時計は、この部屋の主が生家から持ち込んだものの1つだった。
大地を支える女神の像が捧げ持つ先に、やや大ぶりの文字盤がある。
午後4時。
数秒前に確認したばかりの針を見やり、部屋の主、女王補佐官は、美しく整えた眉を顰める。
これもここしばらく、続くことで。
「おい。」
イライラととがった声。
「おい、聞いてんのかよ!」
声と同時に机を叩いていた。
他の年長者ほどではないにせよ、それなりに年月を重ねていた。
不本意ではあるが、かなり穏やかになったと自分では思っている。
けれどそれにも限度というものがあって。
「あ、ごめんなさい。
研究院でしたわね。
ご一緒いたしますわ。」
はっと、弾かれたように顔を上げて、いささか慌てた様子で立ち上がる。
なんなんだ、これは。
まったくこいつらしくない。
彼のよく知るロザリアは、昼日中、しかも執務中にぼんやりするようなことはない。
いつもであれば。
初めて会ったのは、先の女王試験。
首星の名門貴族の令嬢で、美人で優秀で、とんでもなく世間知らずだった。
けれどクソがつくほど真面目で不器用で、それに気づいたらその後は、坂道を転がる転がる。
やはりクソがつくほどやりたい放題のガキだった彼は、
「かわいいじゃねぇか!」
と無闇にテンションが上がり、フルパワーで応援して、応援して、結果、当然のように惚れていた。
クソガキの彼に、素直に思いを告げるなど気恥ずかしいことができるはずもなく、悶々と過ごしていたある日、彼女が女王ではなく補佐官として残るのだと聞かされた。
おめぇはよくやったとか、がっかりすんなとか、不器用な言葉で慰めながら、心中では快哉を叫んでいたものだ。
これでこいつと一緒にいられる。
ずっとずっと一緒だと。
あれからどのくらい時間が経ったのか。
下界の時では、100年か200年か。
その間、ロザリアはすっかり大人の分別を身につけて、優秀な補佐官として聖地にあり続けてきた。
そのロザリアが、心ここにあらず?
これは普通ではない。
絶対にない。
「おい、ロザリア。」
怒りは治まっていた。
なにしろ大人の男なのだから、いまや。
「おめぇ、おかしいぞ。
なにか、あったのかよ?」
声に、怒気はなかった。
ルビーを溶かしたような瞳が、ロザリアをまっすぐにのぞき込む。
「仕事の虫のおめぇがよ、んな顔してんだぜ。
ただごとじゃねぇだろ。
それもここ最近、ずっとだ。」
その声でロザリアの心が、この部屋に戻ったようだ。
銀の髪をした青年、鋼の守護聖ゼフェルの言い様ときたら、昔も今もまるで変わらない。
不器用で、とても優しい。
蒼い瞳がふんわりと和み、いつもの笑顔で答えてくれる。
「ごめんなさい。
実はね、早く屋敷に帰りたくて、それで気持ちが落ち着かなかったんですの。」
ドレスの裾を優雅にさばいて、ゼフェルの傍に立つ。
「まだ執務中でしたわね。」
謝ってほしいわけじゃない。
理由が聞きたかったのだ。
家に帰りたい理由はなんだと聞きたいが、そこはぐぅっとこらえる。
「『どうして?』『なんで?』は、ガキのセリフだよ。」
少し前にここを去った夢の守護聖が、よく言っていたこと。
話すまで待つのが、思いやりというものなのだそうだ。
大人の男を自負するゼフェルとしては、大きな度量で思いやりを見せたい場面である。
「あぁ、そうだな。
んじゃ、行くぞ。」
王立研究院へ続く回廊を、少しだけ離れて歩きながら、ゼフェルの頭にはずっと同じ言葉が沸き上がり、くるくるくるくると回っていた。
「なんでだよ?
なにがあンだよ。あいつの家に。」
こんなことなら、クソガキのままのが良かった。
大人の男とは、まったく不自由なものだ。
「なぁ、ロザリアだけど。
なんだか変じゃないか?」
私邸に帰ろうとしたところへ、滅多にやってこない奴が来て、開口一番に言った。
「ゼフェル、お前どう思う?」
ここしばらくの間に、みるみる伸びた長身を扉に預けて、奴は腕を組んでいた。
ったく、忌々しい。
どうひいき目に見ても長身とは言えないわが身と引き比べ、だいたいこいつはいつも目障りなんだとゼフェルは思う。
「さぁな。
かんけーねーよ。」
内心、どきりとした。
ロザリアのこと、こいつも気づいていた。
この忌々しいひょろひょろと背の高い男、栗色の髪に空色の瞳をしたこいつも、昔からロザリアの周りをちょろちょろしている。
だが、こいつがゼフェルのところへやってきたということは、こいつにもその理由はわからないということだろう。
「俺、もー帰るぜ?」
話しは終わりだと、執務机を離れたところに、金色の長い髪をした青年が顔をのぞかせた。
「あぁやっぱり、まだいたね。
一緒に帰ろう?」
絹糸のような金の髪が、ミルク色の肌にこぼれかかる。
幼さの抜けた切れ長の瞳は、菫色。
緑の守護聖マルセルである。
「ったく、おまえらは。
一緒に帰るって、いくつだよ?
俺は、一人で帰るからな。」
憮然とした表情で部屋を出るゼフェルを、マルセルが追いかける。
「ねえ、待ってよ、ゼフェル。
僕、ロザリアの家に行こうと思ってさ。
それで誘いに来たんだよ。」
機械仕掛けの人形のように、ゼフェルの足はぴたりと宙に浮いて止まった。
「ほら、僕一人じゃなんとなく気まずいでしょ。
それでさ、一緒だったらいいんじゃないかと思ったんだ。
ランディのとこ行ったら、もういなかったから、ゼフェルのとこじゃないかって。
良かった。
二人ともいてくれて。」
今の今まで少なくともゼフェルにとって険悪であった話題に、さらりと触れやがる。
しかも、しかもだ。
行く?
ロザリアの家に?
案外、こいつが一番油断ならないのかもしれないと、ゼフェルは振り返った。
まじまじと菫色の瞳を見る。
「何しに?
3人がん首そろえて、遊びましょでもねえだろ?」
「そうだよ。
今訪ねるのは、まずいんじゃないかな。
今、ゼフェルとも話してたんだ。
ロザリア、最近変じゃないかって。
マルセルは、何か知らないかい?」
もっともらしくうなずいて、ランディも話に加わった。
「何が変なの?」
首をかしげるマルセルに、ランディはさらにかぶせる。
「夕方になると、そわそわして。
心ここにあらずっていうか。」
「なんだ、そんなこと。
それはそうなると思うよ。」
やっぱりねと心得顔に笑うマルセルに、ゼフェルは本気でいらっとする。
だがここは我慢だ。
続きを聞いてからでも遅くはない。
「忍」の一字を自らに課して、ゼフェルはマルセルの次の言葉を待つことにした。
「僕のうちの犬、知ってるでしょ?
ちょっと前に、子犬を産んだんだよ。
3匹。
けっこう珍しい種類の子でね、あっという間に貰い手がみつかったんだけど、1匹だけ返されてきちゃったんだ。
すごく神経質でなつかない。
ごはんも食べてくれないって。
弱って僕のところへ帰ってきたんだけどね。
その子が、ロザリアになついたんだよ。
僕以外からご飯を食べてくれないから、執務室に連れてきてたんだけど、そこへロザリアが入ってきてね、そしたら傍に寄って行ったんだ。
でね、お願いしたんだ、僕。
この子をもらってくれないかって。」
犬?
確かにマルセルの私邸には、何種類かの犬がいる。
そうだ。
どこかの惑星の古い犬種だとか言う、赤味がかった茶と白の小型犬がその中にいたっけ。
あれのことか…。
「あの子を育ててる時は、そりゃ僕だってずっとはらはらしどおしだったよ。
ロザリアは連れてきていないみたいだから、なおさらだね。
夕方になると、気が気じゃないと思うよ。
だって、気を許した人間の傍じゃないと、ごはんは食べてくれないし、寝てもくれない。
トイレだって、ぎりぎりまで我慢しちゃうんだ。
もう大変なんだから。」
マルセルは盛大にため息をついた。
「そんな大変なのを、おまえあいつに押し付けたのかよ?」
ロザリアの様子の原因がわかってほっとはしたが、その原因を作ったマルセルにゼフェルの心配分の怒りが向かう。
「ロザリア、喜んで引き取ってくれたよ?
それに、僕だってほったらかしにするつもりなんかないよ。
だからこうして、みんなに付き合ってって言ってるでしょ?
お手伝いに行こうと思うんだ、これからも。」
にっこり笑うマルセルを、ゼフェルは改めてまじまじと見る。
これからも?
これからも行くつもりか?
ひょっとして犬は「だし」じゃねぇのか。
眉をひそめたゼフェルと、同じ表情をしたランディの視線がぶつかった。
「わかった。
そういうことなら、俺も行くよ。
ゼフェルはどうする?」
声色だけは相変わらずさわやかな奴だ。
だが空色の瞳は、笑っていない。
「行く。」
短く答えて、ゼフェルは先に歩き出した。
本音を言えば、犬より猫の方が得意だった。
けれどそんなことを言っている場合では、なさそうだ。
なんとしても、その気難しい子犬と仲良くならなくては。
「その人の大切なものを、その人以上に大切にするんだ。
そうしたいと自然に思えるなら、それが愛しているってことだと私は思うよ。」
先の夢の守護聖がいつだったか、言っていた。
けばいちゃらちゃらした野郎だったけれど、あいつの言ってたことは不思議とよく覚えている。
大切なものとは、この際問題の子犬だ。
今夜帰りにでもルヴァのところに寄って、犬との付き合い方を指南してもらおう。
「負けるか!」
心中で叫んで、足を速める。
ここまで来て、誰かに譲るつもりなど毛頭ないゼフェルであった。