Chamade(5)
オリヴィエはイライラしていた。
ジュリアスの言った5日が過ぎても、女王は星の間から出てくる気配がない。
先代の女王の末期を思い出す。
力の衰えた女王は、ほとんどの時間を星の間で過ごしていた。
そうしなければ宇宙を支えることができなかったから。
おそらく今のロザリアも、同じなのだろう。
無性に腹がたった。
彼女にそんな重責を与えた「誰か」、「何か」に。
彼女を女王にした「誰か」「何か」が、ロザリアの力を吸い尽くす。
吸い尽くして空になれば、用済みとばかりに捨てるのだ。
それはいつか、オリヴィエ自身にも起こることだった。
「黙って従ってやったんだよ。
ここに来るときにはね。
だからもういいだろう?
わたしの力も、吸い尽くすが良いさ。
だけどそれは今すぐ、今すぐだよ!」
宙を見上げて、悪態をついた。
下界での何もかもを強制的に奪われて、オリヴィエはここにいる。
仕方ないと、あきらめて生きてきた。
けれどどうしても譲れないものがある。
それをも奪うというのなら、死ぬまで抵抗してやると宙を睨んだ。
ロザリアと共に、地の果てまでも逃げてみせる。
私邸に戻ろうと、オリヴィエは思った。
いずれ近いうちにここを去る。
その準備が必要だった。
「いつまでもおとなしくしてると思うんじゃないよ。」
執務室の灯りを落として、振り返る。
長い長い間馴染んだそこが、とても寒々しく感じられた。
私邸に戻ったオリヴィエは、寝室にこもってトランクを引っ張り出した。
希少な宝石は、すぐに足がつく。
ワードローブにあふれかえる衣装も宝石も、すべて置いてゆくつもりだった。
何をしてでも生きてゆける。
生活力には自信があった。
それにロザリアと二人なら、どんな暮らしでも幸せだろう。
けれど当座の暮らしに困らぬ程度には、何か持ち出す必要があった。
貧しさにすりきれるロザリアなど、あってはならないことだから。
「なにがいいだろうね。」
顎に指をあてて考え込むオリヴィエの背に、くすくすと忍び笑いの声。
「そういうところ、本当に現実的ですのね。」
待ち焦がれた声が。
反射的に振り向いて、抱きしめた。
「あんた、自分が何をしたか、わかってるのかい?」
ここしばらくの恨み言が、口をついて出る。
「ごめんなさい。
多分わかっていると思いますわ。」
言葉どおり、申し訳なさそうにロザリアは顔を伏せる。
「言えばきっと、オリヴィエはこうするだろうと思いましたの。
だからギリギリまで、隠しておいたんですわ。」
オリヴィエが取り乱すから、だから隠したというのか。
「ふぅ…ん。
わたしのためってこと?」
沈んだ青い瞳に、表情はない。
ただじっとロザリアを見つめる。
「わたくしのためですわ。
少しでも長く、いつものとおりのわたくしであなたの傍にいたかったから。
言えば、きっとこうなるでしょう?
そしてわたくしは、あなたに逆らえない。」
静かに、ロザリアは泣いていた。
透きとおった涙が、頬を伝う。
「あなたが好きですわ、オリヴィエ。
傍にいたい。
でもわたくしにはできない。
新女王に欠けた宇宙を渡すなんて、してはならないことですわ。」
欠けたパーツ。
それは夢のサクリア、オリヴィエ自身のこと。
ここにきて、最後の最後でオリヴィエを、夢の守護聖として扱う彼女が恨めしい。
この身の自由を思うままにできないオリヴィエ自身の身の上は、さらにどうしようもなく憎かった。
「この宇宙は、家族のようなものですわ。
先代の陛下に託されてからずっと、見守ってきたんですもの。
大切な家族。
どうなってもいいなんて、思えませんわ。」
オリヴィエは目を閉じた。
それは彼にも理解できたから。
最初こそいやいや就いた守護聖であったが、自分が守り育ててきた宇宙に、今ではそれなりに愛情がある。
だから不幸を望みはしない。
夢のサクリアを失った宇宙がどうなるか。
考えないようにしてきたその事を、ロザリアはつきつける。
「あんたらしいね、ロザリア。
現実的だよ。
まったくそのとおり。
わかってるさ、わたしにだってね。」
見ないようにしてきた現実だった。
顔も見たことのない誰かの、その人々が暮らす世界を、いつのまにか愛しいと思っていること。
そしてその世界を守るために、オリヴィエ自身より大切だと思う人を、見送らなければならないこと。
そんな現実を、認めたくはない。
「わかっていたことでしたわ。
わたくしかあなたか、どちらか1人が先にここを去ることは。
それでもわたくし、なかなかあきらめがつきませんでしたの。
だからこんなギリギリまで、交代を先延ばしにして。
女王失格ですわね。」
赤らんだ瞼が、昨晩の涙の量をオリヴィエに知らせる。
それでも美しい、ロザリアの微笑だった。
「お別れですわ、オリヴィエ。
もうお目にかかることはないでしょう。」
まっすぐに告げられた言葉には、覚悟があった。
もう何を言っても、彼女の心は変わらない。
それでも抗わずにはいられなかった。
「い…やだ。」
かすれた声。
どうしてわかったと、頷けるものか。
もう会えないなどと、そんな残酷なことをどうして受け容れられるだろう。
「いやだよ。
あんたはわたし自身も同じなんだよ。
失くしては、生きられない。」
聞き分けのない子供のようだ。
ロザリア同様、オリヴィエにもわかっていたのに。
選ばれてしまったのだから、仕方ない。
女王に、守護聖に、彼ら二人は選ばれた。
だから受け容れるしかない。
「大好きですわ、オリヴィエ。
あなたに会えて良かった。
これだけは運命に感謝していますの。
ここに来なければ、会えないあなたでしたもの。」
聞きたくないと首を振るオリヴィエの頬に、ロザリアは手を伸ばした。
ひんやりと冷たいその手を、オリヴィエは強く握りしめる。
「どうしても…行くんだね。
わたしが泣いて頼んでも、それでも。」
未練がましいわがままだ。
ロザリアの前では、落ち着いた大人の男でいたいのに。
いつもそうだ。
彼女を前にしては、気持ちの制御が難しい。
「最初からそうだったよ。
あんたに好きだと言ったあの時も、そう。
あんたにはみっともないところばかり、見せているね。」
ロザリアの蒼い瞳に、にじむような微笑が浮かぶ。
「だってそれが、オリヴィエでしょう?
わたくしの大好きな、オリヴィエですわ。」
無理だ。
どうしてこんなに愛しいものと、離れて生きてゆけるだろう。
大人らしい分別など、どこかへ捨て去れば良い。
予定どおりロザリアをさらって、ここから逃げよう。
そう思った瞬間、ロザリアがすいと彼の腕から逃れる。
ほぼ同時に、バルコニーへ続く窓が大きく開いた。
さぁと優しい風が、流れ込む。
ふわりと宙に浮かんだロザリアが、もう一度微笑んだ。
身体の一部を、引きちぎられたようだ。
血の出るほど唇をかんで、オリヴィエは彼女を見上げた。
そして言う。
「いいかい、ロザリア。
わたしはあきらめが悪いんだ。
あんたがなんと言ったって、わたしはあきらめないよ。
これで最後なんて、冗談じゃない。」
そう。
そこまで物分かりの良い男ではない。
「必ず傍に行くよ。
何年かかっても、必ずあんたの傍に行く。
だから待っててほしい。
良いね、ロザリア。
約束だよ?」
泣いているような微笑のロザリアは、何も答えなかった。
風と共にその姿が消え去っても、オリヴィエは叫び続けた。
「必ず行くよ。
どんなことをしても、そうしてみせるからね。」