Chamade(7)

首星から遠く離れた恒星系の、その3番目の惑星。
恒星からの熱量が小さい上、そこからの距離も遠いために、一年のほとんどを雪と氷に覆われた極寒の惑星である。
そこに、数年前移り住んだ貴婦人があった。
首星の名門カタルヘナ家の縁者だという噂が広まると、近隣の人々は、何を物好きなと不思議がった。
なにか剣呑な事情でもあって、こんな寂れた惑星に隠れ住まねばならないなどと、胡乱な噂もあったが、気軽に出歩く彼女を一目見た後、そんな噂は霧のように消えた。
鉛色の空は重くたれこめて、すべてが灰色に見える不景気な町。
そこを彼女は、楽しそうに歩く。
近くの猟師から買ったのだという毛皮のコートは、彼女が着るにはいささか庶民的な質のものであったが、まるで気にした風もない。
ふかふかの襟をたてて、今日は教会へ行くらしい。

「おはようございます、ロザリア様。」

行き交う人の挨拶に、気軽に応えてくれる。

「ごきげんよう。
今日も良い日ですわね。」

蒼い瞳の美しい貴婦人は、たちまち近隣の青年たちの胸を焦がした。
小さな町のことで、青年たちは寄ると触ると彼女の噂をする。

「ロザリア様を見たぞ。
さっき教会の前でさ。」

雑貨店のカウンターに小麦の袋をどんと積んだ青年が、息をはずませて口にした。
ただ見かけただけで、興奮気味である。

「綺麗だよなぁ…。
おひとりだなんて、ほんとにもったいないよ。」

農機具を見ていたらしい仲間が、わらわらとその周りを囲む。
「俺らじゃ、とっても手の届かぬお方だけどさ、それにしてももったいないよな。」

そうだそうだと口々に頷きあうその光景を、少し離れたカウンターの隅で眺めている青年があった。
毛皮の帽子を深々と被ってはいたが、すらりとした長身と華やかな美貌は、青年がこの辺りの者ではないことを物語る。
おそらくどこからかの旅行客だろう。
派手な宣伝こそ禁じられていたが、この町は守護聖を輩出した土地である。
人の口に戸はたてられぬとはよく言ったもので、いつのまにかその噂は広がって、ぽつぽつと観光客が訪れることもあった。
おそらくこの美貌の青年も、その一人。
いずれどこかの若様だろうと、町の人々は特に気にもしなかった。

「ねぇ、その教会ってどこかな?」

うわさ話が、ぴたりと止んだ。
一斉に声の主を見る。
毛皮の帽子をとって、切れ長の艶な瞳で微笑みかけている。
沈んだ青の瞳。
やや暗い金色の髪が、すっきりとした輪郭にそって緩やかに曲線を描く。

「ええ…と、町の真ん中です。
この通りをまっすぐ行ったら、すぐにわかりますよ。」

素朴な青年たちは、真っ正直に教えてやった。
よそ者に警戒する風もない。
それはこの土地が、いかに平和であるかを十二分に教えてくれる。

「変わってないね。」

美貌の青年は滲むように笑うと、礼を言って立ち去った。

「綺麗な男だったな。」

華やかな余韻が、いまだ残っていた。
町の青年たちは、しばし呆然と、見えなくなった後ろ姿を見送った。

 

教会の場所など、聞かずとも知っていた。
故郷の町である。
町の中央、広場の向こうに、今も変わらずあるはずだ。
善良な青年たちのうわさ話にのぼった名前が、オリヴィエに口を開かせた。
ロザリア。
たとえ罪のないうわさであったとしても、他の男が口にするのは許せない名であった。
その名を呼んで良いのは、オリヴィエの他にはいない。
もうすぐ会える。
わずかの距離、その先に、長い時間をひたすらに焦がれ続けた彼女がいるはずだ。
一足進むごとに、オリヴィエの鼓動は速くなる。
どくんどくんと大きな音が、頭の芯まで響くようだ。
夢の守護聖の交替を、ロザリアはまだ知らないはずだった。
オリヴィエが口止めをした。
彼女には、自分が伝えるからと。
どんなに驚くことだろう。
その表情を想像することだけが、彼女と離れた年月のただ1つの歓びだった。
古びた教会の重い扉を開く。
ぎぃと湿った音。
薄暗い堂内に、白い光が射した。

 

「オリヴィエ…。」

信じられぬものを見たように、蒼い瞳は見開かれている。
小さく口にした名前に、オリヴィエの心臓は幾千もの矢で射抜かれる。
駆け寄って抱きしめた。
ただ夢中で。

「言っただろう?
わたしはあきらめが悪いんだよ。」

腕の中で、ロザリアが頷くのがわかった。
小さく幾度も頷いて、オリヴィエを抱きしめる。

「しなきゃならないことは、済ませてきたよ。」

腕の中のロザリアが、ようやく顔を上げた。
幾筋もの涙の跡を、オリヴィエの指が愛し気に拭う。

「覚悟してもらうよ。
この先は、もうだめとは言わせない。」

震える指先で、彼女の唇に触れた。

「言いませんわ。」

小さく返した言葉が、オリヴィエの最後の理性を吹き飛ばす。
唇を重ねた。
最初から深く、深く。
どれだけ重ねても、まだ足りない。
どれほど焦がれ、飢えていたことか。
ロザリアの呼吸さえ許さない唇が、ようやく離される。

「相変わらずですのね、オリヴィエ。」

くすりと笑ったその顔に、もう一度唇を寄せる。

「これがわたしさ。
嫌になったかい?」

にやりと笑って見せる。
聞くまでもない答えを、それでもオリヴィエは聞きたかった。
懐かしい、愛しいその声で。

「大好きですわ、オリヴィエ。」

 

雪と氷に覆われた惑星の、田舎も田舎、小さな町で、この土地に不似合いなほどきれいな二人が、小さな家で暮らし始めたと。
町の人々は喜んだ。
彼らのロザリア様が、とても幸せそうに見えたから。
小さな家で、二人はいつも笑っていたから。

 

 

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