Eine Rückkehr ~帰郷~ (10)

休日の朝。
夜も明けきらぬ早朝に、ロザリアは目を覚ます。
生家から連れてきた愛馬が、朝駆けを楽しみに待っているはずだった。
それは彼女の方でも同じで、女王候補時代など遊んでいるようなものだったと思える今の多忙な生活に、早朝の日課は日々新鮮な生気をくれる。
けれど、候補時代にはなかった障害が、今のロザリアにはあって。
軽いため息をついて、寝台の天蓋を見上げる。
そして覚悟を決めると、彼女を抱きしめて眠る、恋人の腕にそっと触れた。

注意深く、腕を外す。
きつく巻かれた長い腕を、少しづつ少しづつ動かして。

かなりの神経を使うその作業を、この金の巻き毛の青年を恋人にもった日から、ロザリアは続けていた。
それでも二回に一度は失敗してしまう。

「だめだよ。」

笑いを含んだ声が頭上から。
はっと息をつめるロザリアを、恋人の腕がさらに強く抱きしめる。

「仕事のある日は我慢してあげてるんだ。
それに比べれば、私の我侭なんてささやかなものだよ。
だから、だめ。
あきらめるんだね。」

今朝はその二回のうちの一度。
こうなったオリヴィエは、けして譲ってはくれない。
それを知りながらも、ロザリアはまだ無駄な抵抗を試みる。

「もう…。
わたくしだって、譲って差し上げてますわ。
こうしてお休みの度に、ご一緒しているじゃありませんの。」

ぷうとふくれて、抗議した。

「おや、聞き捨てならないね。」

恋人の眉が吊り上る。
たちまちにしてロザリアは恋人の身体の下に組み敷かれ、ブルーの瞳が彼女を見下した。

「こうしているのが嫌だって言うのかい?」

ロザリアは小さなため息をつく。

「何度も申し上げましたわ。
その…結婚もしていない男女が、その…夜を…夜を一緒に過ごして、挙句朝帰りなどと…。
不道徳ですわ。
でも…こうして、わたくしご一緒しているじゃありませんの。
わたくしには、かなりの譲歩ですのよ?」

幾度もこうして夜を重ねたというのに、まだこんな初心らしいことを言う。
奪うようにして抱いた初めての夜から、いったいどれくらいの月日が流れたことだろう。
変わらない。
変わらないロザリアが、愛しかった。

けれど甘い顔は見せられない。
ここで少しでも譲れば、彼女は自分の腕を抜け出して朝駆けに出かけてしまう。

オリヴィエも馬に乗れないわけではなかったから、幾度か共に出かけてはみた。
が、無理は続かないものだ。
もともと朝の苦手なオリヴィエに、休日の早朝起きだして馬に乗れなどと。

狂気の沙汰だ。
そこで恋人に言い渡した。
休日の朝だけは、だめだと。
それをまだ、彼女は納得していない。

「へぇ…、結婚ねぇ。
私はしたって良いんだよ。
そう言ってるだろう?
以前から。」

恋人の首筋に唇を這わせながら、意地悪く笑う。
補佐官と守護聖の婚姻は、特に禁じられていない。
ロザリアは誰のものか、公然と周囲に宣言できるのだから、オリヴィエにはむしろ好都合である。

「拒んでいるのは、私じゃない。
誰だったろうね?」

親友である女王が、たった一人で任に耐えている。
自分だけ、ふわふわ浮ついた幸せになど浸かれない。

ロザリアらしい生真面目な理由で拒まれたことを、オリヴィエは皮肉ってやる。

「そ…それは、わたくしですけれど…。」

ほら、思ったとおり。
言葉に詰まる。

「とにかくだめだよ。
後もう少し、ここで大人しくしているね?
でないと…。」

耳元で甘く囁いた。
びくんと、ロザリアの身体が震える。

「わ…かりました…わ。」

小さな声で答えると、ふいと視線をそらした。

「けっこう。」

満足げに微笑んで、オリヴィエは恋人の身体を抱きなおす。

「じゃ、おやすみ。
いい子にしてるんだよ?」

心地良い眠りに落ちていった。

 

夕刻、ロザリアは自分の屋敷へ戻っていった。
あれこれと引止めの策を弄するオリヴィエに、今ではロザリアも慣れたもので、

「いくらわたくしでも、もうひっかかりませんわよ?
だめですわ。
明日は仕事。
戻りますわね。
おやすみなさい。」

綺麗な微笑を残して帰ってゆく。
彼女を送り出した後、リヴィングのソファにどさりと身を投げ出した。
まだあちこちに、ロザリアの気配が残っている。

できることなら、それをかき集めたいと、オリヴィエは思った。
一人になるのが、オリヴィエは怖かった。
また一週間が始まる。
彼女のいない朝と夜、それが続くのだ。
明日の朝。
それを思うと、オリヴィエの表情は険しくなる。
ロザリアは、明日朝、ジュリアスに会うだろう。
それを彼は、知っていたから。

正確に言えば、「会う」のではない。
そんな器用な真似が、あの不器用な二人にできるものか。

本当のところは、垣間見る程度。
朝駆けのおり、ちらとすれ違うだけなのだが、それにしても挨拶くらいはするだろう。
時にはそれ以上の言葉を交わすことも。

幾度かロザリアにつきあって朝駆けに出た時に、白い馬を駆るジュリアスに出くわした。
朝の挨拶を交わしただけで、それ以上のことはなかったのだが、その日一日中、オリヴィエは不機嫌だったものだ。
恋人の不機嫌に、ロザリアは驚いたようだったが、最後には笑って言った。

「オリヴィエ、あなたにだって一人や二人、好きになった人がいたでしょう?」

そんなことではない。
叫びたい思いを、その時のオリヴィエはこらえた。
ジュリアス、あの男は、まだロザリアをあきらめてはいない。
金輪際、ロザリアに告げるつもりなどなかったが、その事実がオリヴィエの心を重くしていた。

あの誇り高く生真面目な貴公子は、かつての自分のしくじりを潔く認めている。
だからオリヴィエと恋に落ちたロザリアに、自分の本心を見せることはしない。

その潔さ、高潔な人格こそが、オリヴィエを不安にさせていた。
似ているから。
ロザリアとジュリアスは、本当によく似ていたから。
女王即位が決まった夜、あの夜見せたジュリアスの悔恨は、素直で飾らないものだった。
そしてその後続けたロザリアへの未練もまた、同じように素直で正直で。

名門の貴族に生まれ、両親の愛を一身に浴びて、きっと彼らは育ったのだろう。
愛すること、愛されることは、当たり前に彼らの身の周りにあって、それを口にすること受け取ることに疑いなど持たず。
オリヴィエにはない性質だった。
自分の口から出た言葉すら、しかとは信じられない。
まして他人の口から出た言葉を、疑わずに受け容れるなど、オリヴィエにはとてもできなかった。

「あなたを愛しているわ。」

頬を染めてロザリアがくれた言葉は、オリヴィエをとても喜ばせた。
けれど心のどこかで疑っている。

それはロザリアの錯覚ではないのか。
ある日それに気づいたロザリアが、彼のもとを去っていくのではないのかと。
オリヴィエには、自分をまるごと受け容れてくれる人間が、この世にあるとは信じられなかった。
両親にさえ疎まれ、遠ざけられた自分が、誰かに受け容れてもらえることなどあるだろうか。
故郷の惑星、彼の生家を思えば、気分はさらに暗くなる。
あそこさえ出れば、いつかは安住の地にたどり着くのだと信じていた幼い日。
そんな安住の地など、どこにもありはしないのに。
あちこち渡り歩いた若い日の末、今オリヴィエはここにある。
他人が聞けばこれ以上はないと言うだろう、恵まれた地位、環境に。

それでもやはり違った。
この聖地も、オリヴィエには心安らかに暮らす安住の地ではない。
ロザリアを腕に抱いている時だけ、オリヴィエはつかの間、ほっとする。
温かいぬくもりを直に感じて、その鼓動を我が胸に重ねて、そうしてやっと彼は息をつけた。
補佐官の顔をしたロザリアは、毅然とした気位の高いレディであるけれど、ひとたびオリヴィエの腕に抱かれると、素のままの素直な顔を見せてくれる。
いつまでも世慣れない、初々しい少女のような顔を。

それが彼の屈折した心の隙間をすっぽりと埋めてくれる。
だからこその執着だった。

けれど、だからこそ…、だからこそ、知りたくはなかったと同時に思う。
知れば、失う恐怖もともに受け容れねばならない。
今幸せであれば、失った時の不幸はその何倍であろうか。
そこまで考えて、オリヴィエは激しく首を振った。

いけない。
また闇に捕まってしまう。

休日の夜きまって襲い来る、この恐ろしい考えを断ち切るため、オリヴィエはいささか乱暴に立ち上がり、サイドボードからブランディのボトルを取り出した。
丸いグラスに琥珀色の液体を注ぐと、一息に飲み干す。
焼け付くような感覚が喉を刺激した。
少し遅れて身体が熱くなる。
酔いつぶれてしまいたくて、さらにグラスに注ぎ足す。
それでも足りない。
酔うにはほど遠く、頭は冷えていた。
その夜、オリヴィエはボトルを一本空にした。
不毛な不安から、なんとか逃げたい一心で。